yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

前朝の遺臣は二君に仕えず

2022-12-16 06:25:15 | 歴史
「忠臣不事二君」という言葉があります。前朝の遺臣は新王朝に仕えないという意味です。幕臣で明治政府に任官しなかった人々。代表的なのが福沢諭吉、古賀謹堂、そして高橋泥舟、木村芥舟、栗本鋤雲、箕作阮甫などですが、皆、清貧で、潔くさわやかな生涯を送りました。これらの人物と対極にあったのが勝海舟と榎本武揚です。後年、福沢諭吉が「丁丑公論」において勝海舟等を公然と非難したのは良く知られています。勝海舟は、「行蔵(出処進退)は我に存す、毀誉(他人の論評)は我に与らず、関せずと存じ候。」すなわち、己の行動はおのれの責任、自分への評判は自分があずかり知らないことである、という意味でしょう。わかりにくい釈明であり、不肖には誠実な応答をしているとは思えません。
福沢諭吉は榎本武揚に対しても公然と批判をしました。澁澤榮一の元主君はやはり、徳川慶喜公であり、榮一は新政府の財政を担当しましたが、その功績があまりに偉大であったためか、二君に仕えたと非難されたという話は聞きません。

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