ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

感受性

2008年11月09日 | ノンジャンル
空を眺めていると、限りない空間の広がりを感じるのだが、
実はこの伸びやかな感慨も、地球の大気という殻の中にいる
安心感があるからである。

その証拠に、夜空に星が輝く時、大気は透明な膜となり、
途端に自身が無限の空間に相対する事となり、言い様の無い
寂寥感に襲われる。

同時に、その無限の時間と空間を感じる自身の内に、同じ広がりを
持つ小宇宙を観ずる事となる。

人が人たる所以は、原理法則を理解する科学的な思考に
とどまらず、感じる、観じるという、極めて稀な感受性を
持つところにある。

アポロ計画は、子供の頃リアルタイムで進められた
一大プロジェクトであった。その背景としては米ソの冷戦、
軍拡競争という暗いものがあったにせよ、人類が初めて故郷である
地球を離れ、宇宙空間へと旅立ち、月面に立つという事は想像だに
できない快挙であり、当時の子供達にとっては本当に衝撃的で、
夜も眠れないほどの興奮に包まれたものである。

一時、この事実が擬装であったとの議論がまことしやかになされた
ことがあったが、これは我々にとっては笑止な議論で、ここでは
触れる必要も無い。

人類にとって最も重要な事は、月面に立って星条旗を立てた
ことよりも、月に立った人間が故郷である青く美しき惑星、
地球を望んだ時に、ある者はそれまで信仰心など無かったのに
神を感じ、帰還した後に牧師となり、信仰を持っていたある者は
万物の創造主である神を信じなくなったという事である。

これは、特定の信仰について云々するわけではなく、
人の感受性について考えさせられる重要なポイントである。

アポロ計画より現在に至る軌跡は、月から地球を望んで信仰心を
失った者の描いたものではなかったか。
今、ようやく人々が気付き始めたのは、実証的事実を超えて
感じ、観ずる事が出来る人間の感受性こそが大切であるという
事ではないのか。

これから未来へ向けて描くべき軌跡は、無の空間に浮かぶ
青き惑星を眺めて神を感じたその感受性にこそ委ねられるべきと
思われる。

地上に立ち、星空を眺めながら感じるものを己心の中に観じ、
無限の空間へと向けた視点と共に、空間から内面へと向かう
視点を持つ先人が確かにいたはずである。

民間人が宇宙へと旅する事も特別では無い時代になっていく。
残念ながら私にとってはそれはかなわぬ夢であるだろうが、
月に立って地球を望む事が出来たとしたら、私の感受性はどう
反応するのだろうか。

どれほどの感動と、衝撃と、興奮に包まれるのかと
想像するだけでわくわくするのである。

願わくは、未来を生きる子供たちには、
このわくわくする想いと、実証を超えた感受性を
養ってもらいたいと思うのである。