山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

二つの雛祭りの町を歩く

2012-02-29 01:46:46 | 宵宵妄話

  来る3月3日は、五節句の一つ「上巳(じょうみ・じょうし)」であり、桃の節句とも呼ばれ、ご存知のひな祭りでもあります。女の児の健やかな成長を願っての、昔からのお祝いの行事ですが、私が育った戦後の頃は、そのような行事が可能な家は殆ど無く、私の家は兄弟姉妹5人の内、男が4人でしたから、たった一人の妹にもひな祭りは無縁のものとなっていました。又自分の家庭でも、二人の子どもはいずれも男でしたので、やはり雛祭りとは無縁の暮らしとなってしまいました。従って、私自身は雛祭りのことは一度も体験したことはなく、せいぜいその日近くになると雛祭りの童謡が流れてくるのを耳にして、(そうか、もう雛祭りか)と思う程度のことでした。

 

今ごろは、一般の家庭の中でこの行事がどのような形で、どれほど行われているのかよくわかりませんが、思うに、このような行事となるとコマーシャリズムばかりがしゃしゃり出て、普通の家ではさほどに祭りなどという気分は少ないのではないかと感じます。何しろ「女らしく」とか「男らしく」とかいうことばが死語となってしまった今の世は、男とか女とかを強調するような行事は時代にそぐわないという感覚が当たり前となってしまったようですから、古い時代の生き残りの方が伝統を守ろうと頑張っている家を除いては、皆他人事として見過ごされているのが現実ではないかと思います。男女同権と男と女は同じという主張を一緒のカテゴリーで考える人には、桃の節句も菖蒲の節句も不平等の典型であって、時代遅れなのだなどというトンチンカンな捉え方になるのかもしれません。男らしさとか女らしさについて、ことさらに議論をする気は毛頭ありませんが、人類にとっては、それはとても大切なことであり、必要欠くべからざるものではないかと私は思っています。ですから、このような行事は日本人としてはとても大切なものなのではないかと思うのです。

 

この頃はこの季節になると、各地で雛飾りのイベントが開催されるようで、その種のニュースが入って来ます。我が家では気が向くままに、近場のそのようなイベントに出掛けることにしています。このところは毎年真壁(茨城県桜川市真壁町)の雛祭り見物に出掛けていますが、今年は真壁を訪ねた後に久しぶりに佐原(千葉県香取市佐原)の雛飾りにも出かけてきました。その感想などを述べてみたいと思います。

 

真壁も佐原も合併で町の名前が変わってしまって、何だかちょっぴり残念な気がします。昔からの伝統を受け継いだ祭りなどの行事は、やっぱり昔の町の名前が出てこないと変な印象を拭えません。あと20年もしたら馴染んでしまうのかもしれませんが。 雛祭りのことを除いても、真壁と佐原には共通しているものがあります。それはいずれも国指定の「伝統的建物群保存地区」であることです。真壁は茨城県唯一の、そして佐原も又千葉県唯一の指定地区なのです。しかし残っている古い町並みは大きく趣が異なり、真壁は在郷町という区分であるのに対して佐原は商家町という区分となっています。このことは町を訪ねると直ぐに気づくことですが、佐原は江戸と下総をつなぐ商業の中心都市として、利根川やその他の水郷と呼ばれる水路を利用した交易で栄えた町であり、その昔の裕福な商人の残した店や倉などの建物が数多く残っています。真壁の方は商業というよりも産業と言った方が良いのか、江戸時代は笠間藩の飛び地として、置かれていた陣屋などを中心にこの地の産業(木綿、米、麦、大豆、酒、筑波石など)が栄えて、その往時からの建物の町並みが今に残っています。

 

    

佐原の小野川沿いの町並みの景観。この川のここから500mほど先に伊能忠敬の屋敷などが残っている。古い町並みの中心街は、伊能家の辺りに多く遺っている。

 

佐原の方がその繁栄ぶりが大きかったように思われるのは、水路と船を使った交易の規模は、陸地の限られた交易手段しかなかった真壁と比べて大きな差があったことからも想像できます。実際に訪ねてみると真壁の町並みがちんまりと整っている感じがするのに対して、佐原の方はより豪勢な雰囲気を醸し出しているように思えます。飾られているお雛様を見ても、商家と在郷の違いがあるようで、佐原の方がよりお金が掛かっているのではないかと思われるものが多いような気がします。(私には元々お雛様の飾りを鑑賞する眼も力もないものですから、本当のところはよく判りません)

 

本当のことを言えば、私には雛飾りを見て回ることにはさほど興味も関心もなく、それよりも残されている古い町並みの持つ雰囲気を味わい、楽しみながら、歩き回るのが訪問の真の目的なのです。その昔このような環境の中で、人々は日々どのような暮らしを送っていたのか、そこに思いを巡らしながら町中を散策するのは、まさに旅の楽しみの一つであるからです。真壁を訪ねた時は、真壁のその昔の暮らしに思いを馳せ、佐原を訪ねた時は、小野川に浮かぶ小舟を見ながら、往時の交易の様子を思い浮かべ、その熱気を感じながら、この辺りに巣食っていたヤクザの連中のことなどまで妄想しながら歩き回るのです。

 

