未唯への手紙
未唯への手紙
9・11後の現代史 不寛容な時代を越えて
『9・11後の現代史』より 不寛容な時代を越えて
「難民到来」に揺れる欧米
膨れ上がる避難民の多さに、経由地となる国々はいずれも悲鳴を上げる。上陸地のギリシア、イタリアでキャンプにひしめく人々に十分な庇護は与えられず、セルビアやハンガリー、クロアチアなどで何千人もの避難民たちは、先を急どうと線路を歩いて徒歩で行進した。鉄条網で阻まれたり、検問で追い返されたり、行き場がなく駅構内で野宿しているのを強制退去させられたりして、安住の地までたどり着ける者はわずかだ。道中人身売買の対象とされたり、71体もの遺体となって冷凍トラックのなかに放置されたり、数々の悲惨な出来事があちこちでおきた。
これに一筋の光を投げかけたのが、2015年9月5日のドイツ・メルケル首相の避難民受け入れ声明である。急増する避難民に門戸を閉ざす国が多い中で、ドイツとオーストリアは国境を開いた。そして避難民たちの到着を、「ようこそ」の横断幕で迎えた。
しかし、このメルケルの決断は、さまざまな問題を引き起こす。ドイツに行けるという希望を見て、ヨーロッパを目指す国外脱出者はますます増えた。(ンガリーが国境を封鎖してフェンスで避難民の流れを遮断したように、経由地の南欧、東欧諸国はより厳しい態度を取るようになった。
ドイツ自体も、100万人をこえる難民申請に一国では対処しきれず、EU全体での受け入れ割り振りを求めるようになる。鳴り物入りで受け入れを謳ったものの、結局2016年3月には、トルコに避難民対策の多くを押し付ける恰好で収拾を図った。30億ユーロという追加資金援助と引き換えに、ギリシアに滞留する不正規移住者をトルコに強制送還することとしたのである。
受け入れない不寛容と、追い出す不寛容
今、21世紀の世界を概観すると、2つの形で「不寛容」が践朧している。ひとつは他者を受け入れないこと、もうひとつは他者を追い出すことだ。ヨーロッパやアメリカが中東・アフリカからの避難民を他者として受け入れない一方で、シリアやエジプトやサウディアラビアなどでは、体制を脅かす反対派を追い出すことに力点を置いている。
そこで問題となるのは、誰が「他者」なのか、である。誰が「他者」と認定するか、それは社会のすみずみまで浸透し合意された他者認識なのか。そして、他者を「どこ」から排除するのか。
20世紀までの中東では、その答えは比較的単純だったかもしれない。20世紀後半の伝統的中東での戦争といえば、外国の支配とそれへの抵抗か、アラブ対イスラエルという対立軸か、共和政か王政かという体制間の対立かに集約されていた。そこでは、「他者」は中東を浸食する欧米(植民地支配)であり、アラブの土地に埋め込まれたイスラエルだった。
その対立軸が、今や崩れている。今起きている対立は、国家主権を守るための戦いでも、国家領土を巡る対立でも、あるいは国家体制の在り方を巡る問題でもないように見える。なにより、誰が守るべき「国民」で、排除すべき「他者」なのか、自明ではない。
いや、そもそも中東は、宗派や宗教といった、国民国家とはかけ離れた非合理的なもので伝統的に戦い合ってきたのだから、誰が国民か自明ではないのは今に始まったことではない、という指摘があるかもしれない。国民国家を基準に国際政治が成り立っており、「他者」とは外国であり他の国の国民のことであるという、西欧近代の発想が、そもそも第一次世界大戦まで国民国家概念などなかった中東地域に、そぐうはずがないのだ、とする見方だ。
だが、今、我々が目撃している国家を超えた宗教や宗派同士の対立に見える構造は、第一次世界大戦前、1世紀前の伝統的なネットワークと同じではない。グローバルなモノと人の流れ、グローバルな情報発信という、きわめて現代的な変化のなかで生じている国民国家の溶解である。長らく「われわれ」と「他者」を分ける基準として当たり前だった「国家の国民であること」が、今や当たり前ではなくなっているという、グローバルな問題である。
