哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

命はなぜあるのか・・・答え

2007年07月06日 | 7命はなぜあるのか
Waterhouse5dana

主観的な言い方をすれば、生きている物を見るとき自分の中で何かある感情が動くと感じる。これは脊椎動物に共通な神経系の反射です。これが命の存在感、生命の神秘の正体です。こうして、人間は、この世の中には命がある、という感覚、というか理論、つまりいわば、命の理論、を身につけるわけです。

命はなぜあるのか、これがその答えです。

その命ある物のように見えるものが、本当に生き物かどうかは関係ありません。生き物らしく見えれば、それで十分です。そういうものの動きに反応して、人間の脳は、命をはっきりと感じるようになっている。命に関しては、それ以外に、特に神秘的なものはありません。あとは、連想という脳内のシミュレーション機構が、命という言葉が関係するいろいろな状況に対応して働くことで、命に関する人間のいろいろな反応が起こってくるだけです。脳内のシミュレーション機構は、連想によって、生き物を検知したときと同じような擬似信号を作り出し、それを命の存在感を発生する神経回路に送り込みます。

いずれの場合も、命の存在感を感知するその神経回路は、辺縁系など無意識の古い脳にあるので、大脳新皮質の意識にはその活動信号がはっきりと伝わりません。命という言葉を考えたときに、意識的には、漠然とした神秘感が感じられるだけなのはそのためでしょう。そういう事情から、大脳新皮質を使う情報計算処理に頼る科学としては、なぜ命が大事なのか、実は理解できないはずです。

 私たちが直感で感じる「命」は、物質としては存在しません。命を感じる神経機構が、人間の脳の奥深くに存在するだけです。つまり命があるように感じられるものには、命があるのです。

それを敏感に感じるように、人間の脳は作られています。命あるものを命あると感じ、その動きを自分の脳の奥深く取り込んで感情とともに感じ取り、次にそれがどう動いて、自分の運動にどう影響を及ぼすのか、感情とともに予測する。そういう機能が、人間の脳には古くからあるのです。命が動くところを見ると、人間は必ず心が揺すぶられる。動眼神経が働いて視線がひきつけられ、それを注目してしまう。自律神経が興奮し、心臓がどきどきし、顔や手足の運動神経が自然に動いてしまう。人間はそう作られています。このしくみによって、人類の祖先は、自然の環境を生き抜いてきたのです。命あるものは、命がないものに比べて、人間の生活にとって格段に大事なものです。それに敏感でなくては、人間は生きていかれません。

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命を感知する神経回路

2007年07月05日 | 7命はなぜあるのか

この、少なくとも脊椎動物に共通な、命を感知する神経機構は、もちろん、人間の脳にもしっかり備わっていて、人間が身の回りの状況を感じているときにいつも感度よく働いています。特に人間にとっては、命がありそうに見えるような動きをする種々の物体のうちで、相手が仲間の人間の場合が重要です。

仲間の人間の命をどう感じるか。これに鈍いような人類が生き残っているはずはありません。つまり人が死ぬところを目の前で見て、何も感じない人間は異常です。他人の命が損なわれるのを見ると、怖いとか、嫌だとか、可哀想だとか、悔しいとか、強い情緒を感じるでしょう。そのとき、脳の奥の(特定されていませんがたぶん)扁桃体にある特有な命を感知する神経回路が活動しています。それは、生き物が生き物でなくなる瞬間の視覚情報などが、自分自身の警戒状態を作り出す神経回路に共鳴するからでしょう。その回路の活動信号が知覚されて、命が存在する、あるいは命が消えていく、と感じられるわけです。

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命を持つシステムを見分ける

2007年07月04日 | 7命はなぜあるのか

科学にとって生命現象は、神秘なところはないふつうの自然現象です。そこで人間にとって残る問題は、命の存在感はどこからくるか。つまり動物を見たときの人間の脳の反応の問題です。はっている虫を棒でつつくと逃げるように動きます。こういうものを見たとき、人間の脳では、無生物の物質を見るときとは違う神経回路が強く活性化されます。この神経回路は、おそらく人間の祖先が魚だったころよりずっと古くからあるものでしょう。脊椎動物にとって、目の前で動物のような動きをするものは、餌か、仲間か、捕食者です。そのような物体は、身の回りに何が起こっているかを検知して対応した運動を作り出すシステムのはずです、身の回りに起こったそれ(状況変化)に対応して(逃げるとか襲うとか)何かの運動をしようとする。こういうような動きをするシステムは、そうでないものと簡単に区別できます。人類文明以前には、そういうものは動物だけだったでしょう。人間が人工物を作るようになってからは、シシオドシだとか、防犯センサーライトだとか、動物(=命を持つもの)とまぎらわしい動きをする機械がでてきました。いずれにせよ、そういうものに敏感に反応できないような脊椎動物では子孫繁栄は覚束かないでしょう。身の回りにいる動物の存在に反応できないような身体を作るDNA配列(ゲノム)を持つ動物は、子供を産む前に食べられてしまったか、交尾の相手を見つけられなかったか、だったので、そのようなゲノムは現在の動物には伝わっていないわけです。

ちなみに、無脊椎動物でも昆虫やタコなどはよい眼を持っていて、動くものに敏感に反応します。こういう動物も、いわば、命を感知する神経機構がよく発達している。つまり、彼らは命の存在感を知っている、と言えますね。

