現代は鉄文明を謳歌しています。鉄文明の始まりは紀元前14-15世紀、小アジアのヒッタイトであると高校時代に世界史で知りました。ところが「鉄文明の始まりは紀元前約2000年のトルコである」と改めなければならない新たな発見が最近ありました。<o:p></o:p>
それは東京都三鷹市にある中近東文化センターが調査しているトルコのカマン・カレホユック遺跡で紀元前約2000年の地層から出土した小刀と鉄滓(鉄を生産する際にでる滓)から鉄器の製造が証明されたことです。<o:p></o:p>
ヒッタイトは鉄製の武器で武装した強力な軍事力を背景にしてエジプトとメソポタミアの間に大帝国を築きました。中国においても鉄器が登場するのは紀元前7世紀頃であり、戦国時代の紀元前4世紀に普及したと言われています。日本にも丁度その頃、即ち弥生式時代の中期から末期に伝わったとのことです。<o:p></o:p>
ところで晩唐の詩人、杜牧の七言絶句「赤壁」にも戦の主役である鉄の武器のことが出ています。<o:p></o:p>
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折戟沈沙鉄未銷<o:p></o:p>
自将摩洗認前朝<o:p></o:p>
東風不与周郎便<o:p></o:p>
銅雀春深鎖二喬<o:p></o:p>
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折戟(せつげき)沙(すな)に沈んで鉄未だ銷せず<o:p></o:p>
自(おのずから)摩洗を将(も)つて前朝を認む<o:p></o:p>
東風 周郎が与(ため)に便ならずんば<o:p></o:p>
銅雀春深うして二喬を鎖(とざ)せしならん<o:p></o:p>
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折れた戟(ほこ)が岸の砂にうずもれて、その鉄がまだすりへっていない。<o:p></o:p>
ああ、これはあの頃(208年 赤壁の戦)のものだとわかった。<o:p></o:p>
東風がもし呉の周瑜のために味方をしてくれなかったならば<o:p></o:p>
二人の喬姉妹は曹操に捕らえられ、春深い頃、銅雀台にとじこめられて<o:p></o:p>
いたであろう。<o:p></o:p>
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「三国志」で有名なこの「東風」は諸葛孔明が予言した通りに吹き、周瑜将軍の火攻めにより、魏の大兵船団が焼き尽くされました。周瑜は、気象までもあやつる孔明の軍略に驚嘆し、孔明が軍師として呉にいるうちに孔明を亡きものにしようとしましたが果たせませんでした。<o:p></o:p>
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この詩にもあるように紀元200年頃の武器の主役は鉄であることがわかります。<o:p></o:p>
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