「悪魔化」する世界
「他者」が誰かが自明ではない分、国の長であれ反政府側の長であれテロリストであれ、さまざまな政治指導者の他者認定が、恣意的な形で流通する。ISなどさまざまなイスラーム武闘派が、シーア派や世俗的イスラーム教徒を「不信仰者」「背教者」として死に値するものと排除するのは、その代表的な例だし、フセイン政権下のイラクやサウディアラビアでの「シーア派=イランという他者」認識や、イラク戦争後のイラクでの「スンナ派=ISという他者」認識の浸透がそうだ。欧米では「イスラーム教徒=テロリスト」と認識されて、排除の対象となる。
だが、他者認識の根拠が明確でなければないほど、「誰が他者か」の認定が恣意的であればあるほど、そこでなされた「他者」の定義は反論の余地を生む。国の統治者が、「○○を排除することが自国ファーストのために必要なのだ」と謳ったとしても、それが国民にとって本当に自分の望むものかどうかは、わからない。
イエメンでイランがわれわれの生活を脅かしているからイエメン内戦に介入しなければならないのだ、と説得されても、飢餓と疫病の蔓延するイエメンを空爆することが本当に「自国ファースト」なのだろうか、と疑問を持つスンナ派の人々は少なくないだろうし、ISを追い出すのに大活躍したイラクの人民動員機構がイランの手ほどきを受けたからといって、イランベったりの政策をとることが「自国ファースト」だろうか、と首を傾げるイラク人は多い。
本当にこれが正しい戦争なのだろうか、と疑問を持つ国民に、「他者=敵/われわれ=味方」の対立関係を信じ込ませるためには、敵をいっそう敵らしく見せることだ。アラビア半島の国々やシリアで、シーア派がいかにイスラーム教徒として正しくないか、極悪非道の、地獄に落ちてもおかしくないような人々であるか、厳格派の説教師がこんこんと説く。ワッハーブ派はISやアルカーイダと根っこで同じだから、サウディアラビア自体がテロ支援者なのだと、イランの革命防衛隊が敵意を剥き出しにする。相手を「悪魔」扱いし、SNSや衛星放送を通じて、生々しい敵意を煽る。本来なら途中で譲歩したり調停されたりする対立を、妥協の余地ない対立に転化する。
さらには、一部の敵対分子の存在を理由に、それを取り巻く人々全体を十把一絡げに「殲滅すべき悪魔」とみなす。イスラエルは、(マースをテロリストとしてそれが統治するガザ全体を攻撃対象としたし、ムルスィー政権を打倒したエジプトのスィースィー政権は、「アラブの春」以前よりもさらに徹底的に、イスラーム主義系の諸運動を弾圧した。これらの「十把一絡げ」的認識の広がりと定着が、2001年の9・11事件以降ブッシュ米大統領が示した「テロリストを匿う者はテロリスト」との認識の延長線上にあることは、いうまでもないだろう。
恐怖の壁の再構築
そして、生々しい敵意を煽るために行われるのが、「恐怖の壁の再構築」だ。
「アラブの春」が実現した最も重要な点が、「恐怖の壁」を打ち壊すことである。独裁政権ににらまれ強大な軍・治安組織に弾圧されることを恐れて、政権に異を唱えることができないというのが、2010年末の「アラブの春」発生までの状況だった。それが、アラブ諸国における独裁体制の長期化を生んだ。それに対して、「政権なんて怖くない」と、恐怖心を振り払って政権打倒に立ち上がったのが、「アラブの春」にほかならない。
支配者の側、あるいは支配を目論む側が、再び頑強な支配を確立し、彼らの考える敵との戦いに人々を動員するには、人々に、敵側に回ることの恐怖心を再び植え付けなければならない。2011年までに打ち破られた恐怖心以上の恐怖を、人々に見せつけ、畏怖させなければならない。ISが特段に残虐な手段で見せしめの処刑を行ったのには、そうした目的もあったのだろう。
