ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

地雷

2017年09月10日 | ノンジャンル
人間、だれしも心に傷を持つ。

目に見える外的な傷なら、わざわざその傷に触れて
痛みを蘇らせようとする者はいないと信ずるが、
心の傷は、外見上ではわからない。

それは、浅い深いはあるだろうが、
消えることはない。
時間と共に、その痛みは薄らいではいくものの、
様々なきっかけで、元の痛みが生々しく
蘇ることも多い。

そのきっかけは、特定の言葉であったり、場面、
状況であったり、気候であったりする。

つまり、地雷を引きずっているようなもので、
それがどういう形で踏まれてしまうのかは
わからない。

目には見えないが、街を行き交う人々が、
それぞれ地雷を引きずっているとすれば、
危なくて外を出歩けない。

一番安全なのは、家に引きこもり、人の地雷を
踏まず、自分の地雷も踏ませないことになるが、
それでは生きている意味がない。

生きるとは、傷つけあうことかもしれないが、
同時にその痛みを分かつことでもある。

自身が地雷を持つこと、まずはそれを受け容れ、
他人に踏まれないように生きるのではなく、
他人も同じように地雷を持つことを忘れず、
それを無神経に踏まないように生きる方が良い。

同じように生きる者は必ずいるし、その人とこそ
痛みを分かつことができるのである。

残念ながら、自分の地雷を踏まれないように
抱え込みながら、他人の地雷を踏むことを愉快と
する人もいる。

それは無論のこと、痛みを分かち合える人ではない。

自身の痛みと苦しみは、自身にしかわからない。
だが、だからこそ、人の痛みや苦しみを知ろうと
するなら、それを分かち合い、共に進んでいく
友に必ず巡り合えるのである。