ひろせ明子の市議日記

無所属・無会派。
市議として日常で見たこと・感じたことを綴っています。

森友学園問題

2017年03月05日 | 平和

森友学園問題が連日マスコミで報道されていますが、問題の本質はこちらではないでしょうか。

国の形を揺るがす大問題

国家の主権者であり現人神である明治天皇が、天皇の赤子である臣民に対して与えたのが『教育勅語』です。


 わたしたちの国は、1868年の明治維新から1945年に『ポツダム宣言』(アメリカ、中国、英国による)を受け入れて無条件降伏し敗戦するまで77年間にわたり、天皇が国の主権者であり、軍隊の統帥権も天皇にあり、同時に宗教的な最高権威も「生きてある神」としての天皇でした。それが天皇教で、靖国思想=国体思想と呼ばれますが、この思想をつくった中心人物は、長州藩の下級武士の出で、「大日本帝国憲法」の作成者にして初代総理大臣を務めた伊藤博文でした。

 これは、いまの言葉で言えば「カルト宗教」というほかありませんが、それを政府が国家権力を用いて全国民に強要し、小学校から徹底して教え込みました(今の「森友学園」の園児がやらされていることを見るとイメージできます)。仏教を廃して神道(それも明治政府がつくった国家神道)を中心に置き、神道行事に参加することを国民の義務としました。

 この洗脳教育の成果は凄いもので、負け戦でも最後の一人まで戦い抜く根性を仕込まれて、アメリカ軍を恐怖に陥れたのでした。白旗を上げるという常識はなく、全員死ぬまで戦うのは、「生きている神」の天皇陛下を絶対神として尊崇する日本人ならではです。


 そのために、敗戦により新しい民主的な国として生まれかわる上で、どうしても必要だったのが、昭和天皇による「人間宣言」でした。「天皇は神ではない」と現人神であった天皇自身が宣言したわけです。

 そして、主権者を天皇から国民に変えるというコペルニクス的転回が「日本国憲法」となり成就しましたが、この新憲法の最大の柱であった主権者の転回は、「新憲法も主権者は天皇とする」という強固な主張をする当時の政府や二大政党の抵抗で、たいへんな難産でしたが、GHQの断固たる命令でようやく実現したのでした。

 その際に、GHQは、日本の民間人七人(「治安維持法」違反の最初の逮捕者であった憲法学者の鈴木安蔵や、後にNHK初代会長となる共和主義者の東大教授高野岩三郎ら)がつくった憲法草案=「主権は国民にあり、天皇は儀礼を司るのみ」を参考にしたと言われます。

 主権者を国民とする民主主義国家をつくるためには、民主的な倫理による民主的な教育(特定の思想を上から教え込まず、広義の対話により納得をつくるフィロソフィー)が必要です。
 そのために、天皇が臣民に与えると言う『教育勅語』は、1948年6月19日に衆議院と参議院においてそれぞれ廃止の決議がなされたのでした。そして「個人の尊厳を重んじ」を謳う『教育基本法』が制定されたのでした(2006年の第一次安倍内閣による改定後もその点は変更なし)。

  したがって、『教育勅語』をこどもたちに仕込む教育は、主権在民の民主政の下では出来ないのです。そういうことをする教育機関を文科省が認可するのは、明白な憲法違反であり、不可能です。

 ここに、今回の森友学園問題の中心があります。

 8億円云々というレベルの話とは次元を異にする大問題なのは、敗戦後に、主権者を国民とする新憲法を制定し、近代民主主義国家として歩んできたはずの日本という国のカタチを揺るがす点にあります。

 陳情を受けた鴻池元大臣は、「森友学園の教育勅語の教育は素晴らしい」と述べていましたが、それは、公人として到底許されることではないのです。首相や首相夫人も同じで、「教育勅語」を支持・礼賛することは、民主政国家であれば、出来ないのです。

 同じ敗戦国のドイツで、もし「戦前思想」を喧伝したり称揚すれば、思想的罪となり、以後、公職につくことはできなくなります。
 日本は、「ポツダム宣言」を受諾して敗戦し、その後に主権在民の民主政国家として、「個人の尊厳」に基ずく国づくりを自国の国民と他国に対して約束したのですから、それと背反する思想原理により教育や政治を行うことは、根本的に禁止されているのです。

 これを弁えない人は、公務員(議員や官僚など)にはなれません。 

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員「日本国憲法の哲学的土台」を講義)


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