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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

クオリアの科学課題

2011年02月22日 | xx4世界の構造と起源

科学者も、客観的世界の内部にあるとしか思えない自分の脳の中にある主観的な自我(意識あるいはクオリア)の探究が科学の課題だと思い込んでしまうという錯誤に陥ります(一九九三年 大森荘蔵『意識の虚構から「脳」の虚構へ―時間と存在(1994)』)。

文明の発達によって鮮明になった世界の客観性と[]の理論との違和感は、自我 (意識あるいはクオリア)の神秘性を生みだし、そこから自分の内面は自分しか知ることができないというプライバシーの不可侵性の信念を生みだします。それが極端に作用する場合は社会からの孤立感や虚無感を導き出す原因にもなっています。 []の理論の副作用によって生じるこのような(哲学的というべき)悩みは、拙稿の見解では、現代人を悩ませている哲学の間違いのうちでも最大のたぐいだと思われます(拙稿第1章「哲学はなぜ間違うのか?)。

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現代人の孤独

2011年02月21日 | xx4世界の構造と起源

Gustav_klimt_025 ちなみにこの成功には多少の副作用が伴いました。人類文明とともに[]の理論が徐々に発展肥大していった結果、ますます緊密になった人間集団の協力体制や会話技術や集団行動技術が発達すると同時に、副産物として、自我や人生にきわめて強くこだわる生き方を生み出してしまいました。

自我や人生にこだわる生き方は緊密な社会を発展させ文明の発達には役立ちましたが、現代人にとっては精神的な悩みの原因ともなっています(拙稿19章「私はここにいる―私と世界とのいかがわしい関係」)。強烈な存在感を持つようになった自我の取り扱いに困惑を感じとる人々は、自我の存在感と(これまた文明によって鮮明になった)客観的世界の存在感との断絶に強い違和感を感じとるようになります(拙稿23章「人類最大の謎」)。冷たい物質法則に支配された客観的世界の内部にあって自分だけが孤立した特異な存在だ、という孤独感におちいってしまいます。

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現実世界→仮想的時空間

2011年02月20日 | xx4世界の構造と起源

[]の理論は、人間の自意識を作り出し、過去の行動の記憶を作り出すことができます。まず、この身体を動かしているはずの私という意図主体の存在感を作り出しそれを身体の内部に貼り付けることができます(拙稿12章「私はなぜあるのか?」)。自分の身体の内部に貼り付けられた私という意図主体が現実世界の内部を動いていった履歴を記憶しておくことで、自分の人生と周囲の社会の遷移という仮想的時空間を作ることができます(拙稿22章「私にはなぜ私の人生があるのか?」)。過去の行動を反省し評価し学習することができます。言語を使いこなして仲間と記憶を共有することで、行動評価の能力は増大していきます。そうすることによって目的を指向する将来の行動計画を立てて身体を操縦していくことができます。長期的な計画を立てて身体を制御していくこのような行動の仕組みを身につけることによって、人類は効率の高い栄養供給システムを獲得し、その結果、地球全域に拡大繁殖することに成功しました。

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動物と人間の能力の違い

2011年02月19日 | xx4世界の構造と起源

Gustav_klimt_024 赤ちゃんや猫や犬は、おいしそうな食べ物があれば「私としてはこれを食べよう」などと思わずにいつの間にかそれを食べている。受けた刺激に応じて決まった法則に従って自動的に運動が起こる。物が動くということは、こういうプロセスで起こることが、実は当たり前なのです。人間以外の動物は皆そうです。人間だけが例外だといえるでしょう。赤ちゃんも動物もロボットもコンピュータも自動洗濯機もエアコンも、(言葉を話す)人間以外の動くものはすべて「この私がこの身体を動かしている」などと思わずにいつの間にか身体が動いている。

言葉を話す人間だけが「この私がこの身体を動かしている」と思っています。それは(言葉を話す)人間だけが[]の理論を身につけているからです。人間以外の動物や機械は、私というものを持っていないからといえます。人間以外の動物と人間の能力の違いは、この違いからきている、といえるでしょう。

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赤ちゃんは日記を書けない

2011年02月18日 | xx4世界の構造と起源

私という概念がないと日記が書けませんね。日記も書けないような状況では、生活を反省することもできず、記録もできず、学習もできません。明日からの計画も立てにくいでしょう。現実世界の内部を動いているこの身体の動きを私という主体が意図的にこの身体を動かしているのだ、と感じとることで、それを記憶し、評価し、学習することができます。

私という主体が自分の身体の内部に存在していてそれがこの身体を動かしているのだ、という感じ方は物心ついたときから、無意識のうちに、ごく自然に私たちの身についています。むしろ自分の身体が動いていることに関してこれ以外の感じ方は考えられませんね。しかし自分の身体が動くときにこう思っているのは、大人の人間だけです。言葉を話せない赤ちゃんや猫や犬は、こう思っていません。赤ちゃんや猫や犬は何も思わないうちに身体が動いていきます。

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