一昨日(2/11)甥の結婚披露パーティがあり、水戸の会場へ出向きました。正月来の水戸行でした。ついでにちょっと足を延ばして、近場の温泉などを訪ね、浸って来ました。この頃は、隙あらば旅に似た振舞いをしようとチャンスを狙っています。
ところで今日はその結婚披露パーティで感じた話です。私の兄弟姉妹は五人で、三人の弟と一人の妹がいるのですが、それぞれ二人ずつ子供が居り、私には四人の甥と四人の姪がいます。今度結婚したのは、妹の長男でした。最近は概して婚期が遅くなり、二十代での結婚は少なくなりつつありますが、結婚した甥は三十代に入ったばかりですから、今時としては遅くはないといったところかも知れません。いずれにしても、母親である妹はホッとしたことでありましょう。
久しぶりにスーツを着てネクタイを締め、洋食のコース料理を楽しみながらの2時間でしたが、いろいろ考えさせられることが多い時間でした。サラリーマンを辞めてからは、ネクタイを締めることのない生活に徹しようと努めて来た所為なのか、やや窮屈な時間でもありました。久しぶりに親族の集る時間でもあり、その関係などについて思いをめぐらしたのでした。
私は伯父にあたるわけですが、今のところまでは伯父としては名ばかりであり、実質は全くの失格者だと思っています。甥が生まれてこの方30年の間に顔を合わせたのはほんの僅かで、親しく話したこともありません。というのも、甥が生まれた頃は遠く四国に住んでおり、滅多に帰郷することもなく、帰郷しても父母の所にちょっと顔を出してとんぼ返りで、甥の家に立ち寄ることも殆どなかったのでした。何しろ四国と九州と合せて12年間も遠くで過ごし、ようやく郷里と近くなったとはいうものの、その後も千葉や川崎などに住んでおり、同じ県内の直ぐに行ける場所でもないため、甥や姪たちのことを考えるまもなく時間が経ってしまったのでした。
今ならば幾らでも時間があり、いろいろ話をすることもできるのですが、名前くらいしか知らない伯父さんと話をするとしても、何だか違和感があるのは当然であり、甥や姪たちから見ればキモイジジイとなってしまうのでありましょう。というわけで、伯父といえば冠婚葬祭の時にだけ会うあの人、ということになってしまっているのだと思います。これはもはやどうすることもできない人間関係なのかもしれません。
考えてみれば、自分たちが育った頃の親族関係と現在のそれとでは、私共以外の世の多くの家族においても、大きく変化しているのではないかと思います。その変化の本質は一言でいえば「限りなき薄弱化」なのではないかと思います。親類という特別の思いが次第に薄く、弱くなりつつあるといえるのではないかと思うのです。その理由というか原因には二つあって、一つは居住地の分散・多様化であり、もう一つは個人主義の蔓延ではないかと思っています。
居住地の分散・多様化は、時間・空間的に人間関係を分断化させる環境を呈することになり、相互の家族の交流が少なくなって弱まることにつながるのは、容易に考えられることです。これを乗り越えるには、よほどの絆の強化が必要であり、そのニーズを強く感じ行動に移す誰かが親族の中に居ないと実現できないことだと思うのです。私共の親族(と言っても僅かに5人の兄弟とその子供10人に係わる関係だけなのですが)では、その様なリーダーが居なかったということでありましょう。本来なら長男である私自身が旗を振らなければならないのかも知れません。しかし故郷を一番遠く離れている者が旗を振るというのは如何なものかという考えが私には常にあって、今日に至ってしまいました。
もう一つの個人主義の蔓延というのは、些かオーバーな感じもしますが、別の言い方をすれば家族主義の崩壊ということかも知れません。私は日本の現在の個人主義のかなりの部分は、社会を無視した幼稚な自己中心主義に過ぎないのではないかと思っています。本質的に人間は誰でも自己中心に生きる存在だと思いますが、本物の個人主義は社会とのかかわりを明確に意識し、その責任と義務を果たすものでなければならないと思います。例えば選挙における投票行動などを見ていると、棄権者の多くは政治につべこべ文句をいいながら、投票したい人がいないから棄権するのだなどと、社会人としての役割を愚弄するような幼稚な理由で責任と義務を放棄しているケースが多いのです。
今の世の中には、老若男女を問わず「関係ない!」という言葉がいたるところに吐いて捨てられていますが、本当のところは「自分とは関係ない」というような現実は極めて少ないのではないかと思うのです。兄弟どころか親子の関係においても、「関係ない」という言葉は時々耳にすることがあり、何故なのか、本当にそうなのか、その真偽を確かめる必要があると思っています。
少し脱線しましたが、元に戻って、この二つの原因が様々に作用して親族間の絆を弱めていることは確かではないかと思うのです。名ばかり伯父、名ばかり甥、名ばかり姪といった関係を少しでも改善するためには、名ばかり兄弟姉妹とならない様にすることから始めなければならないのかなと思いました。甥や姪との関係を思う前に、その親である我々の兄弟姉妹関係をもっと強いものとしなければならないのではないかと、思った次第です。一番下の弟を除いては、もう皆それぞれに現役をリタイアしている状況にあり、時間を持て余すことが多くなるこれからですから、時々は集って兄弟関係の修復(?)を図ることも大切なのではないかと思ったのでした。そうすることが甥や姪たちとの関係をもっと良いものにする上で役立つのではないかと思った次第です。
話はこれで終りなのですが、ついでにもう少し脱線して甥を元気づけたいと思います。この甥は、私の高校の後輩なのです。我が高校は創立130年を迎える県下の名門(?)校であり、多くの人材を輩出していますが、私のような単なる馬の骨も中には居るわけで、甥には馬の骨にはなって欲しくないなと思っています。
広辞苑を引くと、甥の先祖の名前が出てきます。会沢正志斎というのがその名前です。辞書の用語は簡略体で書かれていますが、本当は「會澤正志齋」と書くのが正しいのだと思いますが、辞書の用字でまあ良しとしましょう。会沢正志斎とはどのような人物だったのかといえば、幕末近くの様々な騒乱に関心がある人ならば、どこかで耳にした筈ですし、儒学に関心のある人ならより身近にその人となりをご存知かも知れません。幕末の水戸の思想家といえば、先ず第一に藤田東湖が有名ですが、会沢正志斎はその東湖の父親の藤田幽谷に学んだ俊才です。幕末の尊皇攘夷思想は、結果として敗北したわけですが、維新のエネルギーとしては強大なものがあったと思います。そのエネルギーの根源となる思想の提唱者の一人として、会沢正志斎の果たした役割は大きかったと思います。往時の水戸藩の動向については、私のこれからの知る楽しみの一つであり、今からそのことをここに書いたりするのは止めることにします。
甥は、若しかしたらこのことを知らないのかも知れません。或いは知っていても軽く考えているのかも知れません。何しろ私の妹は、その様なことには無関心だし、その旦那も妹の尻に敷かれて、倅に説教一つもしない男なので、きちんと伝えていない可能性があります。それはある意味で奥ゆかしいということなのかもしれませんが、私としては甥の自覚と奮起を促す意味においても、ご先祖様の人となりとこの国の歴史に果たした事績をしっかり理解しておいて欲しいと思うのです。「関係ねえ!」なんぞという言葉を吐いたりしたら、先輩としては打(ぶ)っ飛ばしものです。
追っ手と切り結んだ刀傷が柱に残っていたりします。