未唯への手紙
未唯への手紙
コーラン 平等の正義
『教養としてよむ世界の教典』より コーラン 一神教の再構築
「一」と「多」のジレンマ
「道」が一本しかなく、選択の余地がないというのは、何か狭量な思考のように感じられるかもしれない。しかし、考えてみれば、老子の説く「道」もまた、結局のところただ単に一個の超越的な道があるだけであり、これと並ぶ道があるわけではない。道は宇宙の真理であり、あれこれ選べるようなものではなく、人が自ずとそこに向かわざるを得ない、そんな何かである。
人間は普遍的に妥当する真理を求めるとき「一」なるものを思う。しかし、事実上我々はさまざまな候補の中から選んで自らの立脚点とするしかない。だから「一」の思考と「多」の思考はたいていセットになっている。イスラームとは唯一神への「帰依」を表す一般的・普遍的な概念であると同時に、歴史上の特定の信仰形態としてのイスラム教のことでもある。同様に、ムスリムは唯一神への「帰依者」一般を指す言葉であると同時に、狭い意昧でのイスラム教徒のことでもある。
自らの宗教が普遍的なものか特殊的なものかをめぐって、いかなる宗教もジレンマを抱えている。自分が奉じている信仰が普遍的なものであるならば、他人に押し付けたくもなるだろう。歴史的にキリスト教はそのように考え、異教徒を改宗させることは宣教の使命であった。しかし、後発のイスラム教は、他の一神教を排斥せず、また、現実主義的な寛容の原理を明文化している。イスラム教ではユダヤ教徒もキリスト教徒も「啓典の民」(神に啓示された教典をもつ民)として尊重する。コーランは「宗教には強制があってはならない」と説く。
宗教的寛容ないし共生の原則が中東世界で知られていた「一神教」以外に適用できるのかどうかは、解釈次第である。歴史的にはイスラム教徒は多神教のヒンドゥー教徒とも共存してきたし、日本のムスリムも日本の宗教的慣習に対してどうのこうのと言うことはない。
日本人にとって、唯一神の信仰というのは馴染みが薄く、なかなか理解できないが、日本にとって縁のある仏教やヒンドゥー教や中国思想においても、ダルマ(仏法)、ブラフマン(梵)、タオ(道)とやはり唯一なる真理を求めてきたことを思い起こそう。そしてたとえば仏教徒は、仏法としての業や縁起の法則は、信者であろうとなかろうと、仏教徒であろうとクリスチャンであろうとイスラム教徒であろうと無神論者であろうと普遍的に妥当する真理であると思っている。この点で、唯一神の信仰が全人類にあてはまると考えているイスラム教徒など一神教徒の思考法と、大きく異なるわけではない。
平等の正義
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の別なく、唯一神の信仰は、地上のあらゆる権威の相対化と、社会的弱者への配慮の思想(社会的不平等への批判)とセットをなしている。
地上的権威の相対化を端的に示すのが、モーセの十戒に見られるような偶像崇拝の禁止である。神が絶対だということは、地上のいかなるものも崇拝してはいけないということだが、これは単に絵に描いた神々の姿を拝むなというだけのことではない。地上のいかなるものもカミサマ扱いしてはいけないということであり、国王とか業界のドンとか映画スターとかセレブリティを崇拝してはいけないのである。ことにイスラム教では、あらゆる人間を神の僕=奴隷(アブド)と見なしているから、僕が僕を拝むのは、笑い話にしかならないのだ。
そしてこれは、人類は皆兄弟として助け合わなければならないという思想とセットになる。
正しく仕えるということは、あなたがたの顔を東または西に向けることではない。つまり正しく仕えるとは、アッラーと最後の(審判の)日、天使たち、諸啓典と預言者たちを信じ、かれを愛するためにその財産を、近親、孤児、貧者、旅路にある者や物乞いや奴隷の解放のために費やし、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行い、約束した時はその約束を果たし、また困苦と逆境と非常時に際しては、よく耐え忍ぶ者。これらこそ真実な者であり、またこれらこそ主を畏れる者である。
財産を近親に与えるばかりでなく、孤児や貧者や旅行者や物乞いに与え、奴隷解放に費やすというのが、神へのお勤めであるという。このあたりは典型的な救済宗教の思考である。なかでも目につくのは孤児への配慮だ。
不当に孤児の財産を食い減らす者は、本当に腹の中に火を食らう者。かれらはやがて烈火に焼かれるであろう。
ここにはシンプルな地獄思想も表われていて興味深い。死んだら善人は楽園へ、悪人は地獄(火獄という)へ行く。孤児といえば、そもそもムハンマドは孤児であった。孤児は遺産に与れない。借金して暮らすしかない。債務がたまれば奴隷の境遇に落とされる。そういう社会であった。そんな中で、ムハンマドは、幸いにも伯父の庇護を受け、まずまずの境遇で暮らすことができた。そして才覚を現わして立派な交易商人になることができた。孤児のようなまったく支えの無い人間がいかにきわどい立場におかれているか、ム(ンマド自身がよく知っていたに違いない。孤児を守れというのは確固とした正義であり、正義を語るのは神なのである。
かれ〔アッラー〕は孤児のあなたを見付けられ、庇護なされたではないか。かれはさ迷っていたあなたを見付けて、導きを与え、また貧しいあなたを見付けて、裕福にされたではないか。だから孤児を虐げてはならない。請う者を揆ね付けてはならない。あなたの主の恩恵を宣べ伝えるがいい。
