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村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

屏風に咲くや福寿草

2023-01-10 22:54:48 | 茶道具、古美術、骨董

光琳の屏風に咲くや福寿草 漱石

今年の初釜の寄付に
抱一の福寿草の画賛を掛けた
写真はその箱
抱一上人福寿草自画賛とある

酒井 抱一
サカイホウイツ
宝暦11年7月1日〈1761年8月1日)〉~ 文政11年11月29日〈1829年1月4日〉)は、
江戸時代後期の絵師、俳人。
権大僧都。
本名は酒井 忠因タダナオ。幼名は善次。
通称は栄八。
字は暉真キシン。
ほか、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、庭柏子、溟々居、楓窓とも号する。
また俳号は、
ごく初期は白鳧・濤花、後に杜陵(綾)。
狂歌名は、尻焼猿人。
屠龍(とりょう)の号は俳諧・狂歌、
さらに浮世絵美人画でも用いている。

この軸は
もう30年以上も前に買ったもの。
毎年は掛けないとしても
重宝している。

抱一ホウイツ の意味は
道をいだく。
少なければ則スナワち得、
多ければ則ち惑マドふ。
是ココを以モッて、
人は一をきて
天下の式ノリと爲ナる。
『老子』より

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茶杓のメモ

2022-12-23 23:23:49 | 茶道具、古美術、骨董

ひたぶるに風の日さびし交番の夜勤のひとりが吸殻ひろふ 篠弘

 茶杓のこと色々
わたしめの切り抜きメモ
奥伝は別だが
濃茶に使う茶杓は中節。
薄茶には中節はもちろん、
元節や無節の茶杓も使うと習った。

茶杓は利休の時代に中節となり、
利休七哲や宗旦四天王らの茶人も
中節で茶杓を作っている。

以前は
象牙をうつした無節を村田珠光、
武野紹鷗は元節を、
利休は中節。
それぞれ真行草の茶杓と言われる。

節より先は
茶入に出入りするから、
不浄を禁じて、
先を手で触らないように、
節を込めた。
とか

竹の茶杓は当初は一回限りの使い捨て。
初期の茶杓が漆で拭いてあるのは、
象牙を模すためとも言われて
織部は拭いてあり。
遠州は拭いてない。
宗旦も、石州も拭いてない。
とか。
慶長の頃までは無銘が多く、
贈り銘や由緒を記す。
遠州や宗旦の頃から
銘が風流銘になってき
た。

茶杓の筒は
真行草の削りがある。
その他八角や縞状に削りのこし
美的に変化する。

茶杓は茶人の刀。
茶杓の切留は一刀から五刀で切る。
宗和の茶杓の特徴は
かいさきと切留が一文字とか。
とあるが、不明。

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雪中庵の霰酒

2022-11-03 23:13:36 | 茶道具、古美術、骨董

蕪村
炉びらきや雪中庵の霰酒

雪中庵とは
服部嵐雪の事
霰酒とは、奈良市特産の酒。
霙酒(みぞれざけ)ともいう。

今日は昨日の続き
久須美疎安

久須美疎安クスミソアン
寛永13(1636)~
享保13.5.8(1728.6.15)

江戸中期の茶人。
千宗旦の弟子藤村庸軒の女婿。
名は小兵衛。
洗竹庵,鷯巣などと号した。
京都上京新在家の人。
のち鴨東の岡崎に住し,
石河自安,京極高広(安智)らと共に
岡崎三隠士と呼ばれた。
茶を宗旦,庸軒に学んだので,
宗旦門下ともされる。
元禄14(1701)年,庸軒による宗旦からの聞き書きを
主とした『茶話指月集』を板行。
茶の湯の逸話集としては比較的早い成立。
庸軒の茶道具を彷彿させる手作りの茶碗,
茶杓などが残るが,
数は少ない。

<参考文献>村井康彦『利休七哲宗旦四天王』
(谷端昭夫)

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銀座→東美→虎ノ門→新橋

2022-10-15 19:35:34 | 茶道具、古美術、骨董

今日は10時半
有楽町で待ち合わせ
葉書で案内のあった銀座の茶道具商へ
手の出ないお茶碗たちが並ぶ
一部買えそうなのもあるにはあるが私は買えず
何か欲しい でも…
お茶道具ではないが
壁に掛かっていた
外国の古い裂地くらい
これを買った

