ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

ひとり

2009年07月09日 | ノンジャンル
人間、誰しもひとりになってしまうことを恐れる。

何かに属していたい、何かに繋がっていたい、いや、
自分以外の人と繋がっていたいのである。

それは本能的にひとりでは生きていけないことを
知るからであり、それはほとんどの場合、精神的なものである。

都会に暮らし、毎日何万人という人と行き交いながら、
孤独な自分に底知れぬ淋しさを感じながら、懸命に人は
生きている。人の密度が高くなればなるほど、一人一人が
感じる孤独は深くなるようだ。

反対に過疎の田舎で、人の関わり合いという濃度が高くなると
疎ましく、煩わしくさえある。
人の密度が低くなるほど、干渉の濃度が高くなるようだ。

こうしてみれば、その人の置かれている環境というよりは
その人の心次第で、どこにあっても孤独になることは
ないようにも思える。

ひとりオフィスであくせく働いて、夜中の風に吹かれて
一服している時など、何とも言えない寂しさがあるが、
ふと向かいのビルを見れば、同じように頑張っている
人がいる。自分だけではないんだ、もう一頑張りするかと
励まされ、逆にその人を励ましたくもなる。
その時点で、すでに孤独感は消えている。

果てしない空、無限とも思える海、広がる大地。その中に
一人立つ時、点にもならない小さな自分の存在に
どんな思いを馳せるのか。
押し寄せる孤独感に呑まれてしまうのだろうか。
いや、小さな小さな自分が、その無限の中の一塵であると
自覚したとき、その一塵は無限と一体となり、
生命の一滴としての存在であることに歓喜するのではないか。

今度の内蒙古への出張は、そんな経験を期待させてくれる。
ゴビ砂漠に立ち、砂の一粒たる自分を思って、
何を感じるのか。今から楽しみにしている。