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未唯への手紙

未唯への手紙

自分編のチェック

2014年10月23日 | 1.私
私のミッション

 私のミッションのところで、本当に成り立つのか、成り立つとしたら、そのループの破片はそこらじゅうにあるはずです。宇宙と同じように。それを拾い集めて、つなげて、シナリオにすると同時に、理論化していくこと。それを未唯宇宙で試みている。だから、全てのジャンルに、この部分から発想が成り立つかの確認です。ひとつでも例外があれば、それは別位相です。

哲学は一人で作り上げるモノ

 哲学は組み上げていくものではない。全ての答えは一人がもっている。自分をどう見るかで、全てが分かるモノです。

 哲学が積上げると感じるのは、言葉にするところです。定義できないところを定義する時に哲学を使います。だから、言葉にできないものは存在しないという割り切りは一つの答えです。それで割り切れるとは限らないけど。存在と無がある限りは、部分=全体の位相は確実にあります。

孤立と孤独、存在の無

 孤立と孤独、存在の無、どちらが早かったのか。多分、存在の無です。中学2年生の風呂場でのシーンは鮮烈に覚えています。孤立と孤独は、徐々に感じてきた。数学などの気分を紛らわせるものはあった。

 同じように、一人しかいないのだから、そこに居る相手は、自分がすべて演じているんだと感じていた。<今>は私だという感覚です。あれは、孤独と孤立の世界です。何しろ、誰もいないのだから。

小麦アレルギー?

 小麦アレルギーかな。肋間神経痛です。

自分編のチェック

 自分編の特徴はやっぱり、早めに内なる世界に飛び込んでいくことです。孤立と孤独で終わるのではなく、内なる世界を作ることです。その後に、もう一人の私、夢をカタチにする仕事等が出てきて、順当ですね。

 1.3までは自分の中です。1.4で初めて、社会に出ていく。どうやって、社会にアプローチするのか、何のためにアプローチするかは置いておく。現象を把握して、働きかけて、サファイアに持って行った。道筋は何回もやっている。

 1.7が社会の位相化になっているけど、これは歴史からのアプローチと違って、仕事からのアプローチではなく、自分の内なる世界からのアプローチとした時に、題名がそぐわない。

 未唯空間から未来を知るためのプロセスとしての位相化、だから社会に対してはないです。むしろ、もっと大きな範囲、数学的な範囲を超えた世界、自分の存在の力からまとめたところ。そこに情報共有が来るから、話がややこしくなっています。

 ここでは現実的な社会というよりも、内なる世界への社会、その中に関係したモノ、その中で答を出すための疑似空間と見る。

 コミュニティも人との関わりみたいなものにしていかないと、具体的なイメージがちがってきてしまう。近傍系でもない、コミュニティでもない、内なる世界の単語をどう持ってくるのか。たぶん、「場」でしょうね。情報共有のところは人とのつながりにします。意訳すると、外なる世界です。

 最後の位相化のところは、社会全体を内なる世界に閉じ込めて、そこを見えるようにしたということ。それを位相化で定義していく。だから、1.8の未来を知るということは、そこの分析に入ります。そこで、元々の全てを知ることが意味を持ってくる。

新しい数学

2014年10月22日 | 2.数学
トポロジー

 数学の歴史は、モノの関係から抽象化した。そこで生まれたのが、数です。数と云う概念で、個数を抽象化した。次に起きたのは、平均値、微分、積分です。平均値は、その集合に対しての一つのインバリアントです。つまり、集合を一つの言葉で表すのが、平均値であり、微分・積分です。

 そこでは、あくまでも全体というカタチになるから、ベクトルが固定されます。それに対して、概念として、極小とか近傍系を入れた。そこの特徴から全体を作り出すことが起きてきた。空間を作り出すというカタチは、現実の姿と1対1だったから、ものすごく、限られた。

 リーマンから非ユークリッド幾何学を通じて、新しい概念として、トポロジーができた。それは社会の構造よりも先行したものであった。そこまでの考え方を空間に当てはめて、疑似空間を作り出して、全体の様相を見えるようにした、揺することで、挙動を分かるようにする。

 サファイアを入れることで、社会の位相化を作り出して見たら、今のカタチで何が足りないのか、どうすれば、持続可能性を保証できるのかが見えてきた。そのための前提条件である、情報共有とか、近傍系が整ってきている。後は意識を変えて、そちらに変えていくというのが、2.6の位相化です

新しい数学

 これを本格的にするためには、現在のトポロジーの考え方だけでは済まなくなってきた。実際の社会空間をどう定義するのか、歴史という時空間を解析するためには、新しい数学が必要になってきた。それを2.7で述べます。

 位相空間の先がどうなるかを数学的に考えていくと、部分と全体が一緒になるという、究極な姿が見えてきた。これが、自分の出発点の存在と無と同じ位相になります。かなり、答に近いという感覚です。

