ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

沈黙の臓器

2009年07月06日 | ノンジャンル
肝臓のことである。

内臓の中で恐らく最も大きな図体をしていながら、穏やかで
口数も少なく、どれほど痛めつけられても不平不満を言わず、
黙々と果たすべき役割を果たして行く。

耐えて、耐えて、耐え抜いて、その身を犠牲にしながらも
じっと我慢し続ける健気さは、その図体と「きも」という
名前のイメージ通り、グロテスクな姿とは対象的であり、
労ってやりたいものである。

その、きも君が悲鳴をあげだす頃は、よほど深刻な状況と
なってからである。
元の健全な姿に戻れるのは脂肪肝ぐらいまでで、肝硬変、
肝炎などは、部分的な死を意味する。

不健全な身体で、それでも十分な役割を果たす。
お酒といえば肝臓と連想が繋がるが、我々も同じで、
様々な死を経験している。

死んでしまったものは仕方がないが、何とか生きている
部分のみで命を繋いでいるのである。

元の姿には戻れないが、今の状態を維持することは出来る。
つまり、現状から悪くなることはあっても、
良くなることはない一方通行である。

健気な「きも君」を労り、癒してあげることが、そのまま
自身の癒しとなり、少なくとも「もうだめです」という
悲痛な叫びを聞くことはないであろう。

思えば、その叫びを黙殺していた自分がいた。
今では時に、きも君の叫びかと気になることがあるが、
よく考えると、それは腰痛である。

湿布を貼って、寝ることにする。