山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第107回>

2018-09-09 05:00:17 | くるま旅くらしの話

【今日(9/9:日)の予定】 

道の駅:いなかだて →(R102他)→ 田舎館村田んぼアート見物 →(R102)→ その先未定(十和田湖方面から奥入瀬渓流を経由してR4を南下予定)

 

【昨日(9/8:土)のレポート】 天気:曇り時々晴れ

<行程>

道の駅:なないろななえ → 函館港フェリーターミナル →(津軽海峡フェリー)→ 青森港フェリーターミナル →(K・R7)→ 道の駅:なみおか →(K・R102)→ 道の駅:いなかだて(泊)

<レポート>

 朝になってTVを見ると停電の状況がかなり改善されたようで、ホッとした。何といっても今度の地震災害の中で最大の問題点は、電力のダウン、しかもブラックアウトという事態の発生だった。当初復旧までに1週間もかかるなどと報道されているのを聞いた時は、これは国の威信にも関わるなと思ったほどだった。普段電気の使用についてはさほど問題意識は無いと思うのだが、いざ今度のような事態が発生すると、全く何もかにもがダウンし、機能不全となってしまうことを思い知らされるのである。身のまわりの衣食住に関するあらゆる事柄で電気なしで暮らせるのは、僅かな余裕しかないということを改めて思い知らされるのだ。この教訓を個人も公共体も国も決して無にしてはならないと思う。

 さて、今日は未だフェリーの方は運航ダイヤが乱れていると思われ、港に行っても待ち呆けばかりの状況となるに違いないと考え、もう一日この辺りで過ごして様子を見た後、船に乗るのは明日にしてもいいかなと思っているのだが、邦子どのの考えがどうなのかは判らない。

 いつものように朝の散策に出かけることにした。七飯町は先日郷土歴史館に行ったばかりなので、来し方の情報も多少は頭に入っている。とにかくこの町は農業の開拓の基盤となる七飯官園のあった場所で、農業の近代化の先頭を切った場所であることは承知している。その成果が現在どこに残っているのかは判らないけど、田んぼも畑も豊かな稔りの時を迎えていることは、メイン道を外れて農道を歩くと直ぐに気づくことだ。町の中心街に向かう国道5号線の旧道を歩いていると、両側に立派な赤松が並んでいるのが目につく。中にはここが北海道なのかと疑うほど立派な惚れ惚れするような大木もあって、明治の初め頃にこれらを植えた先人の知恵というか先見の明に頭が下がる思いがした。赤松街道と呼ばれており、樹木の一本一本に番号札が貼られて管理されているようで、この後もずっと生き残ってくれればいいなと心から思った。1時間半ほど歩いて車に戻る。

 昨夜はかなりの台数の旅の車が泊っていたようだ。夜中に断続的に雨が降っていて、朝も路面は濡れたままになっている。空を見ると、雨雲は消えているので、今日は時々晴れ間の見える一日となるのではないかと思った。軽い朝食の後、さてどうするのかと邦子どのの意見を訊いたら、いつものように曖昧な返事だった。ここにもう一日滞在するかについてはどうもあまり積極的賛成ではない様である。こういう場合は、積極的反対と解釈した方が、あとのことを考えると正解になることが多い。ということで、とにかく先ずはフェリー乗り場に行って状況を見ることにした。

 9時になって道の駅の売店で最後の買い物をしたあと出発する。20分ほどで到着して、ターミナル周辺を見ると、駐車場はがら空きで、待機の車など殆ど見えない状況だった。よほど混んでいるのかと思ったのだが、全くの予想外だった。これならどの便かには乗れるのではないかと思い、直ぐにカウンターに並ぶことにした。20分ほど待って、受付をして貰うことが出来た。時刻ははっきりしないけど、12時頃の便には乗れる感じがした。あっさり乗船の可否が決まってしまい、何だかあっけにとられた気分だった。

 そのあと1時間ほど待つと、待機していた場所とは違う乗り場からの乗船となるということで、移動することになった。どうやら12時には出航となるらしい。11時半過ぎから乗船が始まり自分達も船内の駐車指定場所に車を止めて客室へ。あっという間に青森に向かうフェリーの乗客となった。青森までは3時間40分の所要時間である。船内にはコンセントがあるので、しばらくはパソコンを取り出して今までの記録の整理をすることにした。

 その後15時近くまでパソコンを扱っている内に船は早や津軽半島の奥深くまで来ていて、青森が近づいた様である。腰が痛いので、しばらく柔軟体操のようなことをしてデッキに出て見ると、丁度函館に向かう同じ船会社のフェリーとすれ違う所だった。どうやら地震の停電によるダイヤの混乱も収まった様である。間もなく青森港のフェリー乗り場に到着する。乗る時は遅かったのだが、下船は早い方で15時45分には上陸することができた。この上陸も特段望んでいたことではなかったので、何だか北海道の心残りが多いものだった。それにしてもとんでもない出来ごとに遭遇してしまって、全くの想定外の帰還となってしまった。

青森近くの海峡で出会った函館に向かう津軽海峡フェリー。自分たちの船とほぼ同じ大きさである。

 さて、どうするか。先ずは減っている腹を満たさなければならない。今朝はいつもの食パンが手に入らず、くだものを少々とインスタントみそ汁を飲んだだけ。昼は朝方に茹でて置いた枝豆を船の中で少々食べただけなのである。青森からは一番近い道の駅:なみおかに行って何か腹に溜まるものを食べることにした。青森からのR7はいつもの通りの車の流れで、道脇の景色も信号もネオン表示等も消えているものなど無い。コンビニ等も中に入れば棚の中には豊富に食べ物が並んでいるのであろう。北海道の2日前の異常な世界を思い起こしながら、何でもない昨日と同じ暮らしが続いていることの幸せを改めて思った。厚真町や安平町近郊の人たちの暮らしが一日も早く元に戻ることを願わずにはいられない気持だった。

 間もなく浪岡の道の駅に着いて、早速レストランに入る。本当は米のご飯を食べたいはずなのに、どういうわけか二人して五目あんかけ焼きそばをオーダーした。野菜を食べたいという衝動がそうさせたのかもしれない。暖か過ぎて熱い焼きそばは、火傷しそうで食べにくかったが美味かった。腹を満たした後は、ここはリンゴの名産地でもあるので、孫たちへの土産にリンゴなどを少し買い入れる。こうしていると、もはや北海道の旅は完全に終わり、これはもう観光旅行への転換だなと思った。

 そのあとは、今夜の泊り予定の田舎館村の道の駅:いなかだてへ。ここはもう北海道ではないので、くるま旅の泊りの車は見当たらない。車を止めて直ぐに邦子どのはどこかへ消えて行ったが、しばらく経って戻って来てカメラ、カメラと騒ぐので何だろうと思ったら、夕焼けを撮るのだという。外へ出て見ると、お岩木山の陰に沈んだ太陽が、空を真っ赤に染め上げて、大きな山容を浮き上がらせていた。クッチャロ湖の夕陽とは違う重い夕焼けのように感じた。

道の駅:いなかだてから見たお岩木山の夕焼け。電線などが邪魔をしてすっきりしないけど、この地の夕焼けには広さよりも重さを感じた。

夜になっても静かなままに時が流れてゆく。もう一袋残しておいた枝豆を取り出して、二人でビールで乾杯して、取り敢えず無事の本土?帰還を祝う。?

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