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未唯への手紙

未唯への手紙

世界に+(プラス)の影響を与える

2014年10月19日 | 1.私
『知的生産の技術とセンス』より 情報をどうアウトプットしていくか? 世界に+(プラス)の影響を与えるために

世界に+(プラス)の影響を与えるための素養

 ここまで知的生産とは、世界に対して小さな+(プラス)を積み重ねていくことだと述べてきました。それは写真の投稿であってもよいし、Twitterへの一言のつぶやきであってもよいし、ブログに日々のちょっとした記録を付けていくことでもよいのです。

 大切なのは、インプットとアウトプットの循環を続けることです。それによって知的生産に必要なセンスが磨かれていく、ということも述べました。

 そのためのツールや環境は、『知的生産の技術』の時代から格段に整備されてきました。これを利用しない手はない、ということも本書をここまで読んできた方なら実感したはずです。

 こうやってアウトプットを続けていくと、多かれ少なかれ、周囲の世界からのフィードバックが寄せられます。それは幸いにもポジティブなものもあれば、残念ながらネガティブなものもあるでしょう。

 ポジティブなフィードバックは、一緒にその課題に取り組む仲間を見つけるチャンスになるなど、次のステップにつながるかもしれません。逆にネガティブなフィードバックは、対応を誤ればいわゆる「炎上」につながってしまい、しばらく辛い思いをしてしまうかもしれません(しかし、災い転じて、ではないですが、そこからまた新しい展開が生まれたり、新鮮な視点を与えてくれる友人が生まれたりもするから、人生は面白いのですが)。

専門に縛られない

 インプットに際して、知らず知らずのうちに「これは自分の専門領域ではないから」という理由で、情報をフィルタリングしてはいないでしょうか? 第2章で書いたように「情報爆発」が進む中、情報のフィルタリングが不可欠であることは仕方がないものの、この「専門」については、いつのまにか自分を縛るものになっていないか、注意する必要があるでしょう。

 梅棹先生は、登山から探検へと軸足を移した際、「開拓」という自分のセンスに従ったのではないかと述べました。そのセンスが培われ、機を見て専門領域を移すことができたのも、情報のインプットに際して、「山」という専門に縛られることなく、関心・観察の領域を広く持っていたからではないでしょうか?山を離れるにあたっては、非難されることもあったといいます。自分は山の専門家だ、という思い込みがあれば、このような転進は図れなかったはずです。

 梅棹先生は、動物の生態学↓文化人類学・民族学↓文明学へと「学問の横歩き」を続けます。自身をアカデミックの世界ではネガティブな意味で使われることの多い、「ディレッタント研究者」(Dilettante=芸術や学問の愛好家)と呼び、後に設立することになる国立民族学博物館とその研究機関でも、専門分野に縛られない活動を続け、それを後進にも求めたのです。

 ある時期にある分野について集中的に学ぶ、というのは今も昔も有効な学習手法です。仕事の依頼といった「情報」を自分が取り入れるかどうか、得意な人に任せた方がよい結果を出せるのではないかといった判断もまた必要な場面もあります。

 ただ、それが「専門性」という情報のインプットのフィルターにならないよう私だちは気を付けなければなりません。

 例えば、職業での専門分野や、大学での研究分野が、現実からずれてしまうことは珍しくありません。かつては、本や新聞、雑誌を印刷するのに欠かせなかった写植という専門職は、コンピューターによるDTP(デスクトップ・パブリッシング)の普及によって、あっという間に過去のものとなってしまいました(もちろん、芸術など一部では重宝される技術ではあり続けていますが)。

 大学生向けの「就職したい企業ランキング」なども、ある特定の分野が必ずしも将来にわたって安泰でないことを示す良い例です。バブル期にはランキングの上位を占めていた銀行・証券会社にはその後のバブル崩壊や、リーマンショックという衝撃が待ち受けていました。テレビや新聞、大手出版社といったマスコミ業界も、インターネットやスマートフォンの普及によって、ビジネスモデルの転換を迫られています。

 今、マイナビの人気企業ランキングを見ると、旅行・大手メーカー・広告代理店が上位に入っていますが、果たしてこの先どうなるでしょうか?

