科学の話は単純です。古来畏敬の念で見られていた生命現象は、現代科学によって、ほぼ完全に理解されました。二十一世紀に入って生命科学の研究は加速されています。人のDNA配列(ゲノム)は完全に解読されました。今後まもなく、科学の進展によって、細胞内でのDNA―RNA―たんぱく質の分子レベルの生成機構など、構成的で詳細な知識が蓄積されてくるでしょう。それらの知識は遠くない将来、多様な生物の発生、進化、形態、行動の完全な物理化学的理解を導くに違いありません。
科学の観点から見ると、すべての地球生物はひとつながりの物理化学現象です。つまり、三十数億年前の地球上で、たまたまそこらへんに多量にあった炭素、窒素、酸素、水素などありふれた原子が何億、何兆個と絡まって巨大な化合物が無数にできて、そのうちの一つがたまたま自己複製構造になって増殖進化してしまったものです。
三十数億年の間に、千億回くらい自己複製により世代交代しました。世代交代のたびに、突然変異でわずかずつデザインを改善して、各回、数万の試作品を作り、一番できの良いものを生き残らせ、残りを捨てるのです。そういう大量試作大量廃棄により千億回くらい試行錯誤を繰り返した結果、奇跡的としか思えないすばらしい設計になったものが、現代の生物です。
現存の生物のデザインは、どれをとってもすばらしい傑作です。生き延びて子孫を残したい、という強烈な目的意識を持って、その身体が作られているようにしか見えません。現在の地球の生命圏は、天才芸術家の傑作だけを陳列している、最高級の美術館です。
千億回も試行錯誤しながら、毎回、数万に一つの最良品を選んで改良を続ければ、誰だって天才的な作品を創れるでしょう。たしかに、最後の完成品である現存の生物体だけを見ると、神様が創った、としか思えないすばらしさです。
宝くじの一等に当たった人にとっては、幸運の女神は間違いなくいるのでしょう。一等に当たった人たちだけが住んでいる町が、現在の地球です。われわれ人間はもちろん、地球上に現存する他のどの生物も、宝くじで六億円当たるより何百万倍も幸運だったから、こういうすばらしい身体を持っているのです。
生きていること、命、はなぜ神秘的なのでしょうか? 自分が宝くじに当たった人にとっては、その幸運は神秘的としか思えないでしょう。それと同じ話です。
だから科学としてみると、神秘的な命などはどこにも存在しません。
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