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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

目的は個人的

2013年11月20日 | xxx6目的の起源

個人的目的を追求して社会的競争に勝つ。目的行動はそのためになされる、と思われるようになったのでしょう。この時代から現代にかけて、知識人、言論人など社会の表層で言葉を語る人々の間で、目的行動というものは、いつでも、個人的目的を下敷きにしているはずだ、という認識が常識になってきます。

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ブルジョア階級の出現

2013年11月19日 | xxx6目的の起源

Moreau_hesiod 近代以降の産業社会では、ブルジョア階級が前時代の王侯貴族のように個人的目的を追求するようになりました。逆に言えば、むしろ、産業革命以降の時代では、王侯貴族でない人々でも個人的目的を追求し社会の上層階級を形成できるようになったのでブルジョア階級が出現した、と言えます。いずれにせよ、現代の資本主義社会では、個人間の競争に勝つ程度によって権力、富、名誉、子孫の安全など人生において個人が獲得できるものが確実に大きくなる仕組みになっている、と思われています。

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競争するエリート階級

2013年11月18日 | xxx6目的の起源

個人的な人生目的は仲間と共有するものではありません。例えば権力的地位、あるいは領土など、むしろ奪い合うものであったりします。戦いや競争が正当化されるエリート階級のあいだでは仲間と共有せず個人的に戦いとるべき目的は、当然、自尊心にかかる人生の重要事項です。そのような状況では、個人的目的を強く意識した行動が全面に出てくることになります。そのことが、中世など階級制社会でのエリート階層の人々のあいだで、個人的目的が意識され、言葉に現れ、語られるようになった理由でしょう。

拝読ブログ:❁12─5─白河天皇は、中華皇帝とは同格であるとして、臣下の礼を取る事を拒否する国書を送った。内向き志向の日本は、大陸から逃げて島国に引きこもった。平安・1075年  ~No.30 - 4。日本文明・日本天皇の大和民族と中華文明・中華皇帝の中国・朝鮮両民族との2000年戦争。

拝読ブログ:“エリート”云々を語れるうちが華

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王侯貴族の人生目的

2013年11月17日 | xxx6目的の起源

Moreau_helene 農耕牧畜社会では人口密度が上がり、富の蓄積と分業が進んだ結果、急速に階級制の支配構造が発達しました。少数の支配階級が農民、牧畜民を支配する社会構造です。支配階級である王侯貴族は、権力、富、名誉、子孫の安全などを人生の目的として日夜努力するようになったでしょう。それらの人生目的は仲間と共有するものであるというよりも王侯貴族の間で競合して奪い合うものであったといえます。歴史上の王侯貴族がそのような個人的な人生目的を持っていたことは、歴史資料からも明らかです。

拝読ブログ:貴族探偵 (2日目) - 探本めんさが

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狩猟採集社会の目的行動

2013年11月16日 | xxx6目的の起源

狩猟採集社会における目的志向行動は仲間と共有する目的を追求するものであった。狩猟採集行動に関する目的を仲間と共有しない個人が仮にあったとしても、その人は獲物の分け前にも預かれず、子供たちも仲間に受け入れられなくなるなど生活に困る可能性が大きいでしょう。狩猟採集社会では人々の専門技術、作業用具、生産装置、行動パターンなどの個人間の違いはあまりなかったと思われます。またたとえ、ある個人がすぐれた技術あるいはすぐれた道具を持っていたとしても、その人は仲間の集団行動の中でしかその能力を発揮することはできなかったでしょう。だれであろうとも、そういう状況では仲間と目的を共有する行動しか取れません。そうであるとすれば、狩猟採集社会において、個人的人生の目的を持つということは、やはりあまり一般的ではなかったと推測できます。

拝読ブログ:「本性」「理性」というのは根拠のない恣意的な分類である:「なんのための社会学か」検証その2: 四畳半大学 宮国研究室 (現象学)

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