 バブル期にはほとんど存在していなかったIT企業がランキングを席巻し、今またランキングから姿を消していることも流行廃りの速さを物語っています。今は存在していない職業や専門性がもてはやされることになるかもしれません。

 つまり、私たちは、今存在していない、あるいは目の前にはまだ現れていないニーズに向けて、日々インプットを重ねている(重ねるべき)のだと言い換えることもできるでしょう。そう考えていくと、「専門」に縛られることが、いかに危険かということも分かるはずです。筆者の周りでも、普段は会社員、それ以外の時間はブロガーとして活躍している人も増えています。ブログも複数運営し、それぞれに関連したイベントやコミュニティにも顔を出すなど、記者顔負けで活発に活動されている方もいます。そういう人たちはある分野に縛られることなく、専門性を複数持っているということもできるでしょう。

ICD-TX650

2014年10月18日 | 7.生活
パートナーの相談

 朝、10時からの相談。いつもの通りに、2時間、話を聞いていた。なるべく、途中を切らないように努力した。答は全て、自分で持っているということです。すばらしいことです。話すことでまとめられるようにしていきます。自分で答を言っています。

 依頼の仕方もユニークです。「明日、元町に行きますが、いかがでしょうか」これだけです。

 シナリオ作りに悩んでいると書かれていたが、相談時には、こうしようとしているということを的確に話していた。ほんの3分ぐらいです。シナリオは出来ていた。

 来週はIさんに紹介しましょう。目的は不明ですけど。

 パートナーに会えることは楽しいことです。あの2時間は不思議な時間です。考える元もいりますね。

ソニーICD-TX650

 ICD-TX650が送られてきました。12台目にICレコーダーです。今日が発売日ですけど、ソニーは何も宣伝していない。早速、機能チェックを開始した。

 これでいつでも録音できる。ポーズとか上書きの機能はない。つぶやくには不要です。胸に付けても録音できるかどうか。低周波の騒音が邪魔ですね。クリアを変えてみます。シーンセレクトをどう選ぶか。「胸ポケット」は少し、ワイドですね。

 何しろ、インジケータがシンプルです。本当に最低限にされている。

終わりなき読書

2014年10月18日 | 6.本
『思考の取引』より

そうしたわけで、絵画の歴史において、書物や読書といった主題にかょうな地位が与えられてきたのだ。読む男、読む女、読書家、朗読係……これらもまた、類型的な人物像である。というのも、それらの類型は、読書が書物に、書物が読書に及ぼしうる、様態や抑揚の汲めども尽きぬ変化のそれなのだから。では何が、読書の場面には描かれているのだろう。一巻の書物にのめり込むまなざし、そのまなざしに向けてみずからを開き、またそれによって開かれる一巻の書物、互いに惹かれあい、侵しあう、書物とまなざし。画家とはきっと、まなざしについてみずから心に描くことのモデルやイデアを、そこに見いだしうる者なのだろう。まなざしは、対象に距離をおいて見たりせず、事物に警戒の目を光らせ、本質を前に寝ずの番をし、迫りくるものにじっと目を凝らすのだ。

読者のもとに来たるのは、一個の世界である。この世界は、彼がみずからのうちに宿らせている世界の複数性に混じりに来る。読書とは、複数世界の組んず解れつであり、生滅のただなかにある宇宙進化論であり、書物の内部での、また、書物とその時間の宇宙形状誌とのあいだにも生ずる、最初にして最後の合同の特徴を、ポテンシャル、指数、それに漸近線で描きだそうという試みなのだ。この時間とは、書物が書かれる時間かもしれないし、書物が読まれる時間のぴとつかもしれない。また、巷に曰く、書物が「時代を越える」からには、さまざまな時間たちのひとつかもしれない。かくて、プラトンの、モンテーニュの、ミルトンの、ルカヌスの、ジェイムズの、はたまたカフカの読者は、彼らの名のもと、彼らの表題--『エセー』、『城』、『教え子』、『内乱』あるいは『楽園』--のもと、いつまでもその特徴を描き直し続けてやむことがない。そう、変幻自在の図式を、動乱や熱狂を鎮める型破りな方法を、重く垂れこめる無気力や悲歎を、くっきり浮かんだかと思えば侈く消え去るシルエットをそして、そのたびごとにやり直され、作り直され、作り変えられる、ある銀河のブラゾン〔/紋章〕の全体を。

