村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

お休み

2016-02-14 02:37:52 | Weblog
今日土曜日と
明日の日曜日
ブログの日記は 書けない
お休みしよう
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市中の山居

2016-02-13 00:51:11 | 茶事 茶会 
古い先輩からのお誘いに
紫兎先生とご一緒に初点会へ

新宿からワンメーターの近さだが
まさに
市中の山居

汲み出しの後に膳が運ばれ
一献
又八寸が出て
又一献
昼間から杯を重ねて
少しいい気分だ

客は5名
私めが一番若いようで
正客をやるようにとう
有難く
正客を仰せつかる

露地に降り
手水
席入りと進み
床を拝見
挨拶
それから
お茶となる

次々と道具のことを
伺うのだが

ある程度
心の中で答えを出してから
お訊ねする
○○ですかと
こちらから申し上げることもある
◎◎か〇〇か△△ですかと
知っている名前を
いくつも申し上げ
その内のどれかと
おたずねの場合もある

ご亭主のお答えは
誰もがご存じの名前や
有名なお名前ばかり
それをお聞きすると
その度に
凄いですねと
市中の山居に
歓声が上がる




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村雨庵旧正月の茶会

2016-02-12 00:10:27 | 村雨庵 茶事茶会
今日は茶会
10時半からと
午後1時からの二回

待合には大炉を開き
お客様がお揃いになると
半東は汲み出しに
小梅と昆布
大炉の釜より湯を入れる

待合の掛け物は
田中納言筆
本席は狩野常信の自画賛
花入 唐金
花は黒文字と香り姫という椿
香合は日々庵作のくくり猿
楽焼だ
水指は西村徳泉の色絵
濃茶茶碗は光悦写しと
桃山の信楽
茶入高取
茶杓は後藤廉平
薄茶器は佐野長寛
茶碗は古朝日や大橋秋二


主菓子はゆり根金団
銘は「春の色」
干菓子は
「富士のこけもも」とすはまの「松葉」
それと「末富のふのやき」

茶会の後はあっという間に常の姿に戻る
夕食はいつもの中華屋で
5名で乾杯
ただビールではなく
ジャスミン茶
たまにはそういう時もある

明日は知人宅にての茶会に伺う
こちらも小寄せ茶会
いつも名品で驚かされる
明日はどうだろう

楽しみだ




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梅が香

2016-02-11 00:31:07 | Weblog
梅が香や
五右衛門風炉の 釜の音 

永井荷風の短冊を掛け
大炉の稽古

稽古の合間に
明日の茶会のしたくをする
明日は自宅での茶会

待合にて汲み出し
本席にて挨拶
濃茶
後炭
薄茶
午前と午後の二回
準備万端整った
明日は
早起きしょう



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世尊寺流

2016-02-09 22:01:23 | お勉強
出光美術館の展覧会は
書の流儀

と言えば
「知っておきたい!世尊寺家

初代・行成以降、代々書道の家系として知られ、世尊寺流として受け継がれた。

世尊寺家(せそんじけ)は、
藤原北家から出た公家。
九条流の嫡流であった摂政藤原伊尹の孫
行成を祖とする。

藤原行成(972-1027)
藤原行経(1012-1050)
藤原伊房(1030-1096)
藤原定実(?-?)
藤原定信(1088-1156)
藤原伊行(1139?-1175?)
藤原伊経(?-1227)
世尊寺行能(1179-1255?)
世尊寺経朝(1215-1276)
世尊寺経尹(1247-?)
世尊寺行房(?-1337)
世尊寺行尹(1286-1350)
世尊寺行忠(1312-1381)
世尊寺行俊(?-1407)
世尊寺行豊(?-1453)
世尊寺行高(1412-1478)
世尊寺行季(1476-1532) - 正二位参議


歴代の名前を
覚えたい
すると古筆の鑑定には
必ず役に立つ




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光琳梅

2016-02-08 23:11:27 | Weblog
月に一度の研究会

今日の菓子は
梅型に三日月のデザインである
これは「光琳梅」

光琳模様と言うのがある
光琳が作ったのではなく
あくまでも光琳風というデザインだ

光琳菊
光琳桐
光琳片喰
光琳鉄線
中陰光琳蔦
太陰光琳蔦
光琳鶴の丸
六角光琳鶴
光琳亀
光琳揚羽蝶
光琳胡蝶
光琳洲浜
など




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いせのたいふ

2016-02-07 21:58:32 | 中古三十六歌仙
中古三十六歌仙の一人

伊勢大輔
いせのたいふ/いせのおおすけ

989年? - 1060頃?
平安時代中期の女流歌人
大中臣輔親の娘
高階成順と結婚
子は康資王母・
筑前乳母・
源兼俊母など


1008頃に
一条天皇の中宮・上東門院藤原彰子に仕えた
和泉式部・紫式部などと親交し、
晩年には白河天皇の傅育の任にあたった。

1060までの生存が確認されている。


小倉百人一首
61番
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな

この歌は、紫式部が勤める
奈良から献上された八重桜を受け取る役目を、
伊勢大輔に譲ったこと
更に藤原道長の奨めで
即座に詠んだ和歌が、人々の賞賛を受けたもの
だとか