お昼は近くのイタリアンにてパスタをシェア
サラダと珈琲がついてるもの
この店は地下にあるせいか
音が反響してとても うるさい
お店の人たちは皆さん若く感じが良い
でも声が大きい
私達はそれらに負けないように
常よりも大声出すのでどこよりもうるさい
たまにオープンキッチンの
フライパンに火が入り
ぼおっと大きな焔で燃え上がるから
それに胆を冷やしドキドキ
とてもとても心静かにと食事はできないから
さっさと取り分け
マスクを取りサラダを食べ
マスクをかけて大声でしゃべり
マスクを取っては次々とパスタを食べ
マスクをして又しゃべる
マスクを取って急いで珈琲を飲んで
マスクをしてしゃべる
忙しい 運動会のようで楽しい
出ると入口に次の御客様が並んでいた
人気のお店らしい

さてと
次はタクシーで
アートフェアを開催してる東京美術倶楽部へ
今回から出店は抽選だそうで
常連だったいつものお店が出ていないようだ
取り敢えず一階を
そのあと駆け足で四階と三階を巡る
時間が許せばゆっくり見たいがそうもいかず
同行者の目指すものを
何とか求めることが出来た
それですこし気持ちは収まる
次 タクシーで
もうひとつの茶道具屋さんへと向かう
一階の壁には古筆と墨跡
待合掛が静かにかけられ
茶道具がほどよく並ぶ
三階の展示席も拝見
同行の一人は浄益の蓋置を買った
二階の茶席でご主人のお話しを伺いつつ
お薄を頂く
皆さん求める用は済みタクシーで烏森新橋駅近く
いつものケーキセットで今日は予定は終了
皆さんそれぞれ良い買い物されたよう良いお顔
時間があれば広げて反省会をするのだが
タクシー代とお昼代とを精算す
そう言えば
タクシーを降りる必ず言う台詞に
運転手さんはだいたい笑う
「ほんとお騒がせしてすいませんでした」
うるさいのは 楽しい

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雁よりは

2022-10-07 23:56:10 | 茶道具、古美術、骨董

雁よりは哀も低しわたり鳥 也有

今日は金曜日
風雨強く嵐のようだ
写真は
狩野常信筆
「葦孤雁」

狩野派とは
室町幕府の御用絵師となった狩野正信が始祖。
その子孫は、室町幕府崩壊後は
織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍などに絵師として仕えた。
権力者と結び付いて
常に画壇の中心を占める。
内裏、城郭、大寺院などの障壁画から
扇面などの小画面に至るまで、
あらゆる分野の絵画を手掛ける職業画家集団として、
日本美術界に多大な影響を及ぼした。
(ウィキペディアヨリ)

狩野 常信 かのう つねのぶ
寛永13年3月13日(1636年4月18日) -~正徳3年1月27日(1713年2月21日))は

江戸時代前期の江戸幕府に仕えた御用絵師。
父は狩野尚信。
幼名は三位、右近と称し、
養朴・朴斎・耕寛斎・紫薇翁・古川叟・青白斎・寒雲子・潜屋・弄毫軒、篁渚山人などと号した。
子に後を継いだ長男・周信、
別に浜町狩野を興した次男・岑信、
さらにそれを継いだ甫信がいる
(ウィキペディアヨリ)

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秋立つと

2022-08-07 23:09:43 | 茶道具、古美術、骨董

 藤原仲実フジワラノナカザネ
秋立つと 
伊吹の山の 
やまおろしの 
たもとすずしく 
吹きいづるかな

藤原仲実
フジワラノナカザネ
1057-1118 
平安時代後期の官吏,歌人。
天喜テンギ5年生まれ。
越前守藤原能成の子。
正四位下,中宮亮。
堀河天皇の中宮篤子につかえる。
「永久四年百首」の企画者。
歌学者として「綺語キゴ抄」「古今和歌集目録」をあらわした。
勅撰集には「金葉和歌集」以下に23首。
永久6年3月26日死去。62歳。