かつて世に曰く、世界そのものが一冊の大いなる書物なのだ、と。それは、世界の運命はカバラの奥義書に封印されているのだと知らせんがためではなく、むしろ反対に、つねに新たな仕方で、この世界に潜む暗号を操り、そこに並ぶ文字を組み換え、そしてついには、世界そのものを書き直さねばならぬのだと告げんがためのことであった。その物語が--ある書物に綴られ、その後また別の書物の表紙にも記されたように--騒ぎと怒りに満ちているとすれば、この騒ぎと怒りこそ、われわれが心を配って然るべきものであり、そのアクセントと筆致を、その筆跡学とでもいうべきものを、あるいはまたその文字学を、それと認めるべきものであるのだろう。

われわれがそうであるところの啓典〔=書物〕の民とは、意味を与えられなかった民--種族、世代、民族、住民--である。意味を与えられた民、矛盾のない充実した世界を、神々の宿る自然、力能を秘めた自然を与えられた民とは、詩や石碑の民、聖刻文字や印璽の民である。われわれには、こうした形象のいずれに類するものも与えられはしなかった。書物は、この種の形象とは別物なのだ。なるほど、それらはいずれも、その規模と内容を、その寸法と権威を、たちどころに物にするだろう。ところが書物は、みずからを保証するものを何ぴとつもたない。かろうじて、埋もれたある形質を、おそらくは見つけることのできない、隠されたというよりむしろ追い散らされ、逃げ去り、もはやそれとわからぬようにたぶてしまったある形質を有するばかりだ。書物たちはみな、聖刻文字や詩に、石碑や印璽になる日を夢みている。どの書物も、ルーン文字の石板に、それとも、めずらしい硬貨の詰まった小箱になった自分を思い描いては陶然とする。だがこうした欲望自体、漠として、あてどないものではなかろうか。岩や小箱に変わってしまったら、書物は書物でなくなるだろうに。

われわれには、いかなる意味も与えられなかったが、読めという命令は与えられたー-それも、われわれに隠され、拒まれているやもしれぬ意味を見いだすためではなく、まったく異なるモードで、あるイデアの空間に、まさしく、与えられた意味の不在の《形》、その真の、本質的な《形》以外の何ものでもない、あるイデアの空間に入り込むために。書物たちはそれぞれ思い思いに、このイデアの形をとり、言い表し、その特徴を描きだし、そして、その描線を再開すべく努力を重ねる。そう、曲がりくねり、定かでなく、直線的でありながら不連続で、断片的な、宴の目のょうに先の読めないその描線、それ自体さまざまな要素を含み、みずからのうえにループを描くその描線、だが、何をどうしたところで終わりに辿りつくことはないその描線を。

それでもやはり--あるいはむしろ、それだからこそ--、書物とはなべて、聖刻文字の選集であり、聖なるもののコレクシ’ンであり、聖画像や紋章の寄せ集めであるのだろう。それらは解きほぐしえぬ組み合わせの暗号を組むのだが、それをまた読者ひとりひとりがわれがちに、異なるコードや新たに見いだされた神話などを鍵に組み換えにかかるのだ。図書館や書店というものは、そうした小箱の預り所であり、貯蔵庫であり、陳列窓であって、肝心なのは、この小箱に新しい閂がかからぬうちに、その南京錠をこじ開けてしまうことなのだ。ロゼッタ・ストーンを読み解いたジャン=フランソワ・シャンポリオンは、本の行商人の息子に生まれ、独学で読み書きをおぼえると、まず本屋として身を立てたのである。