いや、もう少し遡れば、「アラブの春」に先立ち「恐怖」を振り払ったパレスチナでのインティファーダに対するイスラエルの対応に、同じことが見られる。インティファーダ発生の翌年(1988年)に当時のイスラエル首相、イツハク・シャミールが、「恐怖の壁を再構築しなければならない、この地域のアラブ人に死の恐怖を叩き込まなければ」と述べている。
フィンランド在住のイラク人作家ハサン・ブラーシムの代表作『死体展覧会』(藤井光訳)は、いかに芸術的に死体を展示するかを追求する集団を比喩的に登場させた、バアス党時代の秘密警察の恐ろしさを彷彿とさせる短編だが、残酷な「恐怖の壁」の作り方ばかりが発達し前進していく、今の中東の非情を描いている。
「外敵の手先」と空中戦
ところで、「誰が敵で、誰が排除されるべきか」の定義が明確でなければないほど、敵の認定はさまざまな想像力の産物となっていく。想像力のなかから生まれる敵認定は、まずは自国内の異分子を対象とする。自国の国民のなかから「敵=悪魔」が戻り出されるのだ。
外国とつながっているものは、自国の安定を脅かす「外敵」の手先となる。キリスト教徒は欧米とつながっているから、敵。シーア派はイランとつながっているから、敵。スンナ派は厳格派武装組織とつながっているから、敵。クルド民族はイスラエルとつながっているから、敵。本来なら自国の国民である一部の人々が、「外敵の手先」視される。
「外敵の手先」を排除して自分たちの共同体の回復を夢見る、という点では、移民や少数民族にヘイト行動を繰り返す国際社会の排外運動もISも、根っこはたいして変わらない。ISは、自分たちが作り上げた「理想のカリフ国という共同体」像と少しでも違うものは「悪魔」であり、これを殲滅しないと自国が脅かされると考えるからだ。
一方で、敵認識の想像力がグローバルな対象にまで広がっていくと、敵はアメリカ、ひいては国際社会全体にまで行きつく。かつてソ連という、わかりやすい目の前の「侵略者」と戦っていたビン・ラーディンは、自身の不遇の根を辿り辿っていったあげく、「敵はアメリカ」に行きついた。欧米に住む移民の二世や三世は、シリア内戦の代理戦争性、国際社会の介入を見て、ョーロッパを敵とみなす。イランは「アメリカこそがISを作り上げた」と批判し、サウディアラビアは「アメリカこそがイランを増長させた」と批判し、アラブ・イスラーム世界は「アメリカこそがイスラエルを支援しアラブ・イスラーム世界の弱体化を図っている」と批判する。あらゆるところで、「アメリカ」が「空中戦」の対象となる。
想像力のなかから生まれた内なる敵やグローバルな悪魔であっても、ネットや衛星放送を通じてその認識が世界中に広まり、人口に膾炙すると、事実でなくてもその他者認識が定着してしまう。第5章や第6章でみたように、宗派対立や「新しい冷戦」の対立構造が一人歩きして、「事実」と化していくことは、少なくない。
排外主義を乗り越えるには
なぜ、こんなことになってしまったのだろう。なぜ、おりとあらゆるものが敵に見えてしまい、敵に囲まれた「犠牲者」である自分たちだけが救われるべき、という排外的な「自国ファースト」が蔓延してしまったのだろうか。この状況を、どうすれば乗り越えていけるのだろうか。
これは、他人事ではない。ヘイトスピーチやヘイト的行動で、マイノリティが攻撃を受けて害を被るという出来事が起きているのは、日本も例外ではない。グローバル化を高らかに謳う一方で、増加する外国人の来訪に対して嫌悪感を露にする。難民受け入れをほとんどといっていいほど行っていない日本に対して、国際社会から受け入れ要請の圧力が年々高まっているが、むしろ国を閉ざしたほうがいい、といった意見も聞こえる。
