ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

マスク

2009年05月21日 | ノンジャンル
今回の新型インフルエンザに関連して、外出する人はほとんど
マスクをしているが、要するに予防という自己防衛を率先して
しているわけで、これはこれで意識面で言えば意味のある
ことだと思う。

弱毒ではあっても、感染力が高いということなので、
今後、H5N1鳥インフルエンザなど強毒タイプの
流行前の予行演習としてはいいだろう。

SARS流行の時のように、マスクが品薄となり、一時的に
価格の高騰もあるようだが、昔と違って使い捨ての安価な
ものが多く、広く普及しているのも結構な事である。

中国でマスク製造をしている取引先があり、価格低廉化で
利益を上げられずに嘆いていたが、幸か不幸か、現在の
状況は歓迎されているであろう。

昔は、マスクをするということは、風邪をひいているものが
周りにうつさぬようにという公にたいするエチケットであり、
マスクをしている人の傍には近づかないようにしていた
ものである。つまり、私は感染していますよという
目印であった。

もちろん、罹患している本人にとっても、乾燥を防ぎ、
呼吸器系に優しいという利点がある。
我が家では日頃から手洗いとうがいは口やかましく言い、
万一感染したなら、マスクをさせる。
息子が普通の風邪とインフルエンザをダブルでもらって
ほぼ1週間ダウンしていた時も、二次感染はなかった。

今は反対で、マスクをしていないと白い目で見られる。
咳やくしゃみが出ているのに、マスクをしていなければ
顰蹙ものだろうが、罹患していないからマスクをして
いないだけである。

予防でマスクをしたい人はすれば良いし、しない人は
感染したとしても自己責任である。感染していてマスクを
使用しないのは論外だが、健常なものがマスクをして
いなくとも害はない。

まあ、理屈を言わずに、単純に予防のためとマスクを
すれば良いのだろうが、感染した者を何かとんでもない
悪い事をしたような目で見たり、マスクをしていない
者を白眼視するなど、どうもポイントがずれている
気がする。

一番の問題は、マスクをしているしていないではなく、
品薄となり、価格も高騰しているなかマスクを
手に入れ、使用していることで満足していることである。
今やマスクは良識ある者と無い者の識別マークとさえ
なっている。

さらに根本的な事を言えば、目、鼻、耳、口腔はすべて
つながっているので、予防という点では、マスクだけでは
全く不十分なのだが、マスクをすれば安心だと勘違い
している人も多いということである。

マスクよりも、こまめな手洗いとうがいが最も予防には
有効である。鼻、口腔からばかりではなく、目からも
感染は起こる。むしろ公共機関には不特定多数の人が
触れる物が多い。吊革、ボタン、手すり、蛇口、ドアノブ、
そしてコインなどなど。。。

人は誰でも自分の手の指については安心してしまって
いるから、指で食べ物をつまむ、目や鼻や口に指を
持っていく、触れるということは無意識ながら頻繁に
行っている。

予防の第一は、手を洗って殺菌するということ
なのである。汚い手で蛇口をひねり、せっかく洗っても
またその蛇口に触れるなら意味がない。
指先を常に清潔に保つ事が最も肝要な事なのである。

とつおいつ考えていると、駅でキスをするカップルに遭遇。
「欧米か!」と突っ込みたくなったり、公然ワイセツ罪は、
どのレベルから適用されるのかなどと思っていたが、
その二人は何とマスクをしていて、互いにマスク越しに
キスをしていたのである。

どうせなら、二人ともマスクを取ってすればいい。
キスをする間柄で、感染を恐れるくらいなら、初めから
キスなどしなければ良い。非常に不可解かつ奇妙な
光景であった。

確かスパイダーマンでさえ、キスの時はマスクを
ずらしたはずである。欧米の女性への挨拶は、
頬に交わすキスだが、マスクをしてすれば大変な
侮辱となる。

どうも今回の新型インフルエンザ禍というよりは、
マスク騒動に釈然としないものがあるのである。