3月の中頃に倅からの申出でにより、1⇔2階の入替引越しを決めて以降2カ月近くが経過し、昨日ようやくその引越しのメインイベントである専門業者による大物家具類等の移動が終了しました。3月以降は「断・捨・離」の修行に明け暮れる日々が続いており、書籍を初め身辺の小物類の処分もかなり進んで来ていたのですが、何しろメインの大物類を移動させない限りは暮らしの場所は変わらないわけで、それがようやく昨日終わったという話なのです。
この家を建てて早や12年目を迎えようとしているのですが、2階に上がることは殆どなく、泊ったことなど一度もなかったのです。同じ屋根の下とはいえ、昨夜が初めてのことであり、何だか不思議な感覚でした。これからはここでの暮らしが始まるわけですが、落ち着くまでにはかなりの時間がかかりそうです。というのも、1階は老人向けに自分たちの意向を中心に作ってあるのですが、2階は倅の意向で若向きに作ってあり、面積も少し狭いのです。従って台所も風呂も収納量もより小さくなり、先ずは物品の収納に頭を悩ませています。又今までのIHもガスに変わり、いわゆる老後の暮らしの安全対策等もこれからは発想を転換させなければならず、全ての行動において油断は禁物となります。改めて、こりゃあ覚悟してかからねばなるまいと思ったのでした。
自分の人生では、これが16回目の引越しとなりますが、過去これほど引越しの厳しさというか、煩わしさを味わったことはなかったように思います。たかが1階から2階への移動だけなのに、ここ数日間の運搬のための歩数は、万歩計で連日2万歩を超えており、3万歩を超える日もありました。距離にすれば平地の歩きよりはずっと少ないのでしょうが、階段の上り下りの運動は、一日が終わるとバタン・キューであり、結構効いているのを実感します。ここ数日メインイベントを控えてチマチマと運搬を続けており、歩きの方は休んでいるのですが、それ以上に鍛錬に役立っているのを実感しています。
それにしても、まあ、何と不要不急品の雑物の多いことか!我ながらあきれ返るばかりです。今回の引越しでは、自分は書斎関係だけを担当し、その他は家内の担当となっているのですが、書斎に係るものだけでも、本以外にも様々な雑品に溢れており、しかもそれらの一つ一つに思い出が籠っているため、「断」の前にたじろぐ時間の連続です。結局捨ててしまえば、どんなに高価なものであっても、その瞬間からただのゴミとなってしまうのであり、たとえ鉛筆一本であっても、ゴミにするかどうかには相当の覚悟が必要です。というのも、捨てるものが多ければ多いほど、何だか自分の人生はゴミを集めて貯め込んでいただけの人生だったのか、と思うようになるからなのです。そのような感慨を抱きながらのここ2カ月近い毎日の暮らしなのでした。
ま、何はともあれ昨日からは新しい暮らしの出発だ!と考えることにしました。老人になり果てて2階への昇降が叶わなくなった時には、再度1階への移動があるのかもしれませんが、その時はその時として何とかなるのだろうとタカを括ることにしました。そのような未来をあれこれ思い悩むよりも、これからの2階での暮らしを目一杯楽しんでやろうと思うことにしました。今回の引越しで悟った最大のものは、「人生というのは、ゴミとなるものを求め、愛し、そして最後は己自身もゴミとなる」ということです。
もうしばらく移動後の整理が続くことかと思います。くるま旅の方はそのあととなりますが、6月の佐渡行が楽しみです。一段落したら、スケジュールの作成などの前楽のステージに入りたいと思っています。もうしばらくは「断・捨・離」の修業が続きます。