山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

起きて半畳、寝て一畳

2015-05-14 03:42:34 | 宵宵妄話

、2階の入替引越が終わって、まもなく半月になろうとしています。まだ残務整理は残っており、なかなか落ち着きません。新しい書斎の場所も、運んできた本はとりあえず本棚に入れたままだし、それを整理し直すという気にはなかなかなれないのです。人間には「その気」というやつが不可欠で、どんなに簡単なことでも、「その気」にならなければ、現状を変えることはできなのです。今のところ、この「その気」がなかなか込みあがってこないのです。

 何しろ絶対スペースが大幅に減少した上にレイアウトもインテリアの考え方も違う造りだったので、これを克服するのは大変なのです。今まで10年も同じ屋根の下に暮らしていたのに、2階へは殆ど上がったことがなく、今は改まってその違いの大きさに驚いているところです。自分の方は書斎のことだけ考えれば、何とかなるのですが、家内の方はそうはゆきません。何しろ彼女は物持ちなのです。特に衣類は彼女のこだわりの世界で、気にいったものを超大事にする性格なので、「捨」の対象となるようなものは皆無に等しいのです。「思い切って捨てたら?」などと言うものなら、彼女の心を破壊するほどに脅かすこと甚だしきことになってしまいます。結婚以来、衣裳類のことについては、未だ一言もコメントしたことがありません。これは彼女の聖域の世界だと思っているからです。

 今回は絶対的なスペース不足の引越しなので、彼女の頭の中では、使える空間がどれほど生み出せるか、連日相当にその収容の方法について格闘して来ているに違いありません。何種類かの新しい収納用具を購入したりして、その労苦は半端ではないことが解ります。ゴミに出来ないものを宝物というのであれば、彼女の着衣類はまさに宝物その物であって、鉱石・金属類と変わらないほどのものなのです。

 引越しとなると、費用はつきものですが、今回も結構な出費となりました。1カ月の旅費用を超えるほどかもしれません。ついでに新しくしたものもあって、冷蔵庫や電気釜などはかなりの値段でした。これらは、この世におさらばするまで使い続けるのだから、ま、いいかなどと言いながらの買い物でした。あと十数年は気分よく使って行くつもりであり、このような投資もやむを得ないのかもしれません。

 家内のインテリアへのこだわりも相当なもので、今までも何かと不満を抱きながらもそれなりの工夫で小さな納得を積み上げて来たのですが、今回はまた一から出直しということになりました。部屋の基本的なレイアウトや色彩等が異なっているので、それらに慣れるというのか、諦めるまでにはかなりの時間がかかるに違いありません。倅などの側からは理解に苦しむ話なのかもしれませんが、人生の終盤まで持ち続けて来た彼女の価値基準の世界を壊すことはできないのです。これは倅たちにも理解して欲しいのですが、難しいことでありましょう。

 ところで、自分の方ですが、なかなか「その気」が湧いてこないのはともかくとして、もう七十路の半ばまで来ていることを思いますと、ダウンした暮らしのことを思って悩み煩うことは止め、現状を楽しむ方に舵を切ることにしたいと思うに至りました。「起きて半畳、寝て一畳、天下とっても二合半」という箴言がありますが、これを根に据えることにしました。一人の人間が本当に必要とするのは、たった半畳の空間であり、一畳の平面、それに一日二合半の食い扶持に過ぎないのです。人はこのささやかな基準をやたらに膨らませて満足を得ようとしています。そして、その欲望に我を忘れて、不要なストレスに悩まされたりしているわけです。その欲望を否定したりはしませんが、それがどのような形で満たされようとも、暮らしの根っこはこの箴言通りなのだというのが、人間の暮らしの本質のような気がします。

世捨て人ではありませんから、このような暮らしをしたいとは思わないのですが、暮らしの根っこに、この考えを据えておけば、どんな状況が到来しても心が折れることはないだろうと思っています。今は、家内には通じない無理な話だと思いますが、もう少し経ったら現実の我執や妄執から離れて、この箴言の意味することも考えてみて欲しいなと願っています。

いまだ引越しの後遺症がくすぶっている現況の心模様の一端でした。

コメント (1)
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