教育行政と学校現場はどうなるか

2014年10月18日 | 6.本
『教育委員会は不要なのか』より

首長による教育長の任命及び罷免

 二〇一四年改正により、この改正法が施行される二〇一五年四月一日以降、教育長は首長が直接任命することになりました。教育長はこれまで、教育委員会が教育委員のなかから任命し、教育委員会が定める基本方針や意思決定に従って教育事務をつかさどる教育委員会の補助機関でした。二〇一四年改正では、教育委員会を教育長と教育委員四名で構成し、教育長も執行機関である教育委員会の一員として首長が任命することとしました。これは首長の教育行政への介入度を強めるとともに、教育委員会内部における教育長の地位と権限の強化につながります。

 国会では、教育長や教育委員に対する罷免権が問題になりました。これまで、法令違反や非行あるいは病気などのために職務を果たせなくなった場合にかぎり、首長は教育委員を罷免できました。逆に言えば、意見の対立を理由に、首長が教育委員を罷免することは許されません。この身分保証がなくなると、教育長や教育委員は首長から独立して教育行政を担うことが難しくなるからです。

 法案提出前、一時は意見対立を理由とする教育長・教育委員の罷免を可能とする案も検討されましたが、政治的中立性・安定性を確保するという理由でそういった罷免は不可とされました。文部科学省初等中等教育局長通知「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律について」(二〇一四年七月一七日。以下、初中局長通知)でも、(1)教育長・教育委員に教育大綱に即した職務遂行を求めた条項(第一一条⑧、第一二条①)は訓示規定であること、(2)教育委員会の合意なく首長が教育大綱に記載した事項には尊重義務はないことを確認しつつ、これらを理由に教育長・教育委員を罷免できない、としました。これらは首長の暴走を法制的に抑制するうえで重要です。

 しかし、下村文科大臣は国会で、教育長らが任命権者である首長と意見を異にするとは考えられないとか、意見を異にする教育長らには辞職を勧告することもできるなどと答弁しました。首長と教育長・教育委員の事実上の主従関係を背景として、教育大綱には事実上の強制力があると言いたいのでしょう。法律上できないことでも政治的パワーを背景に強制し、それでも従わなければ辞任に追い込むというやり方は許されるものではありません。一般社会ではこれをパワー・ハラスメントと呼ぶのではないでしょうか。これでは、このあと述べる改正事項と相侯って、「首長=執行機関、教育長=首長の補助機関、教育委員会=教育長の附属機関」とでも呼ぶべき制度実態を生み出しかねないと危惧します。

教育長による教育委員会の総理・代表

 二〇一四年改正では、教育委員長職が廃止され、教育長には教育委員会を総理し代表する地位が与えられました。ここで「総理」とは、旧・教育委員長の「教育委員会の会議を主宰し、教育委員会を代表する」職務と、旧・教育長の「教育委員会の指揮監督の下に、教育委員会の権限に属するすべての事務をつかさどる」職務とを統合したものです。

 二〇一四年改正の前、教育委員長と教育長の兼職は禁止されていました。執行機関である教育委員会の代表者である教育委員長と、その補助機関である教育長とを同じ人物が兼ねたのでは、教育長・事務局に対する教育委員会のチェック機能が働きにくくなるからです。これが順当な制度設計です。

 新・教育長への統合は、教育委員長と教育長がいるため教育委員会制度は分かりにくいとか、教育委員会制度は責任の所在が不明確だといった理由で正当化されました。しかし、教育委員会制度における教育行政の責任の所在ははっきりしていましたから、これらの指摘は教育委員会制度や行政組織一般に関する理解不足に由来するもの、あるいは単なる言いがかりにすぎません。

 教育長はこれまで教育委員会によって任命された補助機関であったため、教育委員会の指揮監督を受けましたが、二〇一四年改正では教育長は執行機関である教育委員会の一員として首長によって任命され、教育委員会のI員になったという理由で、教育委員会の指揮監督は受けないことになりました(後述)。こうして、教育長が教育委員会を総理・代表するという新制度は教育委員会内部における教育長の地位を強め、「教育委員会=教育長の附属機関」という誤解を生み出し、誤解に基づく関係性を固定化してしまう可能性があると思います。

