yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

将の将たる器

2014-08-02 05:19:00 | 文化
漢の高祖、劉邦は、若い頃、田舎の酔っぱらいで好色な親分肌の人物でしたが、百戦して百敗を喫するような強敵、項羽を倒して漢帝国を興しました。その原動力は人望や懐の広さでした。ある時、劉邦が家来の韓信に問いました。
「そちは数百万の将兵を一糸の乱れもなく統率して百戦百勝するが、わしはどれくらいの兵を率いて統率できると思うか?」
韓信曰く、「陛下は将軍の力量で言えば1000人の隊長がせいぜいでしょう。私は10万でも
100万でも、多ければ多いほど自在に扱えます。」
思わずムッとする劉邦に向かって、韓信曰く、「しかし陛下はそうした将軍を使う将の将たる器なのです。」
後々の劉邦の言葉に次のようなものがあります。
「帷幄(いあく)で作戦を練り、千里の遠くにいる敵を打ち破る手腕は張良(ちょうりょう)には及ばない。国内をよく治め万民を撫育する才能では、私は蕭何(しょうか)には及ばない。戦場で必ず敵を撃破する能力では韓信には及ばない。この三人は天才なのだ。しかし、私には彼らを超えた才能がある。それはこのような天才を使いこなすという能力だ。項羽にも范増という良臣があったが、そのひとりも使いこなせなかった。だから項羽は敗れたのだ。」
 日本の歴史を見ると太閤秀吉にも似たところがあります。
  また、日本型将帥の典型と言われる西郷隆盛や大山巌も、区々とした事項は有能な部下に任せて存分にやらせ、責任は自分がとり、重要な決断だけをするという将でした。さて現代、将に将たる人物はいるでしょうか。有能な参謀や官僚を使いこなして、かつ、大方針を誤らない指導者を待望します。
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