人生押し並べて見れば、良い事も悪い事も半々で落ち着く
ようである。
幸せを決めるのも自分であって、他人や環境に決められる
ものでもない。
巨万の富を得た人などは、他人が見るのはその富だけで
あるから、誰もが羨ましがるのであろうが、本人は例えば
病に苦しみ、痛みの中で毎日を必死で生きているかもしれない。
身体は頑健でも、その日を生きるために必死で働いて、
働きづめの一生を送る人もいるであろうし、物質面、
健康面で恵まれていても、それが生きる希望を阻害して、
周りから見れば不思議で仕方がないのだが、自ら死を選ぶ
人もいる。
美人薄命、醜悪長寿。いずれが幸せかは、もちろん本人の
問題であって、他人がどう考えようがまるで関係がない。
十人十色の人生があれば、十人十色の幸せがある。
出来れば贅沢は出来ずとも、美味しく食べることが楽しく、
たまに少し贅沢をして美食をし、身体も健康を感謝するのに
一病を持ち、人の痛みを自分の痛みとできる精神を持って、
少なくとも食べること、動くこと、考えることができる
自分の身の上を感謝できる生活であれば、まずまず幸せ
であろう。
若い頃は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を物足りなく
感じていたが、人として生きる幸せに満ちたものとして
今は読むことができる。
五分五分で上等、六分四分ぐらいまで持っていければ、
自分もまんざら捨てたものではないと思って終えることが
できるかもしれない。
ようである。
幸せを決めるのも自分であって、他人や環境に決められる
ものでもない。
巨万の富を得た人などは、他人が見るのはその富だけで
あるから、誰もが羨ましがるのであろうが、本人は例えば
病に苦しみ、痛みの中で毎日を必死で生きているかもしれない。
身体は頑健でも、その日を生きるために必死で働いて、
働きづめの一生を送る人もいるであろうし、物質面、
健康面で恵まれていても、それが生きる希望を阻害して、
周りから見れば不思議で仕方がないのだが、自ら死を選ぶ
人もいる。
美人薄命、醜悪長寿。いずれが幸せかは、もちろん本人の
問題であって、他人がどう考えようがまるで関係がない。
十人十色の人生があれば、十人十色の幸せがある。
出来れば贅沢は出来ずとも、美味しく食べることが楽しく、
たまに少し贅沢をして美食をし、身体も健康を感謝するのに
一病を持ち、人の痛みを自分の痛みとできる精神を持って、
少なくとも食べること、動くこと、考えることができる
自分の身の上を感謝できる生活であれば、まずまず幸せ
であろう。
若い頃は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を物足りなく
感じていたが、人として生きる幸せに満ちたものとして
今は読むことができる。
五分五分で上等、六分四分ぐらいまで持っていければ、
自分もまんざら捨てたものではないと思って終えることが
できるかもしれない。