だが、国は閉ざせない。他者とは、共存せざるを得ない。嫌いな人々が隣の国に住んでいるからといって、隣の国の人々を殲滅することも、隣の国をゼロから作り直すことも、できない。アメリカはそれを、イラク戦争で学んだ。オバマもトランプも、対応の仕方は全く異なるとしても、他国に介入してゼロから国作りをするだけの意欲も能力もない。
となれば、どう共存していくかを考えるしかない。他者から害を被ったという記憶は、消し去ることはできないかもしれない。しかし、どちらがより多くの犠牲を被ったかの競争だけに時間と労力を費やしても、徒労である。
誰が他者なのかわからないのならば、「われわれ」と「他者」の違いを明確にする必要はないのではないか。少なくとも、敵だ、悪魔だ、と名付けられる相手が、本当に敵で悪魔なのか、わずかでも疑ってみる冷静さがあってしかるべきだろう。そして、その相手を「悪魔だ」と思ってしまう、自身の恐怖心がどこから来ているのかを振り返ってみることができるだけの、冷静さが。
ある若いシリア人は、日本に留学して何不自由ない生活を送っていたのに、内戦が起きて自国に帰る決心をした。最初は自国で、今はアラブ全体を見る国際機関の職員として、紛争地を飛び回っている。本人は言う。「なぜ、自分の国の人々が突然、お互いに激しい暴力に依拠するようになったのか、なぜ殺し合うことになったのか。それを知りたい。だから、自国に帰ったんだ」。
イラクのモースルには、ISに支配された間も休むととなくフェイスブックで発信し続けた大学教授がいる。10年前、62歳でネットを始め、「ネットを通じて、民族もジェンダーも関係なく、人々はイラクの将来を支えることができる」と主張する彼は、イラクで最も高齢のブロガーだ。彼は今、ISメンバーの家族に対してバッシングが起きている解放後のモースルで、「ISとその家族は関係ない、彼らをモースルから追い出すようなことをしてはいけない」と訴えている。
誰かを排除するために激しい暴力を振りかざして、「空中戦」を戦う者ばかりが目立つなかで、地上にへばりついて輝く星は、まだ消えていない。
「難民到来」に揺れる欧米
膨れ上がる避難民の多さに、経由地となる国々はいずれも悲鳴を上げる。上陸地のギリシア、イタリアでキャンプにひしめく人々に十分な庇護は与えられず、セルビアやハンガリー、クロアチアなどで何千人もの避難民たちは、先を急どうと線路を歩いて徒歩で行進した。鉄条網で阻まれたり、検問で追い返されたり、行き場がなく駅構内で野宿しているのを強制退去させられたりして、安住の地までたどり着ける者はわずかだ。道中人身売買の対象とされたり、71体もの遺体となって冷凍トラックのなかに放置されたり、数々の悲惨な出来事があちこちでおきた。
これに一筋の光を投げかけたのが、2015年9月5日のドイツ・メルケル首相の避難民受け入れ声明である。急増する避難民に門戸を閉ざす国が多い中で、ドイツとオーストリアは国境を開いた。そして避難民たちの到着を、「ようこそ」の横断幕で迎えた。
しかし、このメルケルの決断は、さまざまな問題を引き起こす。ドイツに行けるという希望を見て、ヨーロッパを目指す国外脱出者はますます増えた。(ンガリーが国境を封鎖してフェンスで避難民の流れを遮断したように、経由地の南欧、東欧諸国はより厳しい態度を取るようになった。
ドイツ自体も、100万人をこえる難民申請に一国では対処しきれず、EU全体での受け入れ割り振りを求めるようになる。鳴り物入りで受け入れを謳ったものの、結局2016年3月には、トルコに避難民対策の多くを押し付ける恰好で収拾を図った。30億ユーロという追加資金援助と引き換えに、ギリシアに滞留する不正規移住者をトルコに強制送還することとしたのである。
受け入れない不寛容と、追い出す不寛容
今、21世紀の世界を概観すると、2つの形で「不寛容」が践朧している。ひとつは他者を受け入れないこと、もうひとつは他者を追い出すことだ。ヨーロッパやアメリカが中東・アフリカからの避難民を他者として受け入れない一方で、シリアやエジプトやサウディアラビアなどでは、体制を脅かす反対派を追い出すことに力点を置いている。
