しかしながら、ここで安心して、「言葉は万能だ。言葉を上手に使いこなせば、人間は何でも表現できる。この世の真理を究められる」などと誇大な妄想を抱くのは間違いです。言葉に真理を期待し、言葉を磨くことですべての問題を解決しようとすることは、危ない。たとえば、学説や経典や哲学書などに究極の答えを求めようとすると、ひどい落とし穴に落ち込んでしまいます。
私たち人間の言語(自然言語)は、もともと、(拙稿の見解では)物質以外の経験を正しく表現することができない。人間の言語は、人間どうしを深く結びつける素晴らしい機能を持っていますが、それは真実を語れるからではない。語る内容にかかわりなく、まず対話の存在に反応してお互いの身体の感覚と運動が共鳴することで、人間どうしは結びつけられる。世界の真理を語るという機能については、言語は完全ではない。つまり、人類の生存と繁殖にとって、この世の真理を語り得るかどうかは、たいして重要な問題ではなかった。真理追求の機能ではなく、人間どうしの感覚と運動を共鳴させて、集団的な協力を作り上げるという機能が人類の生存繁殖に役に立ったから、言語は現在も存続している。
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