山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

安曇野の魅力

2011-05-21 05:05:40 | くるま旅くらしの話

 昨日に引き続き、NHKの朝ドラ「おひさま」の影響で思い出した安曇野の景観をほんの少し紹介したいと思います。これはくるま旅をする者の特権のようなものかも知れません。以下に何枚かの写真を紹介しますが、これは2009年の4月上旬に親友と二人で安曇野の旧穂高町にあるもう一人の知人の別荘を訪ねた時の安曇野の印象の一部です。 

信州安曇野へはもう何度も出かけているのですが、実のところは腰を落ち着けてというのではなく、途中下車という感じでせいぜい1~2泊程度の探訪ですから、まだまだ安曇野の本当の魅力を知っていないし、又堪能しているともいえないと思っています。今度行く時には、もう少し腰を据えて安曇野を歩いてみたいと思っています。

 安曇野といえば、真っ先に思い浮かぶのは、そのスケールの大きな景観です。松本盆地の東西には高山の連なる巨大な壁があり、特に西方の日本アルプス(北アルプス)の穂高や槍あるいは常念岳などの聳え立つ景観は、日本有数のものだと思います。これらの山々は四季を通じてそれぞれの持つ魅力を感じさせますが、安曇野といえば、やはり常念岳が一番身近な山ということになるのでしょうか。穂高も槍も少し遠くて見上げるのは無理ということなのかもしれません。私の場合は、いつも「アルプス安曇野ほりがねの里」という長い名称の道の駅にお世話になることが多く、ここからの山の景観といえば常念岳が一番ということになります。特に4月ごろの冠雪の山の姿に一際(ひときわ)神々しさを感ずるのは、私だけではないのではないかと思います。

  

道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里の裏にある公園から常念岳の方を見る。桜の花とこぶしの花が眠りから覚めようとしている春の山を際立たせているかのようだった。

 

 次に安曇野で思い浮かぶのは清流のイメージです。アルプスの山々の雪解け水は梓川をはじめ幾つかの河川を流れ下って早春の松本盆地を犀川に向かうのだと思いますが、これらの中で清流として一番印象に残っているのは、大王わさび園に引き込まれた流れです。これは人工的に作られたのだと思いますが、ここの流れは普段上澄みの清流を錯覚して見ているような暮らしをしている者には、息をのむほどの澄んだ清らかさです。川の中には水藻が揺れて、バイカモ(=梅花藻)の花が揺れる様は、なぜか日本という国の原点の一つがそこにあるような気持ちとなって、自分の心も澄んでくる感じがするのです。安曇野の水の流れといえば、私の場合は今のところこのわさび園の清流が一番です。

 

  

 

  

安曇野市御法田にある大王わさび園の景観。上は清流を力に廻っている水車小屋。下は日本一といわれるわさび田の広がる様子。ここのわさびは、辛さの前に甘さが目立つ。

 

 それから信州といえば塩の道が有名です。塩の道というのは、山国の信州まで塩を運んだ街道の総称みたいな呼び方で、日本海側からは千国(ちくに)街道、太平洋側からは三州街道があり、この二本の道が合流したのが塩尻という所だったといわれています。安曇野は新潟県側からの千国街道の通るエリアにあって、この街道を通る人たちの旅の安全やそこに住む人たちの幸せを祈る道祖神信仰が盛んであり、今でも数多くの道祖神を見ることができます。TVの「ひまわり」にも何度か道祖神が出て来ていましたが、これを訪ね歩くのも旅のテーマの一つとして良いなと今思っています。次第に心を惹かれて来ており、ついに今年は我家の玄関にも道祖神に来てもらっています。

 

  

塩の道の道祖神の一つ。これは千国街道沿いにあったものを幾つか集めて穂高神社の境内に展示してあるのを撮ったもの。道祖神の多くは男女の睦まじい姿が刻まれており、真に暮らしの原点を示している感じがする。

 

 TVの「ひまわり」では、有明小学校というのが出てきますが、私の知人のNさん夫人は、旧穂高町の有明山神社近くに実家があり、そこに御厄介になったことがあります。もしかしたら彼女のお母さんは陽子先生とは知り合いだったのかも知れないな、などと思いながらTVを見ています。北アルプスは一列に高山が並んでいるのではなく、幾重にも山並みが走っていますので、平地に住む人からは全体を展望することはできません。一番手前の側の山を見上げることとなります。その山の一つに有明山があり、これは富士山をより直線的に描いたような山容をしている2000mを超える高山です。この山を祀ったのが有明山神社で、これは現存しています。有明小学校というのは、ですから、この近くにあったに違いなく、もしかしたらまだ残っているのかも知れません。そう思ってネットで調べて見ましたら、そのような校名の小学校はなく、旧穂高町エリアには、穂高南と穂高北の二つの小学校があるとのことですから、このどちらかが前身だったのかもしれません。ま、TVのドラマのことを真に受けて調べるなどというのは何か見当違いの行為のようにも思えますが、偶には暇にまかせてやって見るのも面白いものです。いろいろなことが見えてくるものです。

 

  

有明山神社の山門。今は訪れる人も少ないようだったけど、往時は在所の人たちの信仰の中心となっていたに違いないなと思った。立派な彫刻が見られた。

 

 今頃信州へ行ったら、新緑が眩しいだろうなと、旅ごころが疼きます。北海道行を来月に控えていますので、信州へは秋にはと思っています。安曇野の野菜類は抜群です。実りの秋の恵みを頂きながら、素朴な道祖神様たちを探し訪ねたいなと思っています。

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