そこで問題となるのは、誰が「他者」なのか、である。誰が「他者」と認定するか、それは社会のすみずみまで浸透し合意された他者認識なのか。そして、他者を「どこ」から排除するのか。
20世紀までの中東では、その答えは比較的単純だったかもしれない。20世紀後半の伝統的中東での戦争といえば、外国の支配とそれへの抵抗か、アラブ対イスラエルという対立軸か、共和政か王政かという体制間の対立かに集約されていた。そこでは、「他者」は中東を浸食する欧米(植民地支配)であり、アラブの土地に埋め込まれたイスラエルだった。
その対立軸が、今や崩れている。今起きている対立は、国家主権を守るための戦いでも、国家領土を巡る対立でも、あるいは国家体制の在り方を巡る問題でもないように見える。なにより、誰が守るべき「国民」で、排除すべき「他者」なのか、自明ではない。
いや、そもそも中東は、宗派や宗教といった、国民国家とはかけ離れた非合理的なもので伝統的に戦い合ってきたのだから、誰が国民か自明ではないのは今に始まったことではない、という指摘があるかもしれない。国民国家を基準に国際政治が成り立っており、「他者」とは外国であり他の国の国民のことであるという、西欧近代の発想が、そもそも第一次世界大戦まで国民国家概念などなかった中東地域に、そぐうはずがないのだ、とする見方だ。
だが、今、我々が目撃している国家を超えた宗教や宗派同士の対立に見える構造は、第一次世界大戦前、1世紀前の伝統的なネットワークと同じではない。グローバルなモノと人の流れ、グローバルな情報発信という、きわめて現代的な変化のなかで生じている国民国家の溶解である。長らく「われわれ」と「他者」を分ける基準として当たり前だった「国家の国民であること」が、今や当たり前ではなくなっているという、グローバルな問題である。
「悪魔化」する世界
「他者」が誰かが自明ではない分、国の長であれ反政府側の長であれテロリストであれ、さまざまな政治指導者の他者認定が、恣意的な形で流通する。ISなどさまざまなイスラーム武闘派が、シーア派や世俗的イスラーム教徒を「不信仰者」「背教者」として死に値するものと排除するのは、その代表的な例だし、フセイン政権下のイラクやサウディアラビアでの「シーア派=イランという他者」認識や、イラク戦争後のイラクでの「スンナ派=ISという他者」認識の浸透がそうだ。欧米では「イスラーム教徒=テロリスト」と認識されて、排除の対象となる。
だが、他者認識の根拠が明確でなければないほど、「誰が他者か」の認定が恣意的であればあるほど、そこでなされた「他者」の定義は反論の余地を生む。国の統治者が、「○○を排除することが自国ファーストのために必要なのだ」と謳ったとしても、それが国民にとって本当に自分の望むものかどうかは、わからない。
イエメンでイランがわれわれの生活を脅かしているからイエメン内戦に介入しなければならないのだ、と説得されても、飢餓と疫病の蔓延するイエメンを空爆することが本当に「自国ファースト」なのだろうか、と疑問を持つスンナ派の人々は少なくないだろうし、ISを追い出すのに大活躍したイラクの人民動員機構がイランの手ほどきを受けたからといって、イランベったりの政策をとることが「自国ファースト」だろうか、と首を傾げるイラク人は多い。
本当にこれが正しい戦争なのだろうか、と疑問を持つ国民に、「他者=敵/われわれ=味方」の対立関係を信じ込ませるためには、敵をいっそう敵らしく見せることだ。アラビア半島の国々やシリアで、シーア派がいかにイスラーム教徒として正しくないか、極悪非道の、地獄に落ちてもおかしくないような人々であるか、厳格派の説教師がこんこんと説く。ワッハーブ派はISやアルカーイダと根っこで同じだから、サウディアラビア自体がテロ支援者なのだと、イランの革命防衛隊が敵意を剥き出しにする。相手を「悪魔」扱いし、SNSや衛星放送を通じて、生々しい敵意を煽る。本来なら途中で譲歩したり調停されたりする対立を、妥協の余地ない対立に転化する。