 この数学を扱った空間はまだない。あるとしたら、宇宙の姿そのものになりうる。一番端が真ん中と同じであり、拡大しながら縮小するという形態は宇宙の姿そのものです。部分と全体となるものを解くためには、宇宙のカタチを解くことになる。それが、社会の次の次のカタチが見えてくる。空間を創出という意味は、部分から全体を作ることができるかの数学モデルです。

 しかし、サファイア空間はどんな数学になるのか。ヒントはEUにあります。Think Globally, Act Locallyの考えは、スペインから発生して、EUの行動指針になった。

販売店での新しい数学

 販売店からすると、店舗での活動が販売店での活動になり、めーかーの活動になる。今までの売るというところと異なってきます。

 売るということは商品があって、それをお客様に伝えて、買ってもらって、おしまいです。それが、店舗から始まっていく、お客様から始まるカタチなり、それが全体の商売になることを意味している。当然、メーカーの意味が大きく変わります。

 その中に、売るということもはまり込んでくるけど、ベースは使うということ。それを究極のカタチにすると、店舗と本部だけの関係ではなく、ローカルの世界の位相が変わってきます。

 全体を知るということをやっているのは、そのためです。一部分だけを変えることはできない。位相というのは、そういうものです。全体の位相が決まった上で、その部分がどのように反応を起こすのか。

 店舗の活動から本部の活動を作り、そして、メーカーの活動を作ることが理論的に成り立つようにしていく。それを社会に適用すると、コミュニティから国全体を作りことになります。

 メーカーのカンバン方式も同じです。一部だけをカンバン方式にしても、儲かる話ではない。位相のように、部分から全体の流れを変えていかない行けない。それを行ってきたメーカーで、それができないことは無い。それを言い続ける人間が必要だし、それを川ていくプロセスを見えるようにしないといけない。一番重要なのは、範囲です。どこまでの範囲でどのようにしていくかです。トポロジーでの連鎖です。

 概念は一緒だけど、カタチはフィールドで全て変わってくることに、どこまで耐えられるか。それがサファイアです。店舗のみで成り立つのではなく、それをいかに循環させて、店舗発で全体の位相を作っていく。それが販売店でのループであり、お客様のループになり、社会全体のループになっていく。

パートナーからの相談

 今日中に1までやって、全部、プリントアウトできるようにしましょう。そして、あとは本を読みましょう。

 9時15分から電話での相談をしたので、明日へ順延です。

ソニーICD-TX650のノイズはバグ?

2014年10月22日 | 7.生活
メガネ・ブックの使用用途

 このメガネ・ブックは何に使いましょう。もっと近づけないといけないかもしれない。

 メガネ・ブックはぶん回すか、飾りなのか、それともチェーンなのか。自由に発想しているけど、なかなか用途が見当たらない。やはり、本のインデックスなのか。それにしては、すこし、ごついですね。

ソニーICD-TX650の騒音はバグ

 何しろ、近づけて、声を出すこととマイクの方向に気をつけることです。前面から話すことと、ちょっと時間を置くこと。それと口述筆記のように話すことにします。頭の回転を落とします。

 どう見ても、他の音を拾いすぎている。ワイドマイクだからでしょう。スタバでの揺らぎは本当にすごいですね。

 SX1000のレベルとは、あまりにもかけ離れている。もしかすると、初期トラブルなのか。

 ジーという音がどうにも気になります。

家での入力

 家で入力が出来ました。だから、入力の方法を変えます。

持ち物

 今日はA5版のシルバーです。A6版なら、ポケットに入ります。あと、ケータイが重たいだけです。パートナーからのメールと電話がなければ、外せます。時刻表示だけですから。

パートナーのシステム設計

 第5章にシステム設計をどう入れ込むか。パートナーが役立つようなデータベースの構造まで踏み込みます。

 お客様情報とお客様状況、それらを販売店での見方だけでなく、お客様からの見方、社会全般からの見方、それらをどのようにバランスを取るのか。そこでのシステムの作り方、展開の仕方、販売店への展開の仕方を第5章に入れ込みます。

 お客様ポータルの持って行く先は、地域のコミュニティです。メーカーとつなぐというよりも、そちらにつなぐという発想をどこに入れるか。この分は、パートナーのシステム設計では、ディテールというよりも、根幹になります。

 スタッフの分化ももっと具体的にしないといけない。メールとか情報共有のツールの具体的なイメージ、どこを発展して、システムサポートをだれがどのようにするのか。最終的には、パートナーが自分で判断できるようにしておきます。

システム設計の最終目標

 ナレッジの作り方とか、お客様からの情報の得かたとか、社会の情報の関係とか、どういう観点でシステムに組み込むのか。最終目標は車を売ることではなく、使っていって、新しいクルマ社会を向かえることです。