写真は
江雲宗龍筆の漢詩短冊

江雲宗龍コウウン ソウリュウは、
遠州の兄・池田七左衛門の子。
遠州の甥。
孤篷庵の開山・江月宗玩和尚に参じ法嗣となる。
孤篷庵 第一世。
千宗旦が
息子の仙叟千室を
前田家へ仕官するため
江雲を通じて、
遠州の弟・佐馬助正春に働きかけた事も
『元伯宗旦文書』に残っている。
孤篷庵が完成してから5年後、
江雲は大徳寺百八十四世となり、
延宝7年(1679) 6月17日78歳で入寂し、
円慧エンネ霊通禅師の号を勅諭された。

今日は立秋 日曜日
掛軸をかけて
お菓子を食べよう

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秋きぬと

2022-08-06 23:45:58 | 茶道具、古美術、骨董

 藤原敏行
秋きぬと目にはさやかに見えねども 
風の音にぞおどろかれぬる

今日は
いつものクリニックに
薬をもらいに出掛けたが
クリニックの自動ドアは
開けっ放し
そして外に三つ椅子が置いてあり
座ってる人や付添の立っている人がいる
コロナ関係か
時折
先生が防護服を着て外へ出る様子
私は普通に診察を受け
薬をもらったから
帰ろう

昨日の写真は志賀焼シガヤキ
今日のは
その落款

しが‐やき【志賀焼】は
長崎県対馬市厳原イヅハラ町
久田道クタミチ志賀で焼かれた陶器。
享保一一年(一七二六)頃が初めという。
はじめ雑器を焼いたが、後、高麗茶碗の写しなども作った。
器底に「志賀」
または「シカ」の二字が焼きつけてある。
大正初めに廃窯。

明日は立秋

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狩野常信 カノウツネノブ

2022-07-11 23:01:06 | 茶道具、古美術、骨董

写真は浪の図
箱裏に古筆の極めが直に書かれてある
落款は
法眼古川叟筆と
細く小さな文字で書いてある

狩野常信 
カノウツネノブ
寛永13(1633)~ 正徳3(1713)
江戸時代前期の江戸幕府に仕えた御用絵師。
木挽町狩野家。
父は狩野尚信。
幼名は三位、右近と称。
養朴・朴斎・耕寛斎・紫薇翁・古川叟・青白斎
・寒雲子・潜屋・弄毫軒、篁渚山人など号す。

京都出身。
1650年(慶安3年)4月父の尚信が没した後、
15歳で狩野派(木挽町狩野家)を継いだ。
同年12月剃髪、養朴と号し家光にお目見え、
後に家綱の御用を勤めた。
父没後は狩野探幽に画を学んだとされる。
古来より
狩野元信・狩野永徳・狩野探幽とともに
四大家の一人とされ高く評価されてきたが、
狩野派内での地位が上がるのは遅かった。
これは叔父で妻の父でもある狩野安信に
疎んじられたからだと言われる。

その間に
中院通茂に和歌を学び、
また、徳川光圀の愛顧を得て、
近衛家熈の『槐記』には、
しばしば近衛家の画事を勤めた記事が載る。
探幽同様古画の学習に努め、
後に膨大な古画鑑定控え「常信縮図」、
粉本・画稿を残した。

天和2年(1682年)20人扶持を拝領、
宝永元年(1704年)法眼に叙される。
同5年(1708年)内裏造営で賢聖障子を描き、
翌年(1709年)11月3日に
前年の画事と江戸城修理の功績を賞され
中務卿法印位を得て、
翌年12月19日には200石を加増された。
(ウィキペディアより)