写真は福の神と言う題
福の神が
煙草を吸っている
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春の宿

2016-02-07 01:10:12 | Weblog
折釘に烏帽子かけたり春の宿 蕪村

茶会が近いので
道具の出し入れの為
お弟子様が二人お越し下さる
出しっぱなしの道具を
箱に終い
元の場所に戻す
これがホントに大変

大まかに押し入れの
左は花入と煙草盆
右は水指と決めてはあるが
いずれも
ジグソーパズルのように
上手く組み立てて入れないと
入らない
ほら 凄く大変でしょ
年取って来ると
こういうことが出来なくなるのよ
だとお弟子様に
かたづけ出来ない事の
愚痴をこぼす



写真は
庭に 貝母の芽が出て
葉を伸ばし始めた
咲くまでは
まだまだかかる





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花菫

2016-02-05 22:22:12 | Weblog
花菫
がむしやら犬に
寝られけり    一茶

月に一度の病院へ行き
そのあとは整形外科へ
整形外科は
やけに混んでいる
スタッフの人に訳を聞くと
日が延び春の光が明るくなって誰もが
家を出たくなったらしいです

なるほど
人も自然の一つ
めぐる季節に乗って生きるのだろう
そのうち
我が庭の叡山菫も
花咲く

写真は
学校の裏のパンジー



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六歌仙

2016-02-05 00:42:46 | 村雨庵 稽古 
春立つや 六枚屏風 六歌仙 虚子

六歌仙とは
とは、『古今和歌集』の
序文に記された
六人の歌人のこと。

僧正遍昭、
在原業平、
文屋康秀、
喜撰法師、
小野小町、
大友黒主の六人を指す。
ただし
「六歌仙」という名称そのものは
後代になって付けられたものである
《ウィキペディアより》


今日は立春
茶室の障子に当たる日差しが
明るく光る

今日は木曜稽古
二月は大炉
大炉と逆勝手の点前で
頭をたくさん使おう
雪輪瓦は
花びら一枚が上になるもの
裏の渦は炉縁の方に向けるもの





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節分

2016-02-03 22:49:05 | 村雨庵 稽古 
節分や八百八町 月の辻 喜舟

野村 喜舟
のむら きしゅう
1886-1983
俳人
本名喜久二[きくじ]
石川県金沢市生


今日は節分
雑節の一つで、
各季節の始まりの日
(立春・立夏・立秋・立冬)
の前日のこと
節分とは「季節を分ける」意味だが
江戸時代以降は
節分というと
立春の前日をさすことが
多くなったようだ


お菓子屋さんが届けてくれた菓子は
上用の「升」と
桃山製の「お多福豆」

もうずっと前から豆まきなど
しなくなった
止めることは簡単だ
毎年大声を出して父か
または私が豆をまいていた
福は内
ふくはうち



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福は内

2016-02-02 23:44:05 | 紫廼茶話会
わがこゑののこれる耳や福は内 蛇笏

飯田 蛇笏
いいだ だこつ
1885- 1962
山梨県出身の俳人
高浜虚子に師事、
村上鬼城などとともに
大正時代における
「ホトトギス」隆盛期の
代表作家として活躍した。
俳誌「雲母」を主宰。
四男の飯田龍太も高名な俳人である。


今日は
紫兎先生のお宅でお稽古
昨晩
先輩からメールがあり
簡単な茶事に誘われたので
今日の皆様にお声を掛けると
参加者は先生と私だけ
他のめぼしき人に連絡すれども
参加者なし
4名か5名揃えるだけなのだが
それが出来ない
結局
断ることにした

若いときからいつも思っている
茶会や茶事をひらくにあたり
何が難しいと言って
お客様を集めることが一番だろうと

丁度用事がある
とか
経済的に今月はちょっととか…
寒いからとか
暑いからと言うのもあるし
そう度々
お茶の用事で出掛けられないなど
理由はそれぞれだ
だからこそ
わが茶会や茶事に
お越し頂く事はそれだけで
本当に嬉しく
感謝
感謝である



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さがみ

2016-02-01 22:14:26 | 中古三十六歌仙
中古三十六歌仙の一人

相模
さがみ
998頃 - 1061以降か
平安時代後期の歌人である

橘則長の妻となるが離別、
大江公資の妻となり、
「相模」の女房名で呼ばれる
夫の任地相模国に随行した結婚生活が破綻した

藤原定頼との恋愛も知られている。

一条天皇の第1皇女
脩子内親王に出仕
さらに後朱雀天皇の皇女
祐子内親王に仕え
後朱雀・後冷泉朝の歌壇で活躍した


百人一首
65番
うらみ侘ほさぬ袖たにある物を 恋にくちなん名こそおしけれ


寒い
それだけでやる気がなくなる
整体を予約をしてあったが
家を出るのが面倒で キャンセルした

2月は大炉
昨日のうち
用意をしてあったので
今日は何もしない
寒いときは
じっとしているに限る
じーと
動かない



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