 情報共有の目的は、あくまでもスタッフの分化です。そして、お客様にどう向かっていくのか。それを高度サービスにつなげて、新しい仕事にしていく。

数学で全体を見る

 真理は不変であること。まず、数学編で規定しました。その不変で全体が見えること。だから、数学だからという解釈です。

 空間認識する理由はあくまでも全体を見るためです。全体が見えれば、先が見える。そのためには枠が必要になる。だから、真理は複数存在する。空間である以上は全体と部分に分かれる。座標系でも集合でもはなく、空間として、次元がある。

 全体から見るというやり方で空間を定義するのは、制約が多すぎるので、部分から作り上げている手法が多様体です。それで空間を規定するというのが、2.1です。空間には位相を入れないといけない。そのための位相は何か? そこから出てきたのが、モデルであり、サファイアです。サファイアの軸はX-Yではない。

サファイアの理論化

 一つの軸はローカルとグローバルです。この裏側には、複雑性の概念が隠れています。周縁が中核を変えていくものです。二つ目の軸は、考えることと行動することです。これに確信が持てたのは、デルフォイでの啓示です。そこでは、行動と思考が完全に分かれています。

高度サービスは産業

2014年10月21日 | 5.その他
時間の感覚

 うまく、時間の感覚がつかめない。これを発信している限り、生きているのでしょうね。生きている以上は言葉が必要です。

ミヤミヤ

 彼らが感じているミヤミヤと私の思っているミヤミヤとは異なる。これはパートナーもIさんも同じです。内面に踏み込んでいます。

未唯空間のテーマ

 今日はテーマを埋めます。題目にとらわれずに、何を書くか、ダブリもあるけど、むしろ、流れです。そして、アナロジーです。ジャンルを超える意味そのものになります。思考過程は、全て、この中に入れておきます。そのアウトプットを家で行います。家でできるかどうかがポイントです。

 イメージをハッキリさせます。いつでも絵を描けるようにします。絵と文章との対比です。絵がいいのは、関係がハッキリするのと、集合でやることも出来ることです。言葉というのはその辺が曖昧です。

家での作業

 今は、ブログの入力ぐらいで、なかなか考えることができません。考えるのは別の場所としても、それを入れることを家でできるようにします。ICレコーダーを持たずに、しゃべられることはこれでできるようになりました。歩きながら考えられるようにします。

機能制限

 クルマも同様に、機能を制限すれば、価値は高まります。これのすごいところは、ボタンの数とか入力を減らしていることです。アップルのマウスのワンクリックで感動したことを思い出します。

点が集合になり、集合が点になる

 点が集合になり、集合が点になる。このロジックは、次元を突破する方法です。これが次の世界のベースになる。

 放り込まれた存在が全体を変えていく。ロジックを作り出していく。その中に、カバーリングがあります。ローカルからグローバルを展開していく。近傍系が発達する。結局、そこが一番違ってくる。全体から、個人を指定するのではなく、個人から全体を指定する。一緒になる。それはロジックそのものです。

 ロジックはシステム設計そのものです。それで全体の動きをカバーする。夫々が動き出す自由をいかに保証するか。

 タイムスリップも、放り込まれた存在です。一緒です。分からないのはこの最近の入れ替わりです。それがあるのかどうか。他者との関係からすると幻想です。シェアリングなら可能性はあるけど。

高度サービス

 環境社会における、高度サービス。これが小さいように見えて、使命を制する。経済そのものです。生活者を相手にした場合には、これがキーになります。作ることからサービスに変わることでは、シェアもここに入ります。

 高度サービスを産業にしないといけない。経済の中心にしていく。それによって、共有意識がはじめて発揮され、お金になり、雇用につながる。

ICD-TX650

 ミュージックを入れました。演奏の途中で思ったように、録音に切り替わりました。戻せば、その途中から始まります。

 問い合わせ

 http://www.sony.jp/support/ic-recorder/

 使い方相談窓口 0120-333-020 050-3754-9577

 修理相談窓口 0120-222-330 050-3754-9599

 型式:ICD-TX650 シリアルナンバー:1000739

「お待ちしていました」がマックを救う

2014年10月20日 | 7.生活
お待ちしていました

 47分から首を長くして待っていたという表現はなかなか面白いです。

 「お待ちしていました」というのは、やはり、魔法の言葉です。昨日は「47分から4分間、待っていました」と言われた。セブン・イレブンの東欧系の店員にそれを言われたら、感覚が変わるでしょう。

 マクドナルドもやはり、「お待ちしていました」から始めないと、コミュニケーションが変わらない。スマイル=0だけではダメです。思いを言葉にすることです。そして、思いを作り出すのです。

多層化構造

 統合における構造はどんな形なのか。これを具体的に話せるようにする。入れ子の形になるのは分かっているけど、それぞれをバラバラにして、統合でつなげるのか。地方自治ではどうなるのか。

