ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

キリンの首

2009年05月17日 | ノンジャンル
メンデルの遺伝の原理は、進化論を唱えるダーウィンに
とっては、大きな障害となったのだが、突然変異という
理論によって進化論の確立が成された。

理論の話しではない。

地球誕生、生命の発生から、様々な過酷な環境の変化に伴い、
生物は淘汰され、適応するための進化を繰り返し、現在の
安定形質に至っている。
中にはほとんど進化を必要としなかった種もある。

いずれにせよ現在の形は、変化から安定へと到達した
結果であり、更なる進化というものは考えにくい。
もっとも、地球環境の想像を絶する変化というものが
長期間にわたって再び起こるとき、どう適応するかは
解らないが、少なくとも環境を変える能力を身につけた
裸のサルである人間自体の進化というものは考えにくい。

ところで、キリンの長い首というものは非常に興味深い。
他の殆んどの草食動物が大地に近い身体の構造で安定して
いるにもかかわらず、キリンだけは特殊な長い首を持つ。

行き着くところが安定という形状であることを考えれば、
非常に不安定な形状に落ち着いたのが不思議である。
命を永らえ、種を保存するために、激動する環境の変化に
適応してきた進化論から見ても不可思議である。

実は、この長い首は、キリンの種の願望の結果だと見る説が
現在の主流となっている。
つまり、もともとは他の草食動物と同じ形状であった
キリンが、より高い位置の木の葉を捕食できるようにと
切望した結果だというのである。

木々にしても、いつも食われてばかりでは命に関わるので、
上へ上へと伸び、動物の捕食できる位置よりも高いところに
葉を茂らせるという策に出た。

大地の草や、捕食できる葉の高さが同じであれば、
草食動物の中で熾烈な競争が始まる。

キリンは、できるだけ首を上へ伸ばして、少しでも高い
位置の葉を食べようと、努力してきたのである。
しかも、突然変異のように一代ではなく、何世代にも
わたって、その願望を継ぎながら、短い首を徐々に
伸ばしていったのである。

結果として現在の身体の構造は、他の草食動物とは一線を
画した捕食場所を確保し、尚且つ肉食動物の接近をいち早く
察知できる警戒態勢を常に取れるという形に
落ち着いたのである。

他に類を見ない知的レベルを実現した人類が、人生は
一度だけであると、個人的、刹那的な享楽に終始するとき、
このキリンの首に思いを馳せ、恥を知るべきではないか。

我々に理想や願望があるなら、その実現のために弛まない
努力を継続していくべきであり、自身の一生が終わった後も
その実現への努力というものが受け継がれていく
べきであろう。

例としては良くはないが、莫大な財宝が共に埋蔵されている
古墳から遥かに離れた地点から地下道を掘り、そのお宝を
頂戴しようとする盗賊の一族は、何世代にもわたって
地下道を掘り続け、ようやく財宝を手にするのは
玄孫(やしゃご)の代とすれば、4世代は、ただ穴を
掘るだけの人生であったことになる。

現代人から見ればなんと意味のない無駄な人生だと
思うだろうが、いつかその一族に富裕が訪れるのを
夢見ながら掘り続けて、一生を終えた人の幸不幸は、
その本人にしかわからない。

キリンにしても、ある世代では、1センチしか伸びなかった
としても、100世代にわたれば、1メートル伸びる
ことになる。
牛のような首が、この気の遠くなるような世代を経た
努力の結果、現在のキリンの首の長さになったことを思えば、
我々も自身が見ることはないであろう未来に目を向けて、
今できることを精一杯して生きていこうではないかと
思うのである。