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ぬけがけ の

2022-07-03 23:13:42 | 茶道具、古美術、骨董

ぬけがけの浅瀬わたるや夏の月 蕪村

今日は久しぶりに美術倶楽部の正札会へ
昨日は混んでいたようだが
今日はすいている
買いたい人は初日午前中に行くもの
私はゆっくりだ

かつて私は某所で毎月ひらかれる
色々な種類の茶事に参加していた
そこで使われるお道具は古いものが多く
大層勉強になったものだが
ある薄器は「堺庄サカショウ」という作家だった
聞いたこともなかったし
いったいどのような人物か
色々調べてみたが不明
ずっとモヤモヤのまま
今日の正札会の並べられた品の中に
その名前の薄器があった
お値段は二十二万円ほどの高価なもの
それを見つけて
一緒に行ったサカチカさんと
それについてあれやこれや話しをしていると
その持ち主の道具屋さんが
親切に作家の事を教えてくれた
ずっと何年もわからなかったのに
暑いけど今日出かけたおかげで解決納得
ちょっと爽快感
それ買えなかったけど 

漆工、萩野嵩山(堺庄) (1846-1929)
益田鈍翁お抱え蒔絵師
江戸京橋の茶道具商「堺屋庄兵衛」の子に生まれ、
江戸後期の書家「市河米庵」より「嵩山」の号を授けられ、
光悦・光琳・常憲院時代の
印籠の写しを得意とした と
ネットにもあったが

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春霞たなびきにけり

2022-03-26 22:10:34 | 茶道具、古美術、骨董

 紀貫之
春霞たなびきにけり
久方の月の桂も
花やさくらむ

写真は
東京美術倶楽部
今日は和美の会
茶道古美術に特化したアートフェア
全国から二十軒以上の茶道具商が出店。
と宣伝してる

私は御弟子様の森金さんサカチカさんと三人で眼の保養
三年ぶりだから
混んでいるかと思ったが
行った時はお客よりお店の人が多い感じ
まあ初日ではないので
買う気はあまりありませんよ
ちょっとだけ見せてくださいね
といった感じで
私は何も買わない
いや買いたくても
買えない
絶対だめ
だが
帰りの二人は
ニコニコの笑顔
荷物を持って満足そう
いいなあ
浜松町駅近辺
いい気分でビールにワイン
乾杯無しよで
鳥の唐揚げ生ハム50g
ポテトフライにチーズとタスコ
こういうのは
間違いなく美味しい
けど
もうダメだ 太る

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現川焼ウツツガワヤキとは

2022-01-30 22:43:05 | 茶道具、古美術、骨董

現川焼ウツツガワヤキ
肥前の国(長崎県)諫早領内の窯場で
元禄五年(1692)五十年間焼かれたもの
肥前古唐津系の
武雄庭木窯の陶工達によって
伝えられたと言われる
土は山土で細かく、
鉄分がある
薄く成形され
白泥で刷毛目文様を施す

明治時代に再興され
現川の窯印を押したが
古い時代のには印が無い
昭和の時代に横石臥牛が復元した

若い頃のS先生の取合せの会で
現川の鉢や水指を拝見しその美しさに感激した
好きな焼き物のひとつだ

写真は自分の

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あかねども岩にぞ換ふる

2021-10-16 23:48:18 | 茶道具、古美術、骨董

あかねども
岩にぞ換ふる 
色みえぬ
心を見せむ
よしのなければ
  伝 俵屋 宗達
 伊勢物語図色紙
 「山科の禅師のみこ」
東美特別展開に展示されていた
宗達の色紙だ

和歌は色紙に書かれていた
 意味は
十分ではございませんが、
見えない私の心を
この岩に引き換えて
ご覧に入れます。
形のない私の心を
どうお見せしましょうかと
悩んだのですが、
他に方法がございませんでしたので。



今日は東京美術倶楽部へ行った

東美特別展
入場料は三千円だったが
招待券を頂き
早めに東美へ向かった

この金曜日、土曜日、日曜日の三日間の開催
久々の美術品の展示会
それも特別のだから
近くで拝見するだけでも
眼福
眼が喜ぶものばかりが並び
さっさと次へ動けない
仏教美術もたくさん出されて
自ずから厳かな気分になる
買う気の有る方は当然初日に行くが
あるものの
この値段はと
先生が問うと
九千九百万円
との答え

今日は二日目で
初日よりお客様は少ないかも
それでもどのブースも
生き生きとお人が動き
それぞれのお店の方は
晴れやかな面差し
お客様は言うに及ばず
前のめりに道具を見ておられる