ところで、今回はこの二つの町並みの歩きを楽しんだのですが、強く印象付けられたのは、昨年3月の大地震の影響でした。二つの町とも、古い家屋で成り立っているわけですから、あれだけの大地震では、蒙った被災度も相当に厳しかったことが歴然としています。未だ修復の手掛かりを模索中と思われる建物も多く、完全復旧はとても無理と思われるものもあるようでした。古い建物を修理するための費用は、新しく立て替える費用の比ではなく、所有者にとっては自費では到底叶わないというケースも多いように思われました。佐原の旧家にお雛様を見せて貰った家内の話では、偶々震災前に葺き替えを終えた屋根の瓦は無事だったものの、壁などその他の部分の破損等は厳しく、1千万円以上の出費のことを思って、さてどうしたものかと今でも困惑しているのだと、そこのご主人が話をされていたとのことでした。古い家屋の所有者は、恐らくどちらの家でも、同じような悩みを抱えておられるように思いました。

 

震災の被災後の状況から感じたことは、その昔裕福だった町の方が、復旧がより難しいのではないかということです。真壁も佐原もほぼ同じ程度の地震の揺れに見舞われており、被災程度も類似していますが、町中を歩いて見ると、佐原は水路の中心となっている小野川の石垣までが崩れた状態であり、個別の建物も重厚なものが多かっただけに、被災の修復には、よりお金と手間がかかるように思いました。真壁が貧しい在郷町だったなどとは思いませんが、佐原と比べると修復のスピードは少し早い感じがしました。それでも現役の造り酒屋さんなどの、より大きな建屋は、まだ屋根にブルーシートが被せられたままであり、大きい建物ほど元に戻すのが大変なことを実感させられます。

 

    

真壁の登録有形文化財の一つ、市塚家店舗及び主屋。辛うじて崩落を免れた感があり、良かったなあと思った。でも内部や壁などがどうなっているのかちょっと心配だった。

 

天災地変に加えて人災のことまで考えますと、古いものを残してゆくということの大変さ、難しさを実感させられます。国が伝統的建物群保存地区に指定し、個々の建物を登録有形文化財として指定した場合、その所有者にどのような扱いをするのか全く分かりませんが、只指定するだけでは、建物群のような文化財は、時代を超えて残り続けて行くことは困難なように思いました。現在わが国には93カ所の国指定伝統的建物群保存地区があるとのことですが、これから先これらの文化財を遺してゆくために、公と個人の合理的な調和のとれる法律や施策を、より充実させることが重要だと思いました。そしてこの二つの町を初め、その他の被災された東北各地のエリアでの復興が叶うことを切に願ったのでした。

 

※   ※   ※

 

余談ですが、今回この二つの町を歩いて決定的にその違いを感じたことがあります。それは町の造り・性質と歴史に起因するのかもしれませんが、訪問者に対する受け入れ方という視点で見ると、商家町の佐原と在郷町の真壁とでは、真面目さの点では真壁に軍配が上がり、力という点では佐原により魅力を感じました。

 

   

真壁の真面目さの象徴のような中山家の雛飾り。庭の奥に建てられた重厚な造りの土蔵の中に、今年も美しく飾られていた。

 

それはどういうことかと言いますと、早い話、昼飯の食べさせ方です。佐原には例えば川筋にうなぎ屋さんなどの昔からの店がありますが、真壁にはそのようなものは無く、俄か作りの炊き出しと変わらぬテント下の「すいとん」の店などしかなく、食堂と名のつく店に入っても発泡スチロールのどんぶりに入ったうどんやそばが高価な値段で提供されるだけです。そのレベルは呆れ返るほどで、やはり在郷町なのだと毎度実感している次第です。お雛様の方は佐原よりも遥かに見やすくて、町を挙げてのもてなしの心を感ずるのですが、昼飯となると田舎の良さではなく、その反対を感じさせてくれるばかりなのが真に残念です。茨城県民としては真壁にエールを送りたいのですが、喫食の関係者の方は、せっかくの訪問者をがっかりさせないように、もっともっと工夫をして、その地で食べられる楽しみをつくり出して欲しいと思ったのでした。リピーターやファンをつくり出すための町づくりには、「食」の魅力が不可欠のように思います。祭りの間の1ヶ月間だけを、毎年何とか手軽に乗り越えることでお茶を濁しているのでは、せっかくの他には無い大きなお宝の文化財が、さっぱり活きなくなってしまいます。新たに伝承館が出来上がったのは結構だと思いますが、幾分町の自己満足の様なものを感じてしまいます。B級グルメの検討など、町の当局者も、もっと訪問者から見た魅力などを研究し、町の盛り上がりを工夫して欲しいと思ったのでした。

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1 コメント

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復興へ (SHINEI (有)真栄石材産業)
2013-03-09 11:27:35
納得の話ばかりです。
真壁がこの祭りが継続出来る一つの方法として『趣旨を忘れず商売は二の次』なのだと思っております。
復興に関して佐原との差がでた事に関しては答えがあります。
震災後、茨城選出の福島議員が党派を越えて復興の為に尽力して頂いたからです。佐原に関してはその時期に『伝建地区だから』とあぐらをかいていたのかも知れません。
自分の事を声を上げず誰かがやってくれると思ってしまったのかも知れません。
補助があるなら規制もある。声をあげなければ伝わらない。という事なのでしょう。


    塚本
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