 内容にしては、2.7の新しい数学のなかの多層化で構造を検討しないといけない。そうなると、「新しい数学」の中に、具体例として入れるカタチです。

集合知からの変革

 集合知の可能性から統合へつなげられるか。片方に専門知がある。その専門知が限界にあるということと資本主義ともつなげる。そして、集合知をやるためのベースとしては、個人が分化すること、組織が分化すること、それによって、カバリングする。それがない限りは、集合知は集合知で終わります。

 部分が全体を支配するようにもっていかないといけない。それをどのジャンルに入れるか。最終的には、分化と統合です。遷移の意識と共用とは関係する。ハリケーンでのアメリカの対応と3.11の日本の対応は関係する。ただ、日本の場合は異常です。

 分業化して、プロの時代になったことは分かるけど、そこまでのシナリオから先に持っていくのに時に、専門家からアマチャーの集合知になるというのは、ウィクペディアだけでは説明できない。

 集合知でない、下から作り上げるものを定義しないといけない。それに集合知という名前をつけることで、答えが違ってくる。

スターバックの低周波

 スターバックの低周波が何から起こっているのかわからない。電磁波なのか、モーター音なんでしょう。無線LANも気になります。スタバでの低周波を調査します。低周波というよりも、揺らぎです。

クルマの正義

 クルマはインフラに対して、共有に対して、正義なのか。システム設計である限りは、理念と方向性を持たないといけない。

 ここでいう方向性は、皆の可能性を示している。だから、一人でも立ち向かえるのです。正義だから。

ICレコーダーの雑音

 雨が降っているので、寒いです。それと道路のそばでは雑音が激しい。話しながら歩くときに、道路脇は騒音がきつすぎます。

 まだ、雑音が気になります。周りの音をかなり拾いますね。指向性マイクでないからかもしれない。

OCRの6冊

2014年10月20日 | 6.本
『次世代に送る<絵解き>社会原理序説』
 社会とは何か
 そもそも「社会」とは何でしょうか?
 社会はどのように発展してゆくのか
 経済とは何か
 四つの階層のコーン
 マダルの虎 人間の常識が及ばない世界
 価値観とは何か
 政治とは何か
 社会の価値観を作っているのはだれか
 社会を変革するのはだれか
 仕事とは何か

『教育委員会は不要なのか』
 教育行政と学校現場はどうなるか
 教育委員会の可能性をひらく
 新自由主義改革の障害物と見なされた教育委員会
 教育委員会制度に可能性を見出すー犬山市の取り組みから
 教育委員会を支える教育長・事務局

『思考の取引』
 終わりなき読書
 思考の取引

『知的生産の技術とセンス』
 情報をどうアウトプットしていくか?
 誰もがアウトプットしなければいけない時代
 現在はどうでしょうか?
 アウトプットヘのハードルが下がった
 これだけある知的アウトプットのプラットフォーム
 「声」を持った発信と、リミックス
 リミックスを加速する発想法
 コラボレーションを可能にするサービスたち
 ログの生み出す力を享受しよう
 こつこつとコンテンツを提供できるサービス「note」
 知的アウトプットの輪を広げる
 わけの分からないことに身を投ずる
 世界に+(プラス)の影響を与えるために
 世界に+(プラス)の影響を与えるための素養
 登山で磨かれた知的生産のためのセンス
 専門に縛られない
 たった一人で世界を変える
 一人の熱意が伝染する、活動の拠点を持つこと
 かけがえのない人材になろう
 逆境を手なずける
 梅棹先生が私たち=未来に託したテーマ

『ネット社会の「正義」とは何か』
 正義とは何か
 個人と共同体のコミュニケーション・システム
 絶望に向き合う
 選良と大衆
 情報の海とは
 生命と情報、そしてオートポイエーシス
 社会と情報、そして階層的コミュニケーション
 機械と情報、そして遠隔コミュニケーション
 ハイブリッド・コミュニケーション
 集合知民主主義の統合モデル
 大小のコミュニケーション・システム
 効用関数
 N-LUCモデル
 アローの定理による限界性の回避
 ネット集合知でもとめる正義(結論)
 アマチュアの集合知への期待
 機械知と生命知
 功利主義と自由主義と共同体主義
 集合知民主主義の統合モデルをめざして

一般意志と個人意志

2014年10月20日 | 2.数学
未唯空間のテーマ

 どう進めていくかを本当に考えないといけない。そうしている間に、10月20日とは。

ICD-TX650

 こっちはつぶやき専門にしましょう。

 ソニーの価値観が分からない。このPRが全然、届いていない。分かる人には分かるものが重要な時代に来ているのに、キャッチボールしようとしない。これは、決定版なのに。

 これを使えば、散歩できると思いましょう。その意味では健康器具になります。

 ポーズがないのは、割り切りです。それによって、RECボタン一つで済みます。STOPボタンが不用になります。マイク用のジャックがないのは用途と限定した結果です。社内で散々検討したのでしょう。その過程そのものに、なぜ、ユーザーを巻き込まないのか。