さらには、一部の敵対分子の存在を理由に、それを取り巻く人々全体を十把一絡げに「殲滅すべき悪魔」とみなす。イスラエルは、(マースをテロリストとしてそれが統治するガザ全体を攻撃対象としたし、ムルスィー政権を打倒したエジプトのスィースィー政権は、「アラブの春」以前よりもさらに徹底的に、イスラーム主義系の諸運動を弾圧した。これらの「十把一絡げ」的認識の広がりと定着が、2001年の9・11事件以降ブッシュ米大統領が示した「テロリストを匿う者はテロリスト」との認識の延長線上にあることは、いうまでもないだろう。
恐怖の壁の再構築
そして、生々しい敵意を煽るために行われるのが、「恐怖の壁の再構築」だ。
「アラブの春」が実現した最も重要な点が、「恐怖の壁」を打ち壊すことである。独裁政権ににらまれ強大な軍・治安組織に弾圧されることを恐れて、政権に異を唱えることができないというのが、2010年末の「アラブの春」発生までの状況だった。それが、アラブ諸国における独裁体制の長期化を生んだ。それに対して、「政権なんて怖くない」と、恐怖心を振り払って政権打倒に立ち上がったのが、「アラブの春」にほかならない。
支配者の側、あるいは支配を目論む側が、再び頑強な支配を確立し、彼らの考える敵との戦いに人々を動員するには、人々に、敵側に回ることの恐怖心を再び植え付けなければならない。2011年までに打ち破られた恐怖心以上の恐怖を、人々に見せつけ、畏怖させなければならない。ISが特段に残虐な手段で見せしめの処刑を行ったのには、そうした目的もあったのだろう。
いや、もう少し遡れば、「アラブの春」に先立ち「恐怖」を振り払ったパレスチナでのインティファーダに対するイスラエルの対応に、同じことが見られる。インティファーダ発生の翌年(1988年)に当時のイスラエル首相、イツハク・シャミールが、「恐怖の壁を再構築しなければならない、この地域のアラブ人に死の恐怖を叩き込まなければ」と述べている。
フィンランド在住のイラク人作家ハサン・ブラーシムの代表作『死体展覧会』(藤井光訳)は、いかに芸術的に死体を展示するかを追求する集団を比喩的に登場させた、バアス党時代の秘密警察の恐ろしさを彷彿とさせる短編だが、残酷な「恐怖の壁」の作り方ばかりが発達し前進していく、今の中東の非情を描いている。
「外敵の手先」と空中戦
ところで、「誰が敵で、誰が排除されるべきか」の定義が明確でなければないほど、敵の認定はさまざまな想像力の産物となっていく。想像力のなかから生まれる敵認定は、まずは自国内の異分子を対象とする。自国の国民のなかから「敵=悪魔」が戻り出されるのだ。
外国とつながっているものは、自国の安定を脅かす「外敵」の手先となる。キリスト教徒は欧米とつながっているから、敵。シーア派はイランとつながっているから、敵。スンナ派は厳格派武装組織とつながっているから、敵。クルド民族はイスラエルとつながっているから、敵。本来なら自国の国民である一部の人々が、「外敵の手先」視される。
「外敵の手先」を排除して自分たちの共同体の回復を夢見る、という点では、移民や少数民族にヘイト行動を繰り返す国際社会の排外運動もISも、根っこはたいして変わらない。ISは、自分たちが作り上げた「理想のカリフ国という共同体」像と少しでも違うものは「悪魔」であり、これを殲滅しないと自国が脅かされると考えるからだ。