美術品の展示会も
コロナに負けずに
このように出来るようにと
強く願うが
この先に
何があるかわからない事を
私はコロナ禍で知らされたから
どこかに不安が残る
私だけか

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天の川原もかはるらむ

2021-07-11 23:05:50 | 茶道具、古美術、骨董

 定家
五月雨は
天の川原も
かはるらむ
八重立つくもの
なみの深さに

急に空が黒くなり
強めの雨がざーっと降りだした
しばし降っては止んだが



今日は用事がないから
短歌でもつくろうと朝から思っていた
時間をとって
ジリジリと考えたが
いまだに
ひとつも出来ない
時間があっても
出来ない
ガッカリ

写真は
この前買った蓋置
トンボが三匹
鉄製
小さい

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丿貫ヘチカン

2021-04-29 23:25:54 | 茶道具、古美術、骨董

丿貫ヘチカン
というと
変人で有名な茶人。
ある日、利休を茶に招く。
庵の前には落とし穴がある。
察した利休はわざと落ち、
用意の風呂に入り、
そののち茶をした。
との逸話

『茶話指月集』には
丿貫が手取釜1つで雑炊も煮、茶の湯も沸かした。
とある。

丿貫ヘチカンは
戦国時代後期から安土桃山時代の伝説的な茶人。
紹鴎の門で茶を修め、
山科に庵を構えた。
数々の奇行をもって知られた。

秀吉の北野大茶湯の野点に、
丿貫は約2.7メートルの朱塗の大傘の茶席を設けた。
秀吉は驚き喜び、諸役免除の特権を賜ったという。
(久須見疎安『茶話指月集』ヨリ)

「丿貫は、
侘びすきにて、
しいて茶法にもかかはらず、
器軸をも持たず、
一向自適を趣とす」
「異風なれ共、
いさぎよき侘数奇なれば、
時の茶人、
交りをゆるし侍りしと也」
(藪内竹心の『源流茶話』ヨリ)


写真は横浜高島屋の7階の美術画廊
5月4日まで開催。
中村康平 茶碗展
ー現代の古典ー
写真の掛け軸は
「丿貫の杖」

案内状を頂戴したので
サカチカさんと
賢々と横浜高島屋へ
横浜駅周辺はいつもながら
混んでる。
若い人達が多い気がする。

画廊で康平先生にご挨拶。
マスクをとって写真を撮りましょうと。仰る。
かろうじて眉毛を描いてあったが、
化粧無し口紅なし。
マスクのままでも良いんじゃない。
と思ったが声には出せず。
身だしなみ宜しいサカチカさんは
ちゃんと口紅あり。
でも先生も賢々も塗ってないし、
そんなこと誰も気に止めないから。
まあ いいか。
はいムーミンの。チーズケーキ。

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雪の下草

2021-02-23 21:00:54 | 茶道具、古美術、骨董

み吉野は春のけしきにかすめども
結ぼほれたる雪の下草
(後拾遺10)
紫式部

石山寺に
土佐光起の「紫式部図」というのがある
同類の画を
探幽、土佐派、谷文晁、宮川長春、菱川師宣も書いているようだ

写真は私のもの
文台の前に十二単衣の紫式部
これは酒井抱一の贋作
落款は寄せているが
絵の線描がひどい
箱は二重箱で
極めも付いている
表装は立派で象牙の軸は言うことない
でも本紙が悪い
掛けるたびにキリキリと胸が痛む
贋作とは
反省せざるを得ない
でも過去のこと何事も勉強だと
思うしかないか

以前源氏物語を勉強していた。
源氏の会という会で
紫兎先生と松風庵様の三名。
毎月原文を音読し
それに因む旅行や茶会もした
紫兎先生にはいつも御指導頂いて
勉強も楽しい時間だった。
茶会では先生がお道具をたくさん出され、
待合には源氏画の掛け物。
本席は紫式部の歌仙画。

あの時間の再放送はないかしら
と懐かしんだりしてる

今日は掛けっぱなしだった
掛け軸を終った
茶室を片付けようと
戸を開けて風を入れたが
いつの間にか
荷物でいっぱいになってた

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