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岸田首相の背景・ワールドメイトとパシフィックフォーラムCSIS

2022年08月13日 | 人物

岸田首相のWikipediaの内容が、だいぶ改ざん(編集)されているようです。

岸田文雄 - Wikipedia

 

削除されたものの中の一つは、おそらくこちらの記事を編集したものだったと思います。

岸田首相が政治家になったのは「差別」問題がきっかけだった | 日刊SPA! (nikkan-spa.jp)

ウィキペディアに乗っていたのは、この部分から。

こうした理念を持つようになったきっかけの一つが、子供時代にアメリカで経験した人種差別です。1963年に父親の仕事の都合でニューヨークに移住した岸田首相は、小学校1年生から3年生までの3年間を現地のパブリックスクールで育ちました。クラスには白人、黒人、インド人、韓国人など様々な人種の子供たちがいて、教室の壁には「差別は駄目ですよ」という標語が貼られていたと言います。 「差別は駄目だ」と書くのは、そこに差別が存在するからです。クラスで動物園に行った際、「二列に並んで隣の人と手を繋いで」という先生の指示に従おうとした岸田首相は、隣にいた白人の女の子に手を繋ぐのを拒まれました。最初は意味がわからなかったものの、すぐに自分が差別されていることに気づいたと言います。その時のことについて、彼は次のように振り返っています。 「分け隔てなく遊んでくれる白人の子がいる一方で、動物園で手をつなぐことを拒否したあの一瞬の表情が記憶から拭えません。 やや大仰に言えば、このことが、私が政治家を志した原点とも言えます」。  やる気や心構えは人間関係を意識した時に生まれます。単にお題目として「差別はよくない」と唱えても、そのために行動できるようにはなりません。誰かを相手にして自分自身が経験したり、他人の体験談に共感するからこそ、その時に込み上げてきた感情がエネルギーになって行動できるようになります。岸田首相はそれを小学生のときに経験したのです。

この続きはウィキペディアにあったかどうかわかりませんが、こちらで、岸田首相がお世話になったという岩屋毅議員のカンボジア難民キャンプボランティアが気になりました。

岸田首相が政治家になったきっかけはこれだけではありません。早稲田大学に進学した彼はそこで防衛大臣などを務めた岩屋毅衆議院議員と出会います。この岩屋議員について、岸田首相は「岩屋と知り合ったことで将来の選択肢に『政治家』が現実味を帯びて加わった気がします」と記しています。  学生時代の岩屋議員はカンボジア難民キャンプボランティアに行ったり、鳩山邦夫の選挙を手伝ったりする行動派でした。大学卒業後も就職はせず、選挙を手伝った鳩山邦夫の秘書になりました。その6年後には最年少の29歳で地元の大分県で県議会議員になり、さらにその3年後には衆議院議員選挙に挑戦して初当選を果たしました。  一方、岸田首相は銀行や証券会社や商社を相手に就職活動を行い、結果的に日本長期信用銀行に就職しました。自分とは異なる道を行く岩屋議員について岸田首相は、「『岸田、オマエも早くこっちに来い』。岩屋の波乱万丈な人生を横で見ていると、そう言われているような気になったのです」と振り返っています。  また、岸田首相の父親である岸田文武は衆議院選挙で5回当選した政治家でした。岸田首相は大学時代と銀行マン時代にこの選挙活動を手伝っています。そして、この選挙運動を通して日本の政治の現実に触れたことで政治家を目指すようになり、長銀を辞めて父親の秘書になりました。その後、65歳の若さで父親がなくなり、その地盤を受け継ぐ形で政治家になりました。いわゆる世襲議員です。

カンボジア関係では、ワールドメイトのこともあって。

岸田首相の現在と外相時代・ワールドメイトと自民党の関係は? - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

気になってこの議員さんと教団の名を検索してみたら、パシフィックフォーラムCSISというものが出てきました。

パシフィックフォーラム CSIS - Wikipedia

パシフィックフォーラム CSIS(Pacific Forum CSIS、パシフィック・フォーラム・シーエスアイエス)は、戦略国際問題研究所(Center for Strategic and International Studies, CSIS)の環太平洋支部[1]。

1975年に独立シンクタンク「パシフィック・フォーラム」として設立され、その後ワシントンD.C.に本社を置く民間シンクタンク 戦略国際問題研究所(CSIS)に吸収合併されるかたちで、そのアジア太平洋部門となった。

概要
1975年に、武装紛争から脱却するための外交政策の研究部門として、リアアドミラル(英語版)・ロイドR. ジョー・ヴェイシーにより設立された[2]。

ホノルルを拠点とし、アジア太平洋地域の学術組織、政府組織、企業などのリーダーと協力して政策討論や分析を行っている。政治、安全保障、経済および海洋政策問題の協力的政策の活性化に重点をおいている。

理事会共同議長は、リチャード・アーミテージとジョセフ・ナイ。理事長はラルフ・コッサ。日本在住の理事として、半田晴久(神道系新宗教ワールドメイト教祖の深見東州)、宮内義彦、稲盛和夫が在籍している[3]。

日本の団体では、田中伸男が会長を務める笹川平和財団がフェローシップ・プログラムの助成事業を[4]、星岳雄が理事長を務める東京財団が公開セッション等の共催を[5]行っている。理事の半田晴久が総裁を務める世界開発協力機構とは、『WSD半田フェローシップ・プログラム』を共催している[6]

参考:

SDGsピコ太郎動画や‟クールジャパン”-世界連邦運動とも無縁ではない‟ワールドメイト”という新興宗教団体 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

岸田文武 - Wikipedia

ワールドメイトは「大本系」と言われているようです。

貞明天皇とエスペランティスト-柳原白蓮~出口王仁三郎 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

エスペラントを広めた大本(→愛善苑)と世界連邦・新興宗教とNPO - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

エスぺランティストたちと世界連邦主義者と満州 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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