私のミッション
私のミッションのところで、本当に成り立つのか、成り立つとしたら、そのループの破片はそこらじゅうにあるはずです。宇宙と同じように。それを拾い集めて、つなげて、シナリオにすると同時に、理論化していくこと。それを未唯宇宙で試みている。だから、全てのジャンルに、この部分から発想が成り立つかの確認です。ひとつでも例外があれば、それは別位相です。
哲学は一人で作り上げるモノ
哲学は組み上げていくものではない。全ての答えは一人がもっている。自分をどう見るかで、全てが分かるモノです。
哲学が積上げると感じるのは、言葉にするところです。定義できないところを定義する時に哲学を使います。だから、言葉にできないものは存在しないという割り切りは一つの答えです。それで割り切れるとは限らないけど。存在と無がある限りは、部分=全体の位相は確実にあります。
孤立と孤独、存在の無
孤立と孤独、存在の無、どちらが早かったのか。多分、存在の無です。中学2年生の風呂場でのシーンは鮮烈に覚えています。孤立と孤独は、徐々に感じてきた。数学などの気分を紛らわせるものはあった。
同じように、一人しかいないのだから、そこに居る相手は、自分がすべて演じているんだと感じていた。<今>は私だという感覚です。あれは、孤独と孤立の世界です。何しろ、誰もいないのだから。
小麦アレルギー?
小麦アレルギーかな。肋間神経痛です。
自分編のチェック
自分編の特徴はやっぱり、早めに内なる世界に飛び込んでいくことです。孤立と孤独で終わるのではなく、内なる世界を作ることです。その後に、もう一人の私、夢をカタチにする仕事等が出てきて、順当ですね。
1.3までは自分の中です。1.4で初めて、社会に出ていく。どうやって、社会にアプローチするのか、何のためにアプローチするかは置いておく。現象を把握して、働きかけて、サファイアに持って行った。道筋は何回もやっている。
1.7が社会の位相化になっているけど、これは歴史からのアプローチと違って、仕事からのアプローチではなく、自分の内なる世界からのアプローチとした時に、題名がそぐわない。
未唯空間から未来を知るためのプロセスとしての位相化、だから社会に対してはないです。むしろ、もっと大きな範囲、数学的な範囲を超えた世界、自分の存在の力からまとめたところ。そこに情報共有が来るから、話がややこしくなっています。
ここでは現実的な社会というよりも、内なる世界への社会、その中に関係したモノ、その中で答を出すための疑似空間と見る。
コミュニティも人との関わりみたいなものにしていかないと、具体的なイメージがちがってきてしまう。近傍系でもない、コミュニティでもない、内なる世界の単語をどう持ってくるのか。たぶん、「場」でしょうね。情報共有のところは人とのつながりにします。意訳すると、外なる世界です。
最後の位相化のところは、社会全体を内なる世界に閉じ込めて、そこを見えるようにしたということ。それを位相化で定義していく。だから、1.8の未来を知るということは、そこの分析に入ります。そこで、元々の全てを知ることが意味を持ってくる。
私のミッションのところで、本当に成り立つのか、成り立つとしたら、そのループの破片はそこらじゅうにあるはずです。宇宙と同じように。それを拾い集めて、つなげて、シナリオにすると同時に、理論化していくこと。それを未唯宇宙で試みている。だから、全てのジャンルに、この部分から発想が成り立つかの確認です。ひとつでも例外があれば、それは別位相です。
哲学は一人で作り上げるモノ
哲学は組み上げていくものではない。全ての答えは一人がもっている。自分をどう見るかで、全てが分かるモノです。
哲学が積上げると感じるのは、言葉にするところです。定義できないところを定義する時に哲学を使います。だから、言葉にできないものは存在しないという割り切りは一つの答えです。それで割り切れるとは限らないけど。存在と無がある限りは、部分=全体の位相は確実にあります。
孤立と孤独、存在の無
孤立と孤独、存在の無、どちらが早かったのか。多分、存在の無です。中学2年生の風呂場でのシーンは鮮烈に覚えています。孤立と孤独は、徐々に感じてきた。数学などの気分を紛らわせるものはあった。
同じように、一人しかいないのだから、そこに居る相手は、自分がすべて演じているんだと感じていた。<今>は私だという感覚です。あれは、孤独と孤立の世界です。何しろ、誰もいないのだから。
小麦アレルギー?
小麦アレルギーかな。肋間神経痛です。
自分編のチェック
自分編の特徴はやっぱり、早めに内なる世界に飛び込んでいくことです。孤立と孤独で終わるのではなく、内なる世界を作ることです。その後に、もう一人の私、夢をカタチにする仕事等が出てきて、順当ですね。
1.3までは自分の中です。1.4で初めて、社会に出ていく。どうやって、社会にアプローチするのか、何のためにアプローチするかは置いておく。現象を把握して、働きかけて、サファイアに持って行った。道筋は何回もやっている。
1.7が社会の位相化になっているけど、これは歴史からのアプローチと違って、仕事からのアプローチではなく、自分の内なる世界からのアプローチとした時に、題名がそぐわない。
未唯空間から未来を知るためのプロセスとしての位相化、だから社会に対してはないです。むしろ、もっと大きな範囲、数学的な範囲を超えた世界、自分の存在の力からまとめたところ。そこに情報共有が来るから、話がややこしくなっています。
ここでは現実的な社会というよりも、内なる世界への社会、その中に関係したモノ、その中で答を出すための疑似空間と見る。
コミュニティも人との関わりみたいなものにしていかないと、具体的なイメージがちがってきてしまう。近傍系でもない、コミュニティでもない、内なる世界の単語をどう持ってくるのか。たぶん、「場」でしょうね。情報共有のところは人とのつながりにします。意訳すると、外なる世界です。
最後の位相化のところは、社会全体を内なる世界に閉じ込めて、そこを見えるようにしたということ。それを位相化で定義していく。だから、1.8の未来を知るということは、そこの分析に入ります。そこで、元々の全てを知ることが意味を持ってくる。