ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

ほんとう?

2006年06月24日 | ノンジャンル
病院で、看護士さんと話をする機会があった。

声を抑えて、その病院へ来てから、本当に今まで、一度もお酒を
口にした事は無いかと、訊かれた。

ここだけの話だし、内緒にしておくから。。。と真剣だ。

意外な質問に、少し戸惑ったが、一滴も口にしていないと
答えると、ひどく感心されていた。

実際に、飲んでいないといいながら、病院の帰りに、
一杯引っ掛けたり、たまに飲んでしまって、ほとぼりが冷めてから
病院へ来る人など、数多い例を見て来ているだけに、疑り深く
なっているのかもしれないが、それも、致し方無い事であろう。

いつもお世話になってるのに、裏切れませんよと話すと、とても
いい笑顔が返ってきた。

そうなんですよねえ。こういう、裏切れない笑顔が、この一年で、
本当に増えました。自分の為の断酒ではありますが、
自分の為だけではないのです。



願い

2006年06月24日 | ノンジャンル
友達や連れ合いの病気が治るよう、願掛けをしている
人の話をよく聞く。
3年とか、治るまでとか、期限を切って、お酒やタバコを断つ。

願いを掛ける時には、何がしかの犠牲というか、堪忍の代償を
課さないと、成就しないという事があるのだろう。

古代宗教では、祈りの儀式において、生贄が必須であったように、
非日常的な願いや祈りを叶える為には、それ相応の代償が
必要となる。

自由気侭に、勝手な事をしながら、更に祈りや願いを掛けても、
図々しいだけで、とても成就しないという感覚があるのだろう。

もう、一生お酒を飲む事が出来ないという、悲観的な捉え方よりも、
自分らしく、自分の人生を全うするという、一生の願いを叶える為に、
生涯、お酒を口にしないという代償をもって、願掛けをしていると
考えた方が、前向きではないだろうか?

わざわざ、言葉にせずとも、断酒は手段へと引き下がり、
飲まないために頑張るのではなくて、生きる為に飲まないという
姿勢に変わるのではないか?

生涯を通じた願掛けを持っているというのも、良い事ではないか。