人々は、このように、互いの自己中心視座を再認識し、運動共鳴によってその使い方を共有し、その共有の上に作られる人称構造文法を使って互いの自己中心視座に憑依しあう。この仕組みによって私たちの社会構造は維持できる。人々は互いに相手の立場に入れ替わって、考えたり感じたりすることができる。人の立場や役割やキャラクターや地位を、場合によっては自分もそれに成り代わる可能性があると感じられることで、交換可能な属性と捉えることができる。
立場や役割やキャラクターや地位が交換可能な属性として共通の認識対象になれば、それらは人々の間で共有することができる。お互いの視座に伴う立場や役割などの属性が、はっきりした存在感を持って共有できる感情の対象となる。そして、人々が、そのようなそれぞれの場に置かれていることが人称構造を備えた言語によって表現されることで、他人というものも自分というものも、それぞれの立場や役割やキャラクターや地位を伴った客観的世界の中にある自己中心視座としての存在感を持つようになる。この仕組みによって、(拙稿の見解では)他人あるいは自分というものが、はっきりと客観的に存在する(と感じられる)ようになった。
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