 機能を削減することが重要です。スマホに何でも付け加える発想はやめた方がいい。

 どの状態でも、ボタン一つ押せば、録音フォルダーに音声が追加できます。すごい発想です。このすごさが分かっているのか。

エッセイを書く

 この辺の考え方もエッセイにしましょう。自分をいかに媒体にしていくのかという観点です。

高度サービスのコミュニケーション

 スタバのIさんが休んだ時に、朝、バリスタ4人に連続して、「Iさんはお休みです」と言われた。このメールの時代に、完全にアナログです。行かないと分からないと同時に、それぞれの人が言おうと待っている世界。これが魅力的になります。

 こういうコミュニケーションがマクドナルドには存在しようがない。バリスタの名前を覚えるよりもお客様の名前を覚える方がうれしいモノです。それで待っている人がいる世界です。

朝はマカダミアにする

 朝は、やはり、マカダミアにしましょう。お腹の方を何とかしないといけない。体重を減らすことです。

自由と所有権

 法律がなければ、自由はありえないというルソー。

 自分は自分の意志で行うことよりも、他人の意思に屈服させられないこと。ひいては、他人の意志を自分の意志に屈服させないこと。自由を国家に譲渡することで、不安定で勝手気ままな存在に代わって、正義と誰にも奪うことのできない所有権が生まれる。

 ここで所有権を放棄することは、自由を無くすことではなく、むしろ、新しい自由を得ることになる。それによって、ルソーを超えることができる。欲望だけにかりたてられるのは奴隷状態であり、みずから課した法に従うことが自由である。

一般意志と個人意志、そして全体意思

 一般意志と個人意志をどちらを優先させるのか。そこに在るのは、情報共有です。それと合意の仕方です。それによって、状況が変わってくる。一般の意志をどう定義するのか、そして、個人の意志が、分化と統合の関係でどう変わってくるのか。

 ここで、トポロジーが出てきます。ルソーがトポロジーを知ったなら、答は異なっていたでしょう。

 全体意志(すべての個人の望み)と一般意志を区別している。全体意志は個人の私的利益と欲求の単なる総和であるのに対し、一般意志は共同の利益であり、すべての人にとって本当の意味で最善なものである。あらゆる個人はお互いに引けを取りたくないと願い、この競りあいの中からより広い公共の利益が生まれる。

 一般意思が本当の意味で最善のモノかどうかわからないけど、未唯空間のロジックとつながります。

一般意思をトポロジーで考える

 ここで、一般意思がどういうものかという定義が数学的にはなされていない。そんなものというカタチです。存在の意思なんでしょう。そこで重要なのは、エリアを限定させることです。その組み合わせをどのように多層化させていくのか。一般の意志を単なるプレーンの上で描こうとしている。

 個人の意志は一般の意志の関係で色々な役割が出てきて、個人の潜在的な能力がそれで出てくる。

 重要なのは、ヘッドロジックです。個人の思いの方が、一般の思いよりも大きいということあり、従属するのでなく、合意して、和を作ることができる。それだけの思いを個人に持たせることです。だから、個人は全体を見ながら、変わっていかないといけない。そのために全体を知らないといけない。

 民族が異なり、戒律が異なる空間で一般意思ができるはずがない。だから、エリアが必要なのです。それをどのようにやっていくのか。国という単位を分けないといけない。それらをいかにして、分化と統合に分けていくかが必要になってくる。

 ルソーのように、単に協調性だけでは、自由は守れない。ルソーはスイスの直接民主制のもとで育った。あれをいかにして、現実のものにしていくのか。そこから発想していく。

平和と自由

 平和と自由の問題がここには出てきます。全体主義はウチ側で平和を実現します。ただし、自由は圧迫します。単なる民主主義で、自由は実現できるかもしれないけど、平和は実現できない。個人意志をそのままにすると争いのもとです。

 自由と平和は相反するモノなんだ。

ICD-TX650

 スタバで録音したけど、低周波が発生している。昼休みに調査しましょう。どこから出てくるのか、それを防御するにはどうしたらいいのか。

5日ぶりのIさん

 あの優しさはなんなのか? そして、まるで警戒心がない。あのスタンス。その点では、パートナーも一緒ですけど。

 IさんにICレコーダーの紹介をしました。縁があるんですよ。今日は12時までで、明日は二胡。水曜日から金曜日までは朝から出ている。今週は楽しみましょう。

 11月1日の二胡の演奏会が豊田市プラネタリウムであることを話題にしましょう。

未唯空間のテーマ

2014年10月19日 | 1.私
もう、寒くなってきた

 朝は、味噌煮込みにしました。日曜日の朝には合いますね。朝は寒いですね。唯一の暖房器具の布団乾燥機を用意しましょう。フリースの部屋着を買ってきましょう。朝、5時から入力するには必要です。