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ありふれた地球型惑星

2007年07月03日 | 7命はなぜあるのか

命、という言葉が強い印象を持っているのは、なぜでしょうか? それは、(拙稿の見解では)刺激に反応し身を守るかのごとく運動する動物を見るとき、私たち人間の脳に、その場合に特有のはっきりとした感覚(仮に命の存在感と呼ぶことにします)が生じることからきています。このような認知活動のしくみの解明については、現在の神経科学では、残念ながらよい研究アプローチの手法がみつかっていません。

命について、私たち現代人が会話したり意見表明したりする場合にも、その根底には命の存在感に対する無意識の神経反応の学習が働いているわけですが、それに加えて、近年の生物学、医学が語る生命現象の巧緻な設計に関する私たちの知識が、生命についての神秘的な印象を強めています。細胞内分子構造、DNA、RNA、たんぱく質、生殖、分化、進化、適応、など近年の科学が明らかにした生物体のしくみを詳しく知れば知るほど、このようなものがこの世に存在していること自体がまさに自然の驚異だ、と思いたくなります。しかしこちらのほうは、科学知識ですから、難しいことは何もありません。これら生物に関する最近発見された種々の事実は、よく調べてみると、地球誕生以来、四十数億年にわたって続いてきた地表物質の変遷の結果であり、科学で理解できるふつうの物質現象の組み合わせです。地球全体に関する自然現象ですから、地球が太陽の周りを回っているように、大規模な現象ではありますが、神秘なことはありません。最近の生命科学の発展によって、生殖や遺伝や病気や老化など、かつては神秘的に感じられた種々の生命現象も、今日では、物理化学的に詳しいしくみが分かってきています。命に関する個々の現象は、近い将来、科学知識を持つ人々にとっては、特に神秘でも不思議でもなくなるでしょう。

地球表面の分子の塊に物質の法則が働いて自己複製の仕組みができ、複製のたびに少しずつ変化が蓄積し、三十数億年後に今のような種々の生物になった。このことは地球のような物質世界では、数十億年かければいかにも起こりそうな、ありふれたふつうの物質変化の一種です。地球ができてから四十六億年のうちの最初の数億年の間に、最初の生命ができてしまった事実から見れば、地球に似た惑星の表面では、いずれにしろ起こってしまう自然現象とみてよいでしょう。

現在、目に見える生命現象の巧緻な仕組みに驚嘆するのは素直な反応ですが、これは千億回の試行錯誤の結果です。むしろ驚嘆すべきは三十数億年にわたって、温暖で恒常的な環境を維持してきた地球という惑星の特異性でしょう。太陽は非常に安定した恒星で、その放射エネルギーは0・1%の範囲でしか変動しません。また地球は特に強い磁場と適当な気圧の大気を持っているために、有害な宇宙線と紫外線が地表面に達しません。

現在までの天文観測では、宇宙でこのように温和で安定した環境は地球にしか見つかっていません。しかしこれもたぶん、確率の問題でしょう。銀河系に地球型の惑星は数千万個以上あると推定されます。近い将来、遠くのいくつもの惑星系に地球そっくりの環境を持った惑星が発見されるに違いありません。そこに地球のように多種多様な生物が進化していても、まったく不思議はありません。

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生命圏は最高級の美術館

2007年07月02日 | 7命はなぜあるのか

科学の話は単純です。古来畏敬の念で見られていた生命現象は、現代科学によって、ほぼ完全に理解されました。二十一世紀に入って生命科学の研究は加速されています。人のDNA配列(ゲノム)は完全に解読されました。今後まもなく、科学の進展によって、細胞内でのDNA―RNA―たんぱく質の分子レベルの生成機構など、構成的で詳細な知識が蓄積されてくるでしょう。それらの知識は遠くない将来、多様な生物の発生、進化、形態、行動の完全な物理化学的理解を導くに違いありません。

科学の観点から見ると、すべての地球生物はひとつながりの物理化学現象です。つまり、三十数億年前の地球上で、たまたまそこらへんに多量にあった炭素、窒素、酸素、水素などありふれた原子が何億、何兆個と絡まって巨大な化合物が無数にできて、そのうちの一つがたまたま自己複製構造になって増殖進化してしまったものです。

三十数億年の間に、千億回くらい自己複製により世代交代しました。世代交代のたびに、突然変異でわずかずつデザインを改善して、各回、数万の試作品を作り、一番できの良いものを生き残らせ、残りを捨てるのです。そういう大量試作大量廃棄により千億回くらい試行錯誤を繰り返した結果、奇跡的としか思えないすばらしい設計になったものが、現代の生物です。

現存の生物のデザインは、どれをとってもすばらしい傑作です。生き延びて子孫を残したい、という強烈な目的意識を持って、その身体が作られているようにしか見えません。現在の地球の生命圏は、天才芸術家の傑作だけを陳列している、最高級の美術館です。

千億回も試行錯誤しながら、毎回、数万に一つの最良品を選んで改良を続ければ、誰だって天才的な作品を創れるでしょう。たしかに、最後の完成品である現存の生物体だけを見ると、神様が創った、としか思えないすばらしさです。

宝くじの一等に当たった人にとっては、幸運の女神は間違いなくいるのでしょう。一等に当たった人たちだけが住んでいる町が、現在の地球です。われわれ人間はもちろん、地球上に現存する他のどの生物も、宝くじで六億円当たるより何百万倍も幸運だったから、こういうすばらしい身体を持っているのです。

生きていること、命、はなぜ神秘的なのでしょうか? 自分が宝くじに当たった人にとっては、その幸運は神秘的としか思えないでしょう。それと同じ話です。

だから科学としてみると、神秘的な命などはどこにも存在しません。

拝読ブログ:祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~

拝読ブログ:『松井教授の東大駒場講義録』

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