さきに述べたように、私たち人間は生まれつき、目的論による世界の見方と因果論による世界の見方と二つ(あるいはそれ以上)の認知機構を備えているようです。それらは互いに矛盾する認知システムを採用していて、それらにもとづいて作られる私たちの実用的理論は、互いに矛盾している。私たちはその矛盾に気がつかない。
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さきに述べたように、私たち人間は生まれつき、目的論による世界の見方と因果論による世界の見方と二つ(あるいはそれ以上)の認知機構を備えているようです。それらは互いに矛盾する認知システムを採用していて、それらにもとづいて作られる私たちの実用的理論は、互いに矛盾している。私たちはその矛盾に気がつかない。
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私たちが生活していく場面場面で、世界はそれぞれの側面を出してきます。人と交わる場面、獲物を追う場面、猛獣を防ぐ場面などは目的論を使うと便利です。一方、道具を使う場面、火や水を使う場面、あるいは石器や土器あるいは植物や動物の死体等の自然の物質を加工する場面などでは、因果論を使うと便利です。
それぞれの場面に対応して、私たちは目的論を使ったり因果論を使ったりする。私たちは、さらにきめ細かく、存在の理論や心の理論や[私]の理論など実用的な理論を次々に使いこなしながら、現実世界の出方に対応してうまく動いていきます。そうして毎日うまく栄養供給システムにつながることが重要であって、世界の構造の二面性など、それぞれの実用的な理論の間に多少の哲学的矛盾があっても、それには目をつぶってうまく立ち回って生き抜いていけばよい、ということになります。
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ところが、人類の生活技術が発達してくると、食料を保存したり道具を作ったり戦争したり移住したり自然災害に対応したりしなければならない場面も多く出てきます。そういう場面では、人間や動物以外の物質、植物や非生物、自然現象などを自然の法則に従って操作する必要があります。相手が人間でもなく動物でもない場合(たとえば木石、土、空気や水の場合など)、その動きが目的論的に意図的行動によって推移していくと思うだけではうまく操作できません。むしろ、因果論あるいは場の理論、あるいは物質的知識や工作技術や科学を使って論理的に世界の推移を予測して行動するほうがうまく栄養供給システムにつながることに成功する。世界はこういう面も持っていることに私たちは気付くことになります。
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さて、世界の構造に話をもどしましょう。拙稿の見解では、人間にとって世界はまず目的論的に意図的行動によって推移していくような構造を持っている。目的を持って意図的に推移している世界あるいは人々、社会に対して、私たちはおおいに感情を働かせて、願ったり祈ったり交渉したり闘ったり操ったりしながら、毎日を暮らしている。
原始生活においては、仲間の人間や敵や獲物や家畜や猛獣の動きに対してこういう対応行動をとることによって、うまく栄養供給システムにつながることができたからでしょう。原始的な宗教は、あらゆる物事に神性を感じとるアニミズムからはじまっています。人類は、自分たちが感じとれるすべての存在を、まずは目的と意図を持った人間的な存在として感じとり、自分たちがよく知っている性質を持って動いているに違いないと思い込む性向があるようです(一七五七年 デイヴィッド・ヒューム『宗教の自然史』)。
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