マダルの虎 人間の常識が及ばない世界

2014年10月18日 | 3.社会
『次世代に送る<絵解き>社会原理序説』より

「権利を主張するのです」と書きましたが、権利とは何でしょうか。

大学に客員研究員としての籍があったので、大学図書館の哲学の棚の本のページというページを片っ端からめくったことがあります。読んだわけではありません。ただただ、ページをめくっていました。

哲学は、人間が生きてゆくなかで出合うさまざまな事象について、根源的に考える学問です。そのなかでも特に、「真・善・美」について考えるのが哲学だと思います。「何か本当で、何か良いことで、何か美しいことなのか」について深く考える、ということです。

二、三ヵ月のあいだ、時間を見つけては哲学の本のページをどんどんめくっていたのですが、そのときにどこからともなく、ふわーっとわき上がってきた物語があります。「マダルの虎」という物語です。

インドにマダルという猛獣使いがいました。マハラジャに招待されて、イヌやら虎やライオンをマハラジャの前で操ってみせ、マハラジャにたいそう気に入られました。その夜、マハラジャの家に泊めてもらいました。

翌朝、マダルが散歩をしていると、すさまじい虎の咆哮が聞こえてきました。聞こえてくるほうに歩いてみると、マハラジャの屋敷のはずれに猛獣を入れる檻があり、そこには大きな美しい虎がいました。

その虎の美しさに魅入られたマダルは、「私が飼っている猛獣をすべて差し上げるから、その虎が欲しい」とマハラジャに懇願しました。最初は断ったマハラジャですが、三十日の間、毎晩、毎晩、懇願するので、マダルの求めに応じることにしました。

マダルは翌朝、自分が連れてきた猛獣のすべてを残し、マハラジャにもらった大きく、美しい虎の首に鉄の鎖をつけて、うれしそうに、朝日のほうに向かって草原を歩き出し、去ってゆきました。

翌日の昼下がり、大きく、美しい虎が、草原で一頭、たたずんでいました。 そして、その大きく、美しい虎のすぐわきには、虎に食われ、遺骸となったマダルがありました。

はたして、この虎はだれのものなのでしょう?

多くの人は、唐突なこの質問にとまどいます。

この不思議な気持ちは何なのだろうと考えました。

この不思議な気持ちは、無批判に前提とし、当然だと思っていたことが危うくなるからではないかと思います。

マダルがどれほど懇願して手に入れた虎であれ、虎には、それはまったく関係のないことであり、マダルと虎の間には、所有と被所有の関係はまったく存在しないということ、人間社会の根本的常識である「所有」というものの考え方は、自然の世界においては幻想にも等しいということを突きつけられたのです。

自然はいつも人間の持っている世界観を試しているともいえます。食われてしまったマダルを見たときの不思議な感覚は、人間の構築した世界観から、その世界の外を体験したときの、当然だと思っていたことに依拠できない所在のなさなのではないかと思います。

人間の常識、認識というのは人間の都合であって、自然というのは、その外にあります。結局、「所有」というのも人間の生み出した概念であり、それを法律という制度-人間による構築物--によって「権利」としているだけで、自然から見れば、非常に脆弱なものなのです。

ヘーゲルの意識の目覚め

2014年10月17日 | 2.数学
未唯へ

 フレーレンのワイシャツ。TOMのショートカットに合っていた。聞いたら、メーカーが分かりました。

ヤフーブログ

 ヤフーブログは使えるのか? 6月で終わったと思っていたら、新規登録が可能なカタチになっていた。

 ジオログから引き継いだカタチになっています。

 ヤフーの環境で全て済むようになります。

 これを、マーケティングにしていくことが必要になってくる。今のように、素人がバラバラで作っていくことはお客様には受け入れられえないでしょう。

未唯空間のテーマ

 アナロジーが成り立つかどうか。その部分。縦に並べてみましょう。未唯空間をテーマで多軸にする。それが7つのジャンルに分かれている理由です。

 その題名自体に意味を持たせる。コンパクトにして、だから、何だって言うところを応えられるようにしていく。

ヘーゲルは全体を理解しようとする

 ヘーゲルでイメージするのは、やはり、全体です。ジャンルを完全に超えて、全体をどう理解するのか。それでいながら、客観的ではなく、あくまでも自分の意識です。意識を変えることが目的です。

