yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

パワードレッシング

2011-03-02 06:16:20 | 将棋
服装に無頓着な私には似合わない話題です。中平氏の著書によれば、常磐新平氏のエッセイ「男の服」にこんなことが書いてあったそうです。

よせばいいのに、私(常磐)はパワードレッシングの話を始めた。早速、山田さんは訊いた。「それは精がつくサラダの新しいドレッシングですか。」「いや、出世するための服装のことだ」と私は説明した。「その話を聞きたい、どうせ僕、出世できないんだから」と山田さんは笑った。「僕もそう」と鈴木さんが同調した。
会社で仕事をするなら地味なスーツがいい。そういう話を安い酒場でしていた。すると離れたカウンターにいた中年男が声をかけてきた。彼はグレイの地味なスーツを着ていて、自分の
襟に手をやって「この私を見てください。これがパワードレッシングです。」と言った。みんな笑いだし女主人も笑った。「でも、僕は出世できないなあ」とグレイのスーツ男は溜息まじりで言った。「この世の中は出世できない男のほうが圧倒的に多いんですよ。99%の男が出世できないんじゃないですか。」と山田さんが同調した。鈴木さんはこう言った。
 「そのパワードレッシングというのは、仕事ができる服装と解釈したらどうですかね。僕は
出世に縁がないけれど、仕事はしたい。仕事ができるだけで、僕は満足だな。負け惜しみのように聞こえるかもしれないけれど。」

 常磐氏のエッセイはこう締め括っています。
「負け惜しみには聞こえなかった。とてもいさぎよく聞こえて、しみじみとした気持ちになり、酒がいちだんとおいしくなった。」エッセイ集の題は「そうではあるけれど上を向いて」と言います。

 どの世界でも、光のあたるトップは数限られた存在であり、大部分は日蔭にいます。無数の下積みの人々の上に数少ないトップがいる。下積みの多くの人たちがいるからこそ、トップは輝く。野球に代表されるプロスポーツ界しかり。将棋界はもっとひどいそうです。新聞にいつも載る人たちは数十人。あとは黙々と将棋を指すが、その棋譜は日の目を見ずに生産されていきます。新聞にも載らず、倉庫に保管されていく。一応記録なのだが誰も並べないし、あまり関心も持たれない。そして多くの棋士は、八段を目指すという希望よりも、順位が落ちる心配を常に背中にかついで、死にものぐるいで戦っています。荒い息づかい、嘔吐し、血尿を出し、目は焦点を失い、頬はげっそり落ち、駒持つ手は震え、負けた明け方に一人泣く酷薄な順位戦を戦って。そして報われない。これが多くの棋士の人生だそうです。こうした棋士を描いた本があります。
 今やテレビの時代。画面に出てくる多くの人がパワードレッシングです。パワードレッシングの主たる目的は、キャリアや能力を誇示するものであり、パワードレッシングは当然のことなのでしょう。私は、服装は身の丈にあったものを着て見苦しくない程度で良いと考えていましたが、そこから一歩踏み出してお洒落をし、自分を鼓舞し、アピールしようというパワードレッシングの、上を向いていく積極的な生き方にも共感できます。
 その最たるのは島朗(あきら)元竜王です。竜王位を獲得した時、その優勝賞金三千八百万円をはたいて高級ブランドのスーツを新調したということです。


中平邦彦著「棋士ライバル物語」主婦と生活社
コメント
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