新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

佐藤雫『言の葉は、残りて』

2022年03月15日 | 本・新聞小説
ロシアの一方的なウクライナ侵攻の悲惨な映像が流れます。仲介者を立てても話し合いが進みません。
妊婦さんが、子供が、体の不自由な老人が、涙しながら子供たちの死に直面する医師が、看護師が・・・。どれほどつらい場面に涙しても、テレビの前ではただ終息を祈るしかありません。これが、核の影におびえる現代の戦争です。

同じ日、胸に突き刺さる映像が流れました。「あの日」が代名詞になった東日本大震災です。11年経った今でも鮮烈な映像にただ涙するばかりです。被災者の癒えない苦悩の表情に、まだまだ復興は程遠いように思われます。
ある日「原発」の名の元に突然住居を追われる。ふるさとに帰れない苦悩、帰らないという選択の苦悩.....。避難指示区域の人たちの苦しみはあまりにも大きすぎて自分の身に置き換えて想像することすらできません。

震災が起きた時、あの惨状にできることは心を寄せることぐらいでした。しっかりと心に決めたことは「3年間震災の寄付を続けよう。年金支給日毎に、自分で少し大変と思う金額を福島県の自治体に」でした。少しでも除染の手助けになればと願いながら。
寄付も3年目ともなると、郵便局のカウンターには専用の振込用紙が無くなり手書きに。局員の方も戸惑っていました。もう忘れかけられている......とその状況に返って辛い思いをしたのです。
大地を除染する・・・・、気の遠くなる様な大変な作業ですが、理不尽に故郷を失った人たちを早く元に戻してほしいと切に願っています。

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大河「鎌倉殿・・・」にこの先登場するはずですが、源実朝を中心に描いた本を読みました。佐藤雫『言の葉は、残りて』(小説すばる新人賞受賞作)です。

実朝に関しては、優れた歌人であり、後世にも高く評価されていること、若くして甥で猶子の公暁に暗殺された悲劇のことぐらいしか知りませんでした。

藤原定家と交流があり、定家の奥義書まで送られたことを何かのドラマで知りずっと気になっていて、もっと深く知れたらという時にこの本に行きついたのです。
政治の中心は鎌倉に移ったといっても、まだまだ文化の中心は京都。実朝には武は似合いません。武芸より文芸。周囲は心配しましたが、実朝の心は京の雅に向いていました。
京都で認められるためには「官位」が必要です。急ぎすぎるくらいに次々と官位を求めました。正室も、望んで後鳥羽の従妹の信子です。

信子の手びきで紀貫之の『やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞなれりける』を知って、より和歌の魅力に傾倒していきます。
過去の展覧会にこの序が出ていたのを思い出しました。
「古今和歌集序」、国宝です。3年前に九州国立博物館で見ていました。

後鳥羽勅撰『新古今和歌集』が届くと、そこに入集された父・頼朝の歌が出ています。信子の『御父上様は武家の棟梁でありながらも、言の葉で人の心を動かす力に優れていらした』という解説に、知らなかった父の意思を確かに読みとり心を動かします。

さて、実朝は天然痘にかかりますがその危機を脱し、心優しき信子との絆を深めていきます。
2代将軍の死因への不信、頭角を表した敵対する御家人同士の策謀、武士としての器量を責められる実朝、後継への口出しなどに苦悩する実朝を信子は支えました。共通の和歌の心も支えになります。

実朝がようやく自立の心を持ち政への関心を増すにつれて、それを阻もうとする「誰か」の気配を感じます。

実朝が心を許している義時の嫡子・泰時から「式目」という言葉を耳にします。言の葉で式目を残す形は、実朝の言の葉で政治を動かしたいという気持ちと一致します。
この貞永式目ができるのはすこし後の執権・泰時の時代になりますが、著者は実朝の心も反映させているのではと思います。

実朝が自信をつけ始めこれからという時に、鶴岡八幡宮で甥の公暁に、行列の最中にいわば公然と暗殺されます。
公暁が叔父・実朝を暗殺するに至る心の変遷が詳しく描かれており、同時に実朝を取り巻く鎌倉殿の状況からもはかり知ることができました。
頼朝も兄弟を容赦なく切り捨てていきました。義時も父時政を追い落とす冷淡さ。政子も北条を守るためには冷淡さを表わします。実朝暗殺も同じ血が同じ血を成敗する・・・。
暗殺の詳しい背景がいまだに諸説あるのは、いかに執権、御家人の思惑と行動が複雑極まりなかったかを表しています。

静かな最終章が、読む者の無念の心を静めてくれます。実朝が亡くなった後、京に戻った信子と藤原定家が実朝の歌についてやり取りする場面です。
実朝の歌を集めた「金槐和歌集」のタイトルの深い意味も分かりました。27歳で亡くなった実朝、言の葉はこの美しい歌集として残ったのです。

福岡市美術館の松永コレクションに伝・源実朝「日課観音図」があります。
線のタッチがのびやかで力強く、簡素ながらやさしい表情の観音様を描きながら、実朝は何を思い、何を願ったのでしょうか。






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