ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

鏡である例会

2008年11月16日 | ノンジャンル
今日は院内例会の日。
いつも無意識に、指名されたら何の話をしようかと病院へ行く
道すがら考えている。

一から話せば何時間あっても足りない。飲酒経緯か、問題飲酒か、
離脱症状か、断酒経緯か、どのあたりのことを話そうかと考えて、
結局例会での人の話を聞きながら、大体決めている。
トップバッターとなったら万事休すである。

ともかく、人の話を聞いている中で、自分自身が素直に
なっていき、話す内容も自然に決まっていく。
今日も、指名されたらこの辺の話をと思いながら、指名されずに
終わった。それはそれで別段構わない。

今日は印象に残ったのが母親に関する話が多かった事である。
母親に当たり散らかしてきた本人と、その母親。
家族に迷惑をかけ続けた母親本人。
散々苦しめ、悩ませた母親に、長年の断酒で立ち直った
自分の姿に「今は幸せ」と言ってもらっている本人。

話を聞きながら、自分の母親のことを思い出させられた。
18の若い力で私を産んだ母。
4人の子供を、自分の家族を支え切った母。
姉貴の様でもあり、この世でただ一人、私を理解して
見守ってくれていた母。
あまりにも早く逝ってしまったが、死してなお私を叱咤し、
最も大切な事を教えてくれた母。

話をしている人達は皆、それぞれ大変な苦労も修羅場も
あったであろうが、今はこうして共に喜びを分かち合っている。
羨ましくて、思わず涙ぐんでしまった。
今の私やカミサン、子供たちの姿を見て、彼女は喜んでくれて
いるのだろうか。もう夢にも見なくなって久しくなる。
叱るも良し、話をするも良し、たまには夢にでも出てきて
もらいたい。

終わりに院長先生の、例会は鏡であるとのお話があった。
人の体験談を聞く中で、過去の自分の姿をそこに見、
現在の自分に重ね、未来の姿をも映し見る事が出来る。

自らを鏡に映して襟を正す事は、常日頃の事であり、おそらく
一生の事でもある。鏡である例会も自らを振り返り、
今を確かめ、未来を描く上で大切なものであろう。

しっかり鏡を見れば、気付く事も多いものである。