 それが今回の共有意識のところとつながっていくというのが予感です。

ヘーゲルの意識の目覚め

 「人類の発達を真に物語るものは、科学の発達でも「世界の発見」でもない。意識そのものに対する目覚めと、意識が人びとや政治、芸術、そして諸機関を通じて表現される方法である。」

 アメリカの政治経済学者フランシス・フクヤマのベストセラー『歴史の終わり--歴史の「終点」に立つ最後の人間』(三笠書房、一九九二年)を通じて、はじめてヘーゲルに触れたという人は多い。東欧で共産主義が崩壊して間もない時期に書かれたこの本の、歴史の発達は世界規模の自由主義的民主主義への移行によって最終段階を迎えつつあるという理論は、ヘーゲルの影響を大きく受けている。出版後に起こった数々の事件(民族紛争、同時多発テロ、世界的金融危機)を反証に挙げて、多くの批評家が、歴史には方向性があるというフクヤマの主張を批判した。

 それでもなお、ここ数年の独裁政治に対する民衆の反政府運動の盛り上がりを見ると、自由は必然的に現れ出ることを求め、現代の諸機関(技術、芸術、自由主義的民主主義)を通じてそれを実現するというヘーゲルの主張は理解できる。

 『精神現象学』は、意識(自己、政治、歴史の意識)が普通は前向きな状態であることをわれわれに思い出させる。実際、この本はナポレオン軍がドイツの古い帝国主義体制を撃破していた最中に書かれ、ヘーゲルは自分の理論を裏づける恐ろしくも手近な実例を目の当たりにしていたのである。ヘーゲルは次のように書いている。

 精神はこれまでの日常世界と観念世界に別れを告げ、それを過去の淵に沈め、変革の作業にとりかかっている。精神は休むことなくつねに全身運動を続けている。

 意識(人びと、制度、習慣、法律の中に表された意識)は、成長するにしたがって、かつて作り上げたものを破壊し、変革し、より進んだ自己意識を示す別のものに道を譲る。もちろんこの流れが明らかに覆る場合もあるが、全体的な傾向は明白である。

図書館友の会 AKB

 図書館友の会を作ろうか。そこで名前を考えた。AKB(後から来たビブロテーク)はどうでしょう。

 普通は図書館を作るために、市民の間に起こるけど、開館から早、10年以上過ぎています。そんな後から作られる理由は、この図書館をどう変えていくのかを皆で考えて、行動する集まりにするためです。ベースは、図書館コミュニティを作り出すことです。

豊田市図書館の29冊

2014年10月17日 | 6.本
337.2『21世紀の貨幣論』桁外れの知的衝撃! ジャレド・ダイアモンダ級! 6000年の歴史をひもとき、定説を次々と覆す。

384.8『日本遊戯思想史』

518.52『ごみ効率化』有料化とごみ処理経費削減

361.45『異文化コミュニケーション』多文化共生のために

007.1『ネット社会の「正義」とは何か』集合知と新しい民主主義

785.5『ヒトラーのオリンピックに挑んだ若者たち』ボートに託した夢

289.2『語れなかった物語』ある家族のイラン現代史

146.13『フロイトとユング』精神分析運動とヨーロッパ知識社会

183『よくわかるお経読本』

289.3『グレース・オブ・モナコ』

020.4『思考の取引』書物と書店と

373.2『教育委員会は不要なのか』あるべき改革を考える なぜ形骸化してしまったのか? 民主的な教育を支える組織へ その可能性を問う!

301『次世代へ送る〈絵解き〉社会原理序説』経済とは何か、仕事とは何か、政治とは何か、変革とは何か、個性とは何か、幸福とは何か。社会のしくみを哲学することで、幸せな生き方の多係が見えてくる。

537.25 『街を駆けるEV・PHV』基礎知識と普及に向けたタウン構想

204『東大のディープな世界史2』歴史が面白くなる

783.5『幸福論』クルム伊達公子 がんばりしぎない、こだわらない、ありのままに。

139.3『キルケゴール』

402『はじめて学ぶ科学史』

673.38『売上につながるディスプレイ』これ1冊でよくわかる! ショップスタッフがすぐに取り組める具体的なアイデア満載!

