イスラエル北部のネタニヤ地方で、去る6月7日に、第2次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害から救うためにユダヤ人に「命のビザ」を発給した日本人外交官、杉原千畝(1900~1986)の名を冠した「スギハラ通り」の命名式がありました。没後30年を記念する事業で、四男でベルギー在住の伸生(のぶお)さん(67)も出席。「とても誇りに思う。若者たちの将来の道につながればいい」と語りました。伸生さんは杉原のビザで命を救われた人とも面会。旧ソ連経由で福井県敦賀港に船で逃れたニナ・アドモニさん(83)は、「杉原がいなかったら今の私は無い。感謝の気持ちでいっぱいです」と話しました。
杉原は大戦中にリトアニア・カウナスの領事代理を務め、2139通の日本通過ビザを発給。家族ら約6千人の命を救い、「日本のシンドラー」と呼ばれました。ネタニヤ地方には、杉原が発給したビザで命を助けられた人や子孫らが多く住むとされています。伸生さんは、「父は『有名になりたくない』と言っていた。子供の教育に役立てばいいが、下手に英雄扱いはしてほしくない」と述べています。なお、日本の研究者やイスラエルと縁の深い関係者らと共に、史実を研究するNPOを年内に立ち上げる予定だそうです。
杉原は大戦中にリトアニア・カウナスの領事代理を務め、2139通の日本通過ビザを発給。家族ら約6千人の命を救い、「日本のシンドラー」と呼ばれました。ネタニヤ地方には、杉原が発給したビザで命を助けられた人や子孫らが多く住むとされています。伸生さんは、「父は『有名になりたくない』と言っていた。子供の教育に役立てばいいが、下手に英雄扱いはしてほしくない」と述べています。なお、日本の研究者やイスラエルと縁の深い関係者らと共に、史実を研究するNPOを年内に立ち上げる予定だそうです。