ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

あっけらかん

2006年06月13日 | ノンジャンル
周りの人に気を遣われるのは、嫌な方ですが、
もう少し気を遣えよと、いつも思うのが、我が家でして。

冷たいお茶をと思って、冷蔵庫を開けると、ど真ん中に、
缶酎ハイが。。。。

食卓について、ふと見ると、カミサンの前には、酎ハイグラス。
ほう、晩酌ですか。。。
「今日はバタバタしてて、一息ついたら、早く寝るわ。」
ほう、どこかで聞いた風な。。。

「おかあさん、何飲んでるん?」と、息子の鋭い一言。。。
「え? 酎ハイの、グレープフルーツ!」
間髪入れず、何の躊躇も無い返答に、息子も
「ふ~~ん」と引き下がる。

私が断酒しているからといって、周りが変に気遣うのは、
かえって良くないと、カラッと考えているカミサンには、
こういう、あっけらかんとしたところがあります。

まあ、逆に、「飲めない」という、ともすれば負のイメージが
付きまとう場を、天性の明るさで、カラッとしたものに
しているのでしょう。

それは、十分わかっているんだけれども、少しは、
気を遣えよとも思うのでした。


積み木

2006年06月13日 | ノンジャンル
人の信用と同じで、断酒も一日一日、積み木を積んでいくような
ものです。
3年、5年、10年と、毎日積み上げていくという事は、
それ自体、気の遠くなるような事でもあります。

時には、自ら積んだものの重みに耐えかねて、全て崩して
しまおうという、衝動に駆られることもあるでしょうし、
もう良いだろうと、積む事をやめる場合もあるかもしれません。

この、時間と忍耐の要る作業は、たった一杯の、一瞬の気の緩みで
脆くも崩れ、振り出しに戻ってしまいます。

ただ、崩れたのだという意識ではなく、自分が、せっかく
積み上げたものを、自分の手で崩してしまったのだという
意識があれば、また一から積み上げる事には、大きな意味が
あるのです。


最初に積み始めた時とは、大きな意識の差のある、やり直しの
積み木が、始まるのです。

 

↑これだと、積み木崩しになりますね。 (笑)