ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

データ

2009年05月16日 | ノンジャンル
数年前だったか、お世話になっているクリニックの
院長先生の話で、依存症と診断された患者数、その後の
断酒継続数、再飲酒者数、経過についての統計をまとめる
作業を始めているということを聞いた。

その統計データは、資料としてまとめられているのか
お聞きすると、ほぼ整理されてきているとのこと。
公開されるのもそう遠い先のことではないようだが、
一部を教えてくださった。

年間数百人の外来患者。アルコール依存症と診断された
人のうち、一年の断酒継続に達する人は28%。
そのうち、2年に達する人は約3割ダウンの20%。
さらに3年に達する人は再び3割ダウンの14% 。

3年を越えると、ほぼ横ばいとなり、安定するとのこと。
やはり、石の上にも三年と言うのは本当で、一つの大きな
節目であり、我々にとっては再生の道を進む上で越えるべき
大きな壁であるだろう。

実に100人中14人がこの壁を乗り越えるという
生のデータである。
これを多いと見るか、少ないと見るかは別にして、
通院治療の魁として開院した専門病院でのデータであるから、
これがアル症と、その回復の実態であると言って
差し支えない。

もちろん、再飲酒を繰り返しながらも、継続に繋がって
いく人もいれば、3年以降に再飲酒をする人もいる。
実際のデータは28年にわたる診療と、その回復経過の
膨大な統計となるので、公開資料となったときに詳しく
参照したいと考えている。

一患者である自身にとってこのデータが何を意味するのか。
継続一年を越えた頃の自分なら、100人中28人のうちの
一人であることに、自負心を持ったであろう。

3年を越えた今、100人中14人のうちの一人であることに
感じるのは、自身の幸運と、守られたことへの感謝なのである。
やはり、3年を越えると、「何か」が自分の中で
変わる様である。

今月末で、断酒丸4年となり、自身のゼロ回帰の指標である
5年目に突入することとなる。



囚われと解放

2009年05月16日 | ノンジャンル
依存症というものは様々な形で表れるが、本人の心身の健康、
家庭生活、社会生活、つまり人間関係をも全て失うのは、
アルコールを含む薬物中毒、依存である。

体内に取り込むことで神経も肉体も傷めつけ、それと共に
精神の破綻をきたし、人間関係を壊していく。
最終的には命さえ失うことになってしまう。

ネット依存は、生活の上では不健全な状態を作り易くし、
それが徐々に肉体的、精神的な不健全さにつながる
可能性はあるものの、脳を破壊することはない。

買い物依存にしても、ギャンブル依存にしても、同じく
神経に直接作用する物質を体内に取り込むわけでは
ないから、直接的に命に関わることはないが、経済面で
破綻につながり易く、結果として大きなストレスを
心身に与え、その解放のためにまた繰り返す悪循環がある。

コーヒーやタバコなどの嗜好品は、体内に取り込む
とはいえ、アルコールや薬物などのように意識阻害を
起こすことはない。
喫煙運転が禁止されないのも、その所以である。
コーヒーの飲みすぎや、タバコの吸い過ぎで頭がおかしく
なることはない。無論、過ぎたれば健康を害することは
周知の通りである。

セックス依存についても、それが犯罪に発展しなければ
特にこれといった害はないように思える。

人間関係においての依存は、共依存などが広く
知られているが、後天的な原因ばかりに注目すると
本質を見誤る。先天的な、つまり遺伝的要素は、
他の依存症と同じく、大きく関係している。

こうしてあげてみれば、いずれもほどほどの程度であれば、
全て人生を楽しく豊かにするものばかりであろう。
麻薬などの薬物は別格であるが、それ自体が悪という
わけではない。危険な昏睡状態からの覚醒、末期的な
崩壊時期の鎮痛など、薬物である以上、麻薬であっても
有用することができる。

どうやら、「過ぎる」ということと、「囚われる」
ということに関連して、自分で制御不能となることが、
悪い意味での依存症ということになろうか。

全て該当しないと考えている人でも、実は仕事に没頭する
快感に囚われてやり過ぎてしまうのであれば、
すでに立派な仕事依存症である。

生きるために必死であった時代なら、むしろ仕事に
囚われないで、生きることに囚われているのであるから、
それは反面幸せであるかもしれない。

責任と義務に囚われて仕事をし過ぎるなら、やがては同じく
破綻する時がやってくる。
歓びと楽しみがそこになければ、精神の解放はない。

釣りバカの浜ちゃんにしても、全く仕事をしないで家族を
顧みず、釣りに囚われているとしたなら、釣り依存であろう。
そこに本当の楽しさも喜びもないはずである。

こうして羅列してみると、やはり最も厄介なのは
アルコールを含む薬物である。
体内に物質を入れ、その物質が神経に作用し、恍惚、
陶酔、快感、解放感を得さしめる。
飽きっぽい人間はより強い刺激を求め、同時に耐性を
形成していくので、摂取量は徐々に増大する。

エスカレートしていく過程はどの依存症も似たような
ものであろうが、結果として失うものが最も大きいのは
このアルコールを含む薬物である。

命に関わる以上、囚われて制御不能となった者は、
断固としてこれを断ち切る外に生き延びる手段はない。
これは、真理かどうかという事ではなく、自身が
そう断じて、囚われから自分を解放して生きていくのか
どうかということだけなのである。

私が「飲みたい」に囚われ続け、仮にほどほどに飲んで
生きられるだけ人生を楽しんで生きていくと考えれば、
それは私の自由ではあるが、同時に勝手我儘である以上、
一人で生きて行けばよい事である。

飲めない辛さよりも、飲まない生活で様々に見出した
喜びと楽しみが遥かに大きくなった今は、わざわざ
神経を麻痺させて、まともな思考の出来ない状態で
そんな到底割に合わない引き換えをしてしまうほどの
愚か者ではなくなったと、ほんの少しだけ自尊心を
撫でている。