ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

等価交換

2009年07月10日 | ノンジャンル
オー・ヘンリーの短編は、原文を学生時代の英語の授業で
勉強した覚えがある。
ストーリーはどの編も単純なのだが、やたらと表現が
回りくどい面があって、和訳するのに苦労したことを
覚えている。

あの最後の一枚の葉が散るとき、私は死ぬという物語を
ご存知の方も多いであろう。

病床の彼女の友人はその話を老画家にする。
老画家は馬鹿げた話だと憤慨するが、葉の絵を書き、
それを枝にくくりつけ、人知れず病床の彼女を励ました。

それは嵐のさなかであった為、老画家はまもなく肺炎で
死ぬが、彼女はその最後の一葉に勇気付けられ、奇跡的に
全快する。老画家の命と、彼女の命の等価交換といえる。

ある貧しい夫婦の話。互いにクリスマスプレゼントを相手に
贈ろうと、それぞれが大切にしているものを売ってしまう。
夫は金時計を、妻はその豊かで美しい髪を。
それぞれが買ったものは、金時計をつるす鎖と、櫛であった。

その時点で、プレゼントは無駄になってしまったようだが、
等価交換からいえば元のままということになる。

冬を越す金もない男が刑務所で過ごすことをたくらんだ話。
無銭飲食をしても、ショーウインドウのガラスを石で
割っても、傘を盗もうとしても、通りで騒いでも、
逮捕されることなく途方にくれる。

やがて、教会の賛美歌に魂を奪われ、自身を立て直して、
仕事を探し、まっとうに生きていこうと喜びとともに
心に決めたとき、挙動不審だか、敷地への不法侵入だか、
あっさりと逮捕されてしまう。
わざと犯した罪の等価を、何も罪は無いときに
交換しただけである。

様々な彼の短編には、人生の皮肉や、悲哀が多く見られるが、
その中に等価交換という冷厳な視点があるとともに、人間の
関わり合いの中には、物質面、精神面を含め、
エネルギー保存則と同様、その交換が常に平衡を維持しようと
行われていることを示唆している。

例えば、母親の無償の愛はこの原理とは無縁のようであるが、
子供の笑顔に無上の喜びを感じるとき、彼女自身の
「生きる力」を、少なくとも与える愛情と同等に
得ているのである。

自身の努力、貢献、協力、尽力、奮闘に対して、報われる
ことが少ないという人も多いが、それは大きな誤解か
無自覚で、物質面か、精神面か、あるいはまた別の形で、
相応に報われているはずなのである。

それを知るか知らないかで、愚痴の人生か、感謝の人生かを
自身が決めてしまうことになるのである。