村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

南山の寿 某所にての初釜

2017-01-28 23:56:23 | 茶事 茶会 
今日は11時から
某所で初釜だ

待合は高砂の能画
本席は神の一字
台子で初炭のあと
四つ椀にて本懐石
中立後の島台での濃茶
その後薄茶
楽しみの福引となった
私めは
唐長の模様の風呂敷が当たった
風呂敷は大好き嬉しい


茶杓の銘は
南山寿
ナンザンノジュ
南山と言えば長寿のこと

箱には
南山寿如 不騫不崩

南山 寿ジュのごとし
騫カけず崩クズれず
とある

詩経より
月と日と南山は
欠けない崩れない
と有るのを見ると
それらは
強固な生命力を表しているのだろう
長寿でありたい
誰もが 
望むところだ



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相模サガミ

2017-01-28 01:04:13 | 女房三十六歌仙
相模
さがみ
998頃 - 1061以降か
平安時代後期の歌人。
中古三十六歌仙、
女房三十六歌仙の一人。
実父は不詳、
摂津源氏但馬守頼光の養女。
母は能登守慶滋保章の娘。

初名は乙侍従(おとじじゅう)。
十代の頃、橘則長の妻となるが離別、
1020以前に大江公資の妻となり、
「相模」の女房名で呼ばれるようになる。

夫の任地相模国に随行したものの、
結婚生活が破綻し、
1025頃離別した。

この頃、四条大納言藤原公任の
息男の中納言藤原定頼との恋愛も
知られている。

一条天皇の第1皇女
(入道一品宮)脩子内親王に出仕。
1049内親王薨去後は、
さらに後朱雀天皇の皇女
祐子内親王に仕えた。

この間、数々の歌合に名をつらね、
後朱雀・後冷泉朝の歌壇で活躍した。
(ウィキペディアより)



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