 フリースの部屋着は3000円もしました。迷彩色です。奥さんから撃たれると言われた。この季節から着ているのはバカじゃないかとのこと。

 部屋にあるものを布団の上に出していたら、珍しく、未唯が入ってきた。新車の保険でサインせよとのこと。ミニクーパーもどきのホンダのNボックスは気に入っているみたいです。ついでに、部屋を片付けたらと言われた。

ICD-TX650の機能確認

 再生しているフォルダーと録音するフォルダーが別になるのは、すごいですね。これは普段からつぶやきを録音を使っている人でしか分からないことです。音楽とか、会話を聞いていても、思いついたことをその場で録音できます。それもボタン一つで。そこから戻ればいいんです。録音用のフォルダーをフリップフラップにします。

 機能を落とすことはいいことです。マイクのジャックがありません。よく、落とせたものです。そのために、ケータイの録音はできなくなった。SX1000に任せましょう。

 こういう意見を言えるコミュニティをソニーはなぜ、オープンしないのか。ソニーが狙うのは、ユーザーとの接点強化でしょう。

 道路脇では、胸ポケットにしておくと、かなりの音を拾ってしまう。ボイスメモと胸ポケットの差よりも、距離との関係です。話す時には持つようにするしかない。そうなると、ベースはボイスメモです。マイクはワイドのみだから、ICD-SX1000の指向性には勝てません。

 ワイドのマイクでは、VORはやはり、使えませんね。イヤホンは短くして、常時、使用するようにします。やはり、ボイスの方がいいです。余分なものがないから。あとは、マイクの位置です。

 エイデンでは、このICレコーダーは何も入っていない。9月からのソニーのパンフレットだけしかなかった。POPも実物もない。

 BACKとOPTIONは関連しています。フォルダー指定でOPTIONを押すと、フォルダー単位での操作でき、ファイル指定で、OPTIONを押すと、フォルダー内の全ファイルの削除ができる。

 書き起こし用の体制・スペックを確認しておきます。

未唯空間のテーマ

 未唯空間のテーマをどうまとめるか? とりあえず、テーマに関するイメージを描きましょう。テーマでは、全体のジャンルに関わるもの、複数にまたがるもの、そして各単元なところに分けます。

 テーマのイメージの下に、関連語を置きましょう。例えば、サファイアのテーマに対して、サファイア循環、サファイア社会、サファイア表現、サファイア理論を置きます。存在の力に対しては、存在の力をベースにして、意思の力、社会の位相化を置きます。つまり、近傍系をイメージさせます。

二胡の調べ

 プラネタリウムで11月1日(土)15:00~、18:00~。先着140名。産業文化センター内の豊田科学体験館。これもネタにしましょう。

街の中の居所

 それにしても、街中に居るところがないですね。ICレコーダからの落とし込みを図書館とか、スタバで行えるようにしましょうか。

 考えるのは、恰好つけないといけないので、スタバになります。人の出入り、それも美人が多い、があるから好きです。いつもの席からは、飲み物を受け取る人の様子が分かります。最高のポジションです。

アマチュアの集合知への期待

2014年10月19日 | 1.私
『ネット社会の「正義」とは何か』より 正義とは何か 個人と共同体のコミュニケーション・システム ネット集合知でもとめる正義(結論)

この章では本書の内容をいったん振り返り、要点をまとめてみたい。まず肝心なのは、二一世紀のいま、人間の知的活動のあり方そのものが、IT(情報技術)の進展とともに、否応なく曲がり角を迎えているということである。

二〇〇年あまり前、西洋でいわゆる近代が始まった。近代的な社会では、それ以前の身分制社会と異なり、一般の人びとが基本的に平等な地位をあたえられ、啓蒙的な教育をうけて生産消費活動をおこなう。そこでは効率が重んじられるから、分業体制がとられる。つまり、人びとの職業は細かく分化し、プロフェッショナル(専門家)として社会的活動の一端を担うことになる。むろん、身分制社会でもそれなりの職業分化はあったが、もはや上層の王侯貴族が下層の庶民を支配統治するための分業ではない。機能的に細分化されたプロフェッショナルたちが、相対的な立場で、多様な役割を受けもつのだ。こうして二〇世紀末まで、われわれの文明はひたすらプロフェッショナルによる専門知を追求してきた。精密な専門知の体系が現代文明のメカニズムを支えており、だからこそ「知識社会」というテーゼも唱えられるのである。

しかし一方、精密に構築されているはずの専門知が現在、さまざまな場面で制度疲労を起こしつつあることも、また否定できない。主な原因の一つとして、文明の進歩とともに解決すべき問題が複雑化・大規模化しているのに、専門領域が極端に細かく分化しすぎて、現実に対処できなくなったことがあげられる。地球環境やエネルギーなどをはじめ、問題がひろく複数領域にまたがる例はかぎりない。三・一一束日本大震災での原子力発電所事故と直後の混迷ぶりも、その負の面の表れと見なすこともできるだろう。どの専門領域でも、処理すべきデータ量はいちじるしく増大した。いかに優れたプロフェッショナルでも、自分の狭小な専門領域の知的活動をフォローするのに精一杯で、総合的・大局的な観点から問題をとらえることが難しくなってしまったのだ。