498.38『精神科医が教える「集中力」のレッスン』「気が散る」「すぐに疲れる」「調子が出ない」を乗り越える46のヒント

493.98『スマホで馬鹿になる』子どもを壊す依存症の恐怖

507.23『なぜ特許世界一の日本が国際訴訟で苦戦するのか?』情報漏洩、知財権の徹底防衛、外国法対策が日本の生命線だ!

934.7『むずかしさについて』

404『ガードナーの不思議な最終講義』

007.5『知的生産の技術とセンス』知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術

627.77『青いバラ』

596『魔法のコツ手帖525』定番料理はこれで必ずおいしくなる!

689.21『日本人だけが知らない「ニッポン」の観光地』

403.8『サイエンス大図鑑』

未唯空間の最終項目

2014年10月16日 | 1.私
未唯空間のテーマ

 いよいよ、テーマをやる時が来ています。本当はまとまるかどうか恐いから、躊躇している。まとまったからと言って、どうというものではないし。

 第10章の最後ではないけど、最期はどうでもいいんです。

未唯へ

 ドラマの会話に違和感を持っています。そんなことよりももっと、あるだろう。

Iさんの正体

 Iさんの正体が分かってよかった。それによって、私の正体も見えてきました。「Iさん、喜んでいたでしょう」とチームのバリスタから言われた。この言い方ができるのはすごい。チームからそう思われている。

未唯空間の最終項目

 部分=全体、市民=超国家、これが最終項目になっています。これらは存在と無、そのものです。この絵がどうなっていくのか。

 このイメージは数学から描くしかないでしょう。

 歴史のコードをどう使っていくかです。何しろ、加速しまう。ケプラーの法則のように。それによって、起こってくることに対しては、後追いではダメです。先に見ていくことです。それがコード化の意味です。

 加速するのと同時に、進化が始まります。コード化のイメージは、拡大すると同時に縮小する。トーラスのようになっていく。一番端が膨張すると同時に、ある点につながっていく。そのイメージから、LL=GGが発生する。

 地域から全体を作るのは、位相問題として、片付けます。社会の位相化の中の部分です。周辺と中核と統合、それによって、カバーリング。

ここに男として生まれてきた

2014年10月15日 | 1.私
未唯へ

 循環のパラドックス

 未唯宇宙は未唯マルチバースに

 もう、コートが似合う季節です。

 Iさんはスジャータ。それが言いたくて。

未来方程式

 未来方程式を解かないといけない。それはあくまでも内なる世界。自分の中で全て完結させます。

ここに男で生まれてきた

 中学2年生の時に悩みました。自分が男で生まれたこと、この時代に生まれたこと、そして、日本で生まれたこと。これを自分なりに解くこと。いくつもの平行に動く時間を設定した。

 そこから、初恋の女性も、私そのものであると確信した。時間をシェアリングしながら、遷移していく。この次元は一様ではなく、あるところは3次元であり、あるところは5次元であるという、空間意識。

 Dr.マリオのように、進む方向に向かって、次元が開いていくという空間です。裏は、その時点で作られていく。全部が私が居ないのにあるというのは、不自然です。私と絡んだ人は幸せです。存在が確認できるから。

