山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

南東北・佐渡・飛越信州の春ぶらり旅(第16日)その2/2

2008-09-28 01:55:10 | くるま旅くらしの話

荘川桜は、ダム建設で地底に沈む集落の二つのお寺の庭にあった桜の老巨木2本を、何とか残そうと往時の技術を駆使して、ダム脇に移植したもので、何度も拝見しているが、まだ花が咲いている所を見たことがない。ところが、今回は何と、なんと今が真っ盛りの満開のタイミングでお目にかかれたのである。

   

 満開の庄川桜。奥の2本がダムに沈む湖底のお寺の境内から移植されたもの。

2本ともアズマヒガンという樹種で、樹齢は4百年とか。ダム建設では、様々な喜怒哀楽入り乱れての事件や問題が錯綜したのだと思うが、それらの昔日の人間の営みを浄化するように、おのれ自らも大きな厄難を被ったにも拘らず、2本の巨木は、美しい花を枝一杯に咲かせて微笑んでいた。もうすっかり桜のことは諦め忘れかけていたのだが、ここで今年の桜の有終の美ともいえる満開の荘川桜に逢えて本当に嬉しかった。

   

 庄川桜の逞しい幹。美しい花を咲かせる源泉は、この逞しい幹の示す生命力にあるに違いない。

更に南下を続けて、今日は忙しい走りの日である。先ずは郡上八幡を目指す。そういえば、平成の大合併で荘川村はとうとう高山市となってしまった。高山市はヤケクソと思われるような合併をして、とうとう日本最大の面積を持つ市となってしまった。人口は10万に満たないが、面積は東京全土よりも広いのである。大きいことは良いことで、行政の効率はどのようにアップするのだろうか。荘川桜のような著名な樹木ばかりではなく、山奥の名もない樹木にまで地域を守る力が及んでゆくのだろうか。人間の考える事はいつも片手落ちのような気がしてならない。それが人間の限界であるのかもしれない。

20分ほど走って、ひるがの高原の分水嶺公園という所に立ち寄る。ここは同じ水源から一方は太平洋へ長良川となって注ぎ、もう一方は日本海へ庄川となって注ぐという、日本列島の背骨の場所の一つである。真に分水嶺というべき場所だ。しばし記念写真などを撮りながら付近を散策。

   

 蛭ヶ野高原、分水嶺公園の分水嶺。左は太平洋に注ぐ長良川となり、右は日本海に注ぐ庄川となる。

ここからは、まさに分水嶺を実感するかのように、今までの登りが一転して、道は下り坂が主体となる。天気が崩れだして時々小雨がワイパーを求めるようになった中を、道の駅:白鳥に到着。初めて寄る道の駅だが、今日は休みのようで何も無い。直ぐ出発。続いて坂を下って平地になってからの道の駅:大和という所に立ち寄る。ここも初めての所。同じ郡上市内ということであるからなのか、この道の駅も休みだった。とにかく郡上八幡まで行ってみることにして、直ぐ出発。

郡上八幡の市街地は、R156から左折してトンネルを潜って直ぐの所に細長く広がっている。邦子どのがこの町に関心が高いのは、勿論夜を徹して踊り続けるという、この地の盆踊りがあるからである。拓としては何故そのような踊りが始まったかを知りたい程度であるが、恐らく阿波の盆踊りと同じように、当時の殿様の思い入れか何かから始まっているに違いない。今日はもう時刻も16時近くなっているので、せめてお城だけでも見ておきたいという考えである。

というわけで、お城の下の駐車場へ。ここからは歩いて、ということにして登り始めたのだが、予想外の急坂で、邦子どのは早くもギブアップ。置いてゆくことにして一人で登ること約20分、かなり汗をかいて本丸に到着。

   

 郡上八幡城。本来の建築物ではないが、それなりに古城の雰囲気をもって、山頂に建っている。

どうやら入場料を取られるらしいので、天守閣には入るのを止めて、周囲から四方を展望する。天守閣でなくてもそれなりに城と町との関係は解る。竹田の岡城ほどではないが、ここも攻めるのには難しい城のようだ。しかし天下に打って出るためには、このような城に留まっていてはダメであろう。平安な治世の世の中では、城下に住む民衆のシンボルとしてはいい感じだと思うが、戦国であれば、守りの城であって、大した影響力は持てないのではないかというのが拓の感想である。それにしてもここまで登って通わなければならない家臣団は大変なことだったと思う。

帰りは10分もかからずに車まで戻る事ができた。この間、邦子どのが何をしていたのかは分らない。近くに公園があり、そこに今NHKの大河ドラマで主人公になっている、山内一豊の賢妻千代と言う人が、この地にゆかりがありということで、銅像が建っていた。ドラマの設定では近江の方の出身となっていたようだが、僅かに400年ほど前のことに過ぎないのに、乱世では、なかなか本当の史実をつかむのは難しいのであろう。果たして千代さんご自身はどう思っておられるのか。

16時半出発。今日の泊りは近くの美並の道の駅にでもしようかと思ったが、R156に面しているらしいので、泊るのには不適であるかもしれない。もしそのような時は、少し遅くなるけど、以前に泊ったことのある美濃加茂にあるテーマパーク「日本昭和村」の道の駅に行くことにして出発。間もなく美並に着いたが、予想通りトラックが多い上に、狭くて長良川も近い。これでは無理だと考えパスする。

関市内で給油して、R418に入って道の駅へ向かう。少し暗くなりかけた18時過ぎに到着。天気は思わしくなく、雨が降り出しそうな空模様である。ここには温泉ではないけど、入浴施設もある。昨日も入っているので、風呂は止めにして早めに寝ることにする。

いつも夕暮れ時にお邪魔しているので、このテーマパークがどのような性格のものかさっぱりわからない。テーマパークでゆっくり遊ぶというような考えを持っていないので、拓の場合は東京ディズニーランドでさえ行ったことがないし、行く気も無い。単純に静かだろうと考えて泊めさせて頂くだけである。もう、心は帰宅モードになっているので、明日も早めにここを出て次の目的地に向かうことになると思う。これについては、邦子どのも賛成のようである。但し東京ディズニーランドのこととなると、彼女の場合は、話は別となるのだが。

夜半から雨が降り出し、本降りとなったようである。

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