ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

心神喪失

2009年07月11日 | ノンジャンル
掲示板で少し触れたが、心神喪失については仮に責任能力が
なかったとして減刑、あるいは無罪となったとしても、それは
社会的判断であって、その人が犯した罪は消えることはない。

等価交換、或いは因果律から考えれば、いずれ自ら何がしかの
形であがなうべき時が必ず来る。

さて、人は過ちを犯すものであるということを大前提にした
考え方がフェイルセーフである。
ミスを犯してはならないという状況にあるほど、
心的ストレスからミスを犯しやすいことを考えれば、
ミスを避けられない事として対策をする方が得策である。
これは、「フェイルセーフ」で述べた。

死刑についても、執行はともかく、制度としては存続させる
べきと考えているのは変わらない。
これも「死刑について」で述べた。

問題なのは、心神喪失、心身耗弱による、無罪、減刑の
判例が多く出るようになり、加害者の弁護側も、
何とかこの状況を適用して、減刑に持ち込もうとする傾向が
強くなってきた気がする。
これは全く本末転倒であり、司法の原理原則を
危うくしてしまう。

ただ、我々はまた、独立した司法に完璧さを求めがちであるが
それもまた人の為す事である以上、過ちは避けられないことを
認識しておく必要がある。

「お上のすることに間違いはない」で済む時代ではない。

心神喪失、裁判員制度、審理期間短縮による誤謬の増加。
司法も混迷期を迎えたようである。