一つの解決策として、人びとの健全な常識やアマチュアの知の活用が考えられる。人口の約半数が大学に進学する高学歴社会となりつつある現代日本では、基礎的な教養や知識を体得した人びとは決して少なくない。既存の知の枠組みや近視眼的利害にとらわれがちがちなプロフェッショナルにはない、新鮮なアイデアや批判がアマチュアから生まれてくる可能性もある。むろん烏合の衆のアマチュアだけでは危険千万だが、そこにプロフェッショナルの適切な助言やナビゲーションが加われば、アマチュアの身体的な「生きる知恵」にもとづいて難題を解決する道筋も見えてくるかもしれない。

こういう可能性をひらいたのが、二〇〇〇年代半ばに米国から導入された、いわゆるウェブ2・Oである。これは、老若男女の誰もがネットで自分の意見をひろく発表し議論するための技術的可能性をもたらした。残念ながらウェブ2・Oは当初、あまりにビジネス利用に偏した楽観論とともに紹介されたためか、その知的影響はまだ一部にとどまっている。だが、専門知の限界が露呈しつつある今、何とか現状を打破し、ネットにおいてアマチュアの知を活用する「集合知」の可能性について真剣に考察しなくてはならない。

すでに、クイズのような「正解がある問題」については、アマチュアの衆知を集めることで、場合によってはプロフェッショナルを凌ぐほどの効果を期待できることが知られている。これは、アマチュアによる正解の推定方法が既存のアプローチにとらわれず、多様性をもつためだ。また、たとえ正解が未知の問題についても、もとめる解についての評価基準が明確であれば、衆知をあつめることは非常に有効である。たとえば、チェスの指し手をみんなで投票して決める、といったケースはその典型例だ。適切なリーダが音頭をとり、指し手の良否を比較するための評価基準を示しつつ人びとの意見をまとめ上げていけば、チェスの世界王者を相手にチームで善戦することさえできるのである。これはアマチュアが決して立ち入れないように思える最先端科学(天文学や分子生物学)の研究でも同様だ。もし科学的な難問をアマチュアでも取り組めるようなサブ問題まで分解し、かみ砕いて示すことができれば、ネットでのアマチュアの知は大いに活用することができるのである。これは「オープンサイエンス」とよばれる新たな知的潮流に他ならない。

問題は、政治的決断をふくむ公共的問題のような「正解がない問題」にたいして、アマチュアの衆知をいかに活用できるか、である。たとえば、死刑を存置すべきか廃止すべきか、教育現場に成果主義を入れるべきか否か、などといった公共的な問題は、人びとのあいだにさまざままな意見があり、明確な評価基準が存在しない。これに対してアマチュアの集合知を適用することが果たしてできるだろうか。

民主制社会では本来、こういった公共的問題についても、人びとが主体的に思考し、議論を重ねてボトムアップで結論をもとめていく、というのが建前である。だが、現実には、すでに述べたように、一部の「選良(政治家、官僚、ジャーナリスト、学者など)」がプロフェッショナルとして決定権をにぎり、一般の人びとは事実上まったく無力な状態におかれている。そして、先進国のなかでとくに日本では、人びとの公共的問題への興味関心や参加意欲があまりに低いとささやかれている。たとえば裁判員制度は、司法の領域にアマチュアが参加する画期的な制度であるにもかかわらず、その意義が国民のあいだで広く共有されているとはとても思えない。パターナリズムとお上任せがこの国の昔からの文化風土だと言えばそれまでだが、グローバリズムを言挙げするなら、そのあたりの改革もめざすべきではないだろうか。

たった一人で世界を変える

2014年10月19日 | 4.歴史
『知的生産の技術とセンス』より 情報をどうアウトプットしていくか? 世界に+(プラス)の影響を与えるために

たった一人で世界を変える

 梅棹先生はその知的好奇心や先進性によって、時代をはるかにさきがけた思考をしていた人でした。

 本書の執筆にさきがけてグランフロント大阪で開催された「情報デザインの未来・過去・現代」というイベントにおいて、登壇された東京大学の暦本純一教授は、梅棹先生の数々の業績や発想が、その後有名になった本や学説を先取りしていたことを指摘しています。

 例えば梅棹先生の『文明の生態史観』に提示されたユーフシア大陸の東西の広がりによって生まれる文化の特徴の違いという視点は、ジャレド・ダイアモンド氏の『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫)に提示された地理的関係と人類の発展史との関係を先取りしたものといえます。また、『情報の文明学』のうちの一編「情報産業論」に書かれた人間の脳の進化と農業から工業へという社会の成長、そしてきたるべき情報産業の予見という視点は、アルビン・トフラー氏が『第三の波』(中公文庫)で提示したモデルとよく似通っています。

