ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

利き手

2008年11月27日 | ノンジャンル
私はもともと左利きである。幼稚園の頃に、左手に
ハンカチを巻かれ、鉛筆、お箸、スプーンは右手を使うよう
矯正された。

時代のせいだったのか、先生の考えだったのかはわからない。
妹も左利きだが、矯正されなかった。外国でもあまり
矯正されたという話を聞かない。

我が家では息子が左利きだが、もちろん矯正されていない。
並んで食事をすると、箸を持つ手がぶつかる。

さて、この利き手というのは脳との関係も深く、途中で
矯正された私は、何か複雑な錯綜の状態にあるの
かもしれない。少し整理してみる。

お箸、スプーン、筆記具は右。矯正の賜物である。
消しゴムは左、ナイフは左、フォークは右。
セットされているナイフとフォークをいつも反対に
取っている。
はさみは右でなくては切れないので、右だが、カッター、
彫刻刀は左。コンパスを使うのも左。

ネクタイを締めるのも人とは逆方向、受話器を取るのも左、
計算機を叩くのも左。受話器は持ち替えないので、線が
ねじれることはない。

関係ない話だが、下シャツを脱ぐとき、裏返しながら
脱ぐ人は、幼児性が残っているのだとか。
私はそのまま脱ぐ。

工具や道具はほとんどが左だが、左が疲れると右に変えても
あまり違和感はない。
歯ブラシは左、縫い物も左、トイレでお尻を拭くのも左。

野球は左用のグラブがなかったので、右投げ右打ち。
ボーリングも穴の関係で右投げ。大きなボールは左投げ、
ラケットも左、腕相撲も左のほうが強い。

手を組めば左の親指が上、腕を組めば左腕が上、足を組めば、
左足が上、横になれば左向きが楽。

両手にペンを持ち、同時に文字を書けば、右は普通の字、
左は鏡に写した字となってしまう。

矯正されていないことで無意識に使うのは左のようだが、
右手を使っても違和感のないことも多い。

どうも、この矯正によって、普通の人はあまり感じない
右脳、左脳の機能だとか、相互伝達の調子の良し悪しを
日常的に感じ、その度に意識してきたような気もする。

矯正されたことが良かったのか悪かったのかは別として、
左利きのそのままに育ったとしたら、もっと単純で、
余計な悩みも少なかったかもしれないと思うのである。