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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

世界が存在するという理論

2011年03月04日 | xx4世界の構造と起源

本章の趣旨を要約すれば、他の動物と違って私たち人類は客観的現実世界の存在という認識を仲間と共有することによって仲間との緊密な協力を維持できるような脳神経系の仕組みを進化させた、ということです。私たちが今このように感じとっている現実世界は、実際、これをこう感じとることによって私たちが仲間と緊密にうまく協力して効率よく栄養供給システムにつながることができるようになっている。この事実から得られる結論として、この現実世界は人類進化の結果できあがった人類の身体相互間に作られる集団的認知機構(拙稿の用語では運動共鳴という)によって存在している、といえる。それが、私たちがここに感じとっている現実世界の起源といえます。

こうして人類は、仲間と協力して生活に必要な物事の動きを予測するための認知機構として、人間ならだれにとっても客観的なこの現実世界が存在するという理論を作り出した(存在の理論)。

拝読ブログ:クールベとカバネル

拝読ブログ:万物の根源/世界の起源を求めて * 作者: ルクレティウス,Titus Lucretius Carus,塚谷肇 *

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終わりに

2011年03月03日 | xx4世界の構造と起源

Gustav_klimt_030 さて本章ではここまで、私たちがここに見ている客観的現実世界はなぜ存在するのか、そしてその現実世界はなぜ目的論的に、また同時に因果論的に現れているのか、なぜこのように矛盾する二面的な構造を持っているのか、などについて(かなり長々と)述べてきました。いろいろ脇道にそれすぎて話が分かりにくくなっている恐れがありそうです。そろそろ、このへんで要約して本章の話を終わりにしようかと思います。

拝読ブログ:「聞こえること」 脳内イメージの活性化 要約筆記

拝読ブログ:冬の終わり

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現代人の常識

2011年03月02日 | xx4世界の構造と起源

歴史の事実として科学は大発展し、科学知識を身に付けた現代人の多くは、ついに、世界全体は目的も意図もなく因果論により過去から未来へと物質の法則に従って自然に流れていく構造を持つ、と思うようになりました。現代人の常識では、目的論・意図的行動を見るのは自分や他人など人間の意図的あるいは意識的行動に限定して適用されるだけになってきています。

拝読ブログ:時間を考え直す

拝読ブログ:現代人の常識が備わってないワタシ

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一神教と科学

2011年03月01日 | xx4世界の構造と起源

Gustav_klimt_029 時代とともに因果論は洗練されてきて、生産技術となり物質をコントロールする科学の基礎となり、客観的にはこれが正しい世界観であるとみなされるようになってきました。こうして客観的現実世界は目的論による側面と因果論による側面との二面性を持つようになります。

また言語の獲得と同じくらい古く目的論からアニミズムが発生しましたが、そこからさらに発展した宗教は部分的に因果論を取り入れながら論理化されてきました。(キリスト教に代表される)一神教では、創造主が作った被造物の内部に神秘はない(被造物は創造主が作った因果論に支配されている)というような因果論的な教義を普及させます。このように(少なくともキリスト教においては)パラドックスともいえますが、宗教が発展することで科学の基礎が作られてきました。

拝読ブログ:日本的アニミズムと「ねこタクシー」

拝読ブログ:一神教文化と多神教文化

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二つの世界認識

2011年02月28日 | xx4世界の構造と起源

現在の人類が使っているこの二つ(ないし複数)の認知機構は、どのように進化してきたのでしょうか? 人類発達史の観点から推測してみましょう。

人類は(拙稿の見解では)、言語の獲得より以前から主に目的論・意図的行動による世界の認識(反自然主義)を使って協力行動を行っていたと考えられます。この目的論を使う世界認識は十数万年前ぐらいからの言語の発展によって客観的現実世界を作り出していきます。一方、この言語発展のすぐ後を追うように狩猟採集あるいは農業手工業の技術が高度に発展する過程で因果論による世界の描写(自然主義)もまた洗練されていき、こちら側からも客観的現実世界の存在感を作り出していった、と推測できます。

拝読ブログ:「ホーキング、宇宙と人間を語る」を読んでみた

拝読ブログ:死生3

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