一方で、敵認識の想像力がグローバルな対象にまで広がっていくと、敵はアメリカ、ひいては国際社会全体にまで行きつく。かつてソ連という、わかりやすい目の前の「侵略者」と戦っていたビン・ラーディンは、自身の不遇の根を辿り辿っていったあげく、「敵はアメリカ」に行きついた。欧米に住む移民の二世や三世は、シリア内戦の代理戦争性、国際社会の介入を見て、ョーロッパを敵とみなす。イランは「アメリカこそがISを作り上げた」と批判し、サウディアラビアは「アメリカこそがイランを増長させた」と批判し、アラブ・イスラーム世界は「アメリカこそがイスラエルを支援しアラブ・イスラーム世界の弱体化を図っている」と批判する。あらゆるところで、「アメリカ」が「空中戦」の対象となる。
想像力のなかから生まれた内なる敵やグローバルな悪魔であっても、ネットや衛星放送を通じてその認識が世界中に広まり、人口に膾炙すると、事実でなくてもその他者認識が定着してしまう。第5章や第6章でみたように、宗派対立や「新しい冷戦」の対立構造が一人歩きして、「事実」と化していくことは、少なくない。
排外主義を乗り越えるには
なぜ、こんなことになってしまったのだろう。なぜ、おりとあらゆるものが敵に見えてしまい、敵に囲まれた「犠牲者」である自分たちだけが救われるべき、という排外的な「自国ファースト」が蔓延してしまったのだろうか。この状況を、どうすれば乗り越えていけるのだろうか。
これは、他人事ではない。ヘイトスピーチやヘイト的行動で、マイノリティが攻撃を受けて害を被るという出来事が起きているのは、日本も例外ではない。グローバル化を高らかに謳う一方で、増加する外国人の来訪に対して嫌悪感を露にする。難民受け入れをほとんどといっていいほど行っていない日本に対して、国際社会から受け入れ要請の圧力が年々高まっているが、むしろ国を閉ざしたほうがいい、といった意見も聞こえる。
だが、国は閉ざせない。他者とは、共存せざるを得ない。嫌いな人々が隣の国に住んでいるからといって、隣の国の人々を殲滅することも、隣の国をゼロから作り直すことも、できない。アメリカはそれを、イラク戦争で学んだ。オバマもトランプも、対応の仕方は全く異なるとしても、他国に介入してゼロから国作りをするだけの意欲も能力もない。
となれば、どう共存していくかを考えるしかない。他者から害を被ったという記憶は、消し去ることはできないかもしれない。しかし、どちらがより多くの犠牲を被ったかの競争だけに時間と労力を費やしても、徒労である。
誰が他者なのかわからないのならば、「われわれ」と「他者」の違いを明確にする必要はないのではないか。少なくとも、敵だ、悪魔だ、と名付けられる相手が、本当に敵で悪魔なのか、わずかでも疑ってみる冷静さがあってしかるべきだろう。そして、その相手を「悪魔だ」と思ってしまう、自身の恐怖心がどこから来ているのかを振り返ってみることができるだけの、冷静さが。
ある若いシリア人は、日本に留学して何不自由ない生活を送っていたのに、内戦が起きて自国に帰る決心をした。最初は自国で、今はアラブ全体を見る国際機関の職員として、紛争地を飛び回っている。本人は言う。「なぜ、自分の国の人々が突然、お互いに激しい暴力に依拠するようになったのか、なぜ殺し合うことになったのか。それを知りたい。だから、自国に帰ったんだ」。
イラクのモースルには、ISに支配された間も休むととなくフェイスブックで発信し続けた大学教授がいる。10年前、62歳でネットを始め、「ネットを通じて、民族もジェンダーも関係なく、人々はイラクの将来を支えることができる」と主張する彼は、イラクで最も高齢のブロガーだ。彼は今、ISメンバーの家族に対してバッシングが起きている解放後のモースルで、「ISとその家族は関係ない、彼らをモースルから追い出すようなことをしてはいけない」と訴えている。
誰かを排除するために激しい暴力を振りかざして、「空中戦」を戦う者ばかりが目立つなかで、地上にへばりついて輝く星は、まだ消えていない。
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