中古三十六歌仙の一人
伊勢大輔
いせのたいふ/いせのおおすけ
989年? - 1060頃?
平安時代中期の女流歌人
大中臣輔親の娘
高階成順と結婚
子は康資王母・
筑前乳母・
源兼俊母など
1008頃に
一条天皇の中宮・上東門院藤原彰子に仕えた
和泉式部・紫式部などと親交し、
晩年には白河天皇の傅育の任にあたった。
1060までの生存が確認されている。
小倉百人一首
61番
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
この歌は、紫式部が勤める
奈良から献上された八重桜を受け取る役目を、
伊勢大輔に譲ったこと
更に藤原道長の奨めで
即座に詠んだ和歌が、人々の賞賛を受けたもの
だとか
写真は福の神と言う題
福の神が
煙草を吸っている