 その先見の明はすばらしいのですが、普通の人はここで首をかしげてしまうかもしれません。それほど先進的だったならば、なぜ『銃・病原菌・鉄』を書いたのは梅棹先生ではなかったのでしょう。梅棹先生の名前が世界中にとどろいていないのはなぜなのだろうかと。

 もちろん主な理由としては、梅棹先生の著作が近年になるまでほとんど英訳されなかったために世界的な知名度が限定的であったという点が挙げられます。しかしそれよりももっと積極的に、私は梅棹先生の影響が実際には世界に届いていて、静かに世界を変えていたのではないかと夢想したくなります。

 ここに世界を変えるということの見た目と、実際の違いがあります。

 多くの場合、私たちはひとにぎりの天才の手によって世界がいっぺんにぬりかえられてしまう本なり、論文なり、作品なりが提示され、天才ならざる我々はそれに比べれば取るに足らない役しか演じられないのではないかと考えがちです。

 しかしどんな論文でもそれが引用している先行研究があるように、本にはその本を書かせるに至った動機の本があり、作品にはそれを触発し、導いた先人がいるものです。

 梅棹先生の自由閥達な好奇心は、何らかの形で世界に伝わり、それが回りまわって、先ほど挙げたような偉大な本なり、学説なりが登場する下地を作っていたのではないかと私は前向きに考えたいと思います。そして先生がそうであったように、私たちの好奇心が導く情報インプットと、アウトプットもまた、次にやってくるものの準備をしているのではないかと思うのです。

逆境を手なずける

 梅棹先生は65歳のときウイルスによる疾患から失明しています。通常であれば、研究者のキャリアとして大きなハンデとなる出来事です。フィールドワークを重ね、資料を読むというインプット、論文や著作として発表するというアウトプットのいずれも、視力を欠いてしまっては困難になってしまいます。知的生産のための道具の根本を失ってしまった、と言い換えることもできるでしょう。しかし、梅棹先生はそこから20年以上、90歳で亡くなるまで精力的に口述筆記によって「執筆」を続けたのです。

 そのスピードは失明前よりアップして、月に1冊以上の本が出る=「月刊うめさお」とまで呼ばれる勢いだったといいます。口述筆記という手法とはいえ、これは本を書く仕事をしている私からしても、驚くほかない、もの凄いペースです。自らのうちにインプットされ蓄積されたものごと、それを整理しアウトプットするセンスなくしてはできなかったはずで、このことIつとっても梅棹先生の凄さに圧倒されてしまいます。

 身体的なハンデを乗り越えた梅棹先生は、しばしば論争を巻き起こした人でもありました。世界に対して意見をアウトプットする「アジテーション」も、特に日本においては「出る杭は打たれる」という言い回しがあるように、簡単に逆境を招いてしまいます。

 梅棹先生が39歳のときに発表した「妻無用論」はその典型的な例と言えるでしょう。『知的生産の技術』の出版に先立つ1959年、『婦人公論』で発表されたこの刺激的な題の論文は、世間を大いに刺激したのです。

 洗濯機をはじめとする白物家電が徐々に普及しつつあり、家庭における「主婦」=家事労働者の役割が変化しつつある時代でした。今でこそ、共働きが当たり前となり、そのための環境整備を政府も推し進めようという状況になっていますが、当時は(今も一部ではそういう主張が見られますが)妻無用という刺激的なタイトルも相まって「子供の教育は母親が担うべき」だという激しい反論に見舞われたのです。

 しかし、梅棹先生は、この反論に一時的に気落ちはしたものの、討論会に積極的に参加したり、雑誌にさらなる論文「母という名の切り札」を発表するなど、論争を楽しんでいたかのようにも見えます。2011年~2012年に、大阪の国立民族学博物館、東京の日本科学未来館で開催された、梅棹先生の足跡をたどる展覧会(ウメサオタダオ展)では、論文に寄せられた賛同、あるいは批判の声が綴られた手紙も展示されていました。手紙の中には、かなり激しい言葉が並んでいるものもありますが、これもフィールドワークということでしょうか、きちんと記録がされていたのでしょう。

 この論争は、昨今ネットを賑わしているような「炎上」とは、根本的に本質が異なっています。そのことが、論争を炎上とさせず、逆境を招く余地を与えなかったのではないかと筆者は考えています。その本質とは、この論争が梅棹先生のそれまでの民族学・文化人類学というフィールドワークからごく自然に導き出されたもの(遊牧民の家族における妻の役割などの研究)で、決して思いつきや、自身への注目を集めたいという思いから出てきたものではなかったためです(実際、梅棹先生は当時のジェンダー論争の存在を後から知ったと述べています)。