新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

ドイツ・オーストリアの旅⑥

2017年06月16日 | '17ドイツ・オーストリアの旅

快晴!午前中はウィーン歴史地区観光。車窓から歴史と建物の説明を受けながらベルヴェデーレ宮殿内のオーストリアギャラリーへ。

ここには3度目ですが、その都度ガイドさんの説明に個性があるし、その都度面白さがあります。特に今回のガイドさんの幅広く深い知識に感心しました。
クリムト、エゴンシーレの作品の解説には新しい情報もあり数々の大型作品を楽しみました。
入口に止めてあるラッピングバスを見れば、この美術館の内容が一目瞭然と言ったところです。さすが!

次は美術史美術館へ。ウィーンで美術館を一つだけ見るなら迷わずここへと言われます。
今回
特にじっくり見たかったのがアルブレヒト・デューラー作「マクシミリアン1世」。15世紀末の神聖ローマ皇帝です。
    
ハプスブルグ家が輩出した英雄、中世最後の騎士、ドイツ最初のルネサンス人と賞賛されています。よく見ると眼光は鋭く、老獪な政治家の感じがします。フェルメール「絵画芸術」が人気が高そう。

  
㊧ベラスケス「青いドレスのマルガリータ」㊨ブリューゲル「雪中の狩人」、
ラファエロ「草原の聖母」など、教科書にも出てくるイタリア・スペイン・フ
ランス絵画がふんだんに展示されています。

鑑賞後は
日本人経営のギフトショップ、昼食へと進み、その後は5時10分の集合時間まで嬉しいフリータイム。街歩きでウィーンの雰囲気を実感します。シュテファン寺院を目印に地図を見るとわかりやすく、街歩きには何の不安もない所です。
先ずはカフェ・コンディトライへ。「ザッハー」「スルーカ」は経験済みなので、テレビでも見た「ディグラス」を探しました。NHKの別所哲也「旅するドイツ語」に出てきたカフェです。
ウィーンのカフェ文化は2011年にユネスコ無形文化遺産に登録。その始まりは17世紀にウィーンを包囲したトルコ軍が、状況が悪化してあわてて逃げ去った時にコーヒー豆の袋を置き去りにしたことから始まったそうです。

 
ライトのシェードがバレエ服みたい!トレイには、アインシュペナーとお水のコップの上にスプーンを下向きに乗せてあります。これがウィーンの伝統的スタイルとか。
アインシュペナーは温かいコーヒーの上にきめ細かく泡立てたホイップクリームがたっぷり乗っています。ケーキは「赤スグリのケーキ」。とにかく「でかい」です。

ケルントナー通りだけでは面白くないので一歩入った通りを歩きました。そこにも観光馬車が入ってきます。馬糞が道路に落ちないように工夫されしっぽの下方に袋が取り付けてあります。
ローテンブルグでは馬糞が転がっており結構匂いました。日本だったらすぐ始末すると思いますが・・・。
      それぞれの公園には、モーツァルト、シラー、ゲーテの像が設置されていてました。芸術家、文人を多数生み出した誇り高き街であるのがわかります。 

夕食後は、閉館したシェーンブルン宮殿を貸しきっての見学で、警備の人もいませんでした。すごいスケジュールです。
ハーフのガイド「アキラくん」の流暢な日本語解説が素晴らしく、宮殿側も警戒心がなくて太っ腹と感心しました。こんな旅ってちょっと贅沢でいいな~。

大ギャラリーは長さが40m、幅10mで、舞踏会や晩餐会の会場になったそうです。サービスですべてのLEDのライトを点けてくれました。これが昔はロウソクだったのです。

他の観光客に煩わされることもなくゆっくりと見学した後は「宮殿オーケストラコンサート」会場へ。コンサート会場はすこし先のオランジェリー。小雨模様でちょっとだけ傘をさしました。

シェーンブルン宮殿劇場管弦楽団は、室内オーケストラで、モーツァルトやシュトラウス一族、その同時代の音楽家の作品を専門としています。
1時間半。最後には「美しき青きドナウ」。そして「ラデッキー行進曲」では観客まで巻き込んで、手拍子を小さく、大きく、ストップ・・・、と繰り返しながら、オーケストラと同化してしまいました。練習なしで、説明なしで息がぴったり合う心地よさ。芸術に国境はありませんね。

ホテルに帰り着いたのは10時半でしたが、快適なホテルが待っています。 

 
アメニティグッズのラベルが「TOKYO MILK」となっていて何となく嬉しい!バスルームの壁にプリントされた美女、その前でバスに入る夫。一世一代の入浴タイムです!
初日に部屋に入った時に、テレビ画面に文字が出ていました。何気なく見ると、私たちの名前を冠した歓迎メッセージでした!感激!
丸一日、ウィーンにたっぷり浸かったnice day!疲れは出ずに少し興奮気味・・・というところでした。

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