小分類見直し

 今日中に10章まで終えます。それで、もっと自由な空間に飛び出します。あまりにも同じことを書いています。このフェーズで、一回、留めておきます。

人類の進化

 歯がない方が進化です。髪の毛がない方が進化です。人類の進化の方向です。

未唯空間小分類見直し 10.次の世界 4/4

2014年10月15日 | 1.私
10.7 全てを知る
 10.7.1 先に進める
  1.存在を確認
   ①私がいない世界は存在しない ②存在を認める相手 ③自己満足の世界 ④生まれてきた確認
  2.問われれば応える
   ①自分から言わない ②自分の考え ③思考のきっかけ ④無知の知
  3.山を下りる
   ①コミュニティの情報共有 ②超人として行動 ③社会を哲学 ④皆の思い
  4.次の頂きに向かう
   ①全てを知ること ②新しい考え ③内なる世界に取り込む ④見えてくるもの
 10.7.2 存在を確認
  1.歴史の変節点
   ①生まれてきた ②ここである意味 ③歴史の変節点 ④数学を得た意味
  2.知ること
   ①放り込まれた存在 ②知らないでは済まない ③危機状態を知る ④自分のいるところ
  3.偶然が示唆
   ①大いなる意思が示唆 ②存在と無を哲学に拡大 ③数学的空間に展開 ④歴史の先行き
  4.先を知る
   ①生まれてきた理由 ②先を知りたい ③存在の力を得る ④自分のために
 10.7.3 知っている
  1.LL=GGの世界
   ①トポロジー思考 ②サファイアの理論化 ③次はLL=GGの世界 ④ベースが変わる
  2.共有意識
   ①情報共有が拡大 ②多くの人が生きていく ③コミュニティで集約 ④共有意識を体現
  3.未唯宇宙
   ①多重宇宙の偶然性 ②時空間のコード化 ③近傍系から空間構築 ④存在と無
  4.位相化
   ①歴史を循環で見ていく ②ローカル起点 ③社会構造は位相化 ④知識社会の構成
 10.7.4 内なる世界
  1.存在と無
   ①数学の認識 ②社会変革のシナリオ ③未唯空間がベース ④到達点
  2.情報源
   ①多読 ②仕事で社会認識 ③パートナーの存在 ④生活の葛藤
  3.未唯空間
   ①未唯空間は分化 ②個人と企画 ③組織の分化 ④連鎖で全体をカバー
  4.内なる世界
   ①すべてを入れ込む ②参考情報を紐づけ ③選ばれた多重宇宙 ④内なる世界からメッセージ

10.8 存在の無
 10.8.1 自己肯定
  1.孤立と孤独
   ①自分を味方にする ②孤立を武器に ③考えることが生きること ④思いでつなぐ
  2.宇宙とつながる
   ①存在は生きている限り ②宇宙は全ては無 ③他者は存在しない ④私がいるから宇宙はある
  3.真理を求める
   ①数学の考え ②社会のシナリオ ③歴史で確認 ④内なる世界
  4.放り込まれた
   ①皆は意識していない ②仕事の意味 ③存在の力は幸せ ④生きる意味
 10.8.2 偶然を活かす
  1.数学・歴史・哲学
   ①対象を増す ②数学は座標から近傍 ③歴史は国家から市民 ④哲学は意志から存在の力
  2.私のために用意
   ①偶然は用意された ②すべてを知ること ③偶然を必然 ④未来のシナリオ
  3.先が見える
   ①考え抜けば、見える ②社会の仕組み ③考えと行動に分ける ④未来学者
  4.絶対的存在
   ①生きる希望 ②考えるエネルギー ③内なる世界に存在 ④存在は確か
 10.8.3 役割を果たす
  1.マルチバース
   ①宇宙の旅人 ②μが生まれた ③地球原理からマルチバース ④私は私の世界
  2.内なる世界
   ①内なる世界に取り込む ②存在以外は、外なる世界 ③生きることは考えること ④カタチを作る
  3.近傍系
   ①サファイア循環の証明 ②近傍系を宇宙に拡大 ③未唯宇宙に取り込む ④知のライブラリ
  4.歴史の変節点
   ①LL=GGの姿 ②歴史の折り返し ③外なる世界に提言 ④関係のない世界
 10.8.4 生きる
  1.大いなる意思
   ①放り込んだ張本人 ②分化で意識を変える ③意思の力の時代 ④ツールを用意
  2.時間と偶然
   ①時間が与えられた ②偶然が用意された ③こんな人生 ④酒と女におぼれる
  3.全てを知る
   ①自分しかいない ②内なる世界で完結 ③すべてを知る ④生まれてきて、よかった
  4.どうでもいい
   ①新しい数学 ②預言の書 ③無為に生きる ④まあ、どうでもいい