ここで注意しなければならないのは、部族社会が一般的に不平等だというわけではなく、この時代のメッカにおいては経済的格差が進んで、部族社会が不平等に対処できなくなっていたということだ。経済中心の社会というのは、気をつけないと格差を絶望的に拡げる。旧来の社会システムが新たな事態に対処できないとき、新思想が台頭する。メッカの場合それは、「天地創造の昔から人間は平等に造られている」という一神教の思想であった。
イスラムの平等主義は、喜捨(ザカート)という富の再分配の制度をもたらした。ザカートとは、富の十分の一を社会内の最も困窮する者たちに分け与えるシステムである。先はどの引用の中にも、敬虔とは「喜捨」することだと書かれていた。
ムハンマドの告げる神の教えによれば、利子徴収も非合法なのであった。メッカの格差社会の根本的問題の一つが高利貸しであったためだろう。
利息を貪る者は、悪魔にとりつかれて倒れたものがするような起き方しか出来ないであろう。それはかれらが「商売は利息をとるようなものだ。」と言うからである。しかしアッラーは、商売を許し、利息を禁じておられる。それで主から訓戒が下った後、止める者は、過去のことは許されよう。
神の支配する共同体のジレンマ
ムハンマドの提示した神の下の平等の原理に基づく共同体は、中世イスラム帝国の時代にはたしかに世界でも先進的な、活発な社会であったようだが、近現代においては大きなジレンマを抱えるようになった。
近代のアジア社会は、イスラム社会であれ、ヒンドゥー社会であれ、儒教の社会であれ、概ねヨーロッパ(およびヨーロッパの真似をした日本など)の政治的・軍事的支配下に置かれてきた。どうやら宗教優位のアジア社会は、戦略や安全保障という点で呑気すぎたようで、宗教と政治を切り離した宗教改革以降のヨーロッパの戦略的な抜け目の無さにまったくかなわなかった。そしてヨーロッパの効率よいシステムの前に、地元の宗教の威信も低下し続けた。
イスラム社会においても、かつてはイスラム知識人層(ウラマー)が人生の万般の相談役であったが、その力も及ばなくなった。そんな中、新たに「覚醒」した知識人たちの主導のもとで、さまざまな形でイスラム復興が模索されるようになった。イスラムは預言者ムハンマドの範例に基づく政治や社会規範のシステムが精緻にできあかっていたので、いざ復興するとなると、インドや中国や日本などの場合に比べて、そう簡単に融通を利かすわけにはいかないようだ。
理想としては、イスラムは平等主義なのである。人々を搾取から解放する共同体なのである。アジア各地に誕生した軍事独裁型の世俗主義政権よりも、はるかにましであるはずだ。しかし、イスラムが提示しているのは国家権力を超えた神の支配というモデルなのであり、それを革命的に推し進めようとすると、神の規範を社会の隅々にまで適用しようというラジカルな管理社会を招いてしまう。中世の昔ならいざ知らず、官僚機構から軍事テクノロジーまで緻密な支配の道具をもっている現代社会において「神の支配」がどこまで「慈悲あまねく慈愛深き」ものであり得るのかは、まったく不透明だ。
ただここでイスラムのために弁じておけば、現代社会の根幹をなしている資本主義の競争原理もまた、内部に多くの矛盾を抱えており、システムというもののもつ「理想と現実」のギャップないし闘争関係は何もイスラムばかりの問題ではないということである。
「一」と「多」のジレンマ
「道」が一本しかなく、選択の余地がないというのは、何か狭量な思考のように感じられるかもしれない。しかし、考えてみれば、老子の説く「道」もまた、結局のところただ単に一個の超越的な道があるだけであり、これと並ぶ道があるわけではない。道は宇宙の真理であり、あれこれ選べるようなものではなく、人が自ずとそこに向かわざるを得ない、そんな何かである。
人間は普遍的に妥当する真理を求めるとき「一」なるものを思う。しかし、事実上我々はさまざまな候補の中から選んで自らの立脚点とするしかない。だから「一」の思考と「多」の思考はたいていセットになっている。イスラームとは唯一神への「帰依」を表す一般的・普遍的な概念であると同時に、歴史上の特定の信仰形態としてのイスラム教のことでもある。同様に、ムスリムは唯一神への「帰依者」一般を指す言葉であると同時に、狭い意昧でのイスラム教徒のことでもある。
自らの宗教が普遍的なものか特殊的なものかをめぐって、いかなる宗教もジレンマを抱えている。自分が奉じている信仰が普遍的なものであるならば、他人に押し付けたくもなるだろう。歴史的にキリスト教はそのように考え、異教徒を改宗させることは宣教の使命であった。しかし、後発のイスラム教は、他の一神教を排斥せず、また、現実主義的な寛容の原理を明文化している。イスラム教ではユダヤ教徒もキリスト教徒も「啓典の民」(神に啓示された教典をもつ民)として尊重する。コーランは「宗教には強制があってはならない」と説く。
宗教的寛容ないし共生の原則が中東世界で知られていた「一神教」以外に適用できるのかどうかは、解釈次第である。歴史的にはイスラム教徒は多神教のヒンドゥー教徒とも共存してきたし、日本のムスリムも日本の宗教的慣習に対してどうのこうのと言うことはない。
日本人にとって、唯一神の信仰というのは馴染みが薄く、なかなか理解できないが、日本にとって縁のある仏教やヒンドゥー教や中国思想においても、ダルマ(仏法)、ブラフマン(梵)、タオ(道)とやはり唯一なる真理を求めてきたことを思い起こそう。そしてたとえば仏教徒は、仏法としての業や縁起の法則は、信者であろうとなかろうと、仏教徒であろうとクリスチャンであろうとイスラム教徒であろうと無神論者であろうと普遍的に妥当する真理であると思っている。この点で、唯一神の信仰が全人類にあてはまると考えているイスラム教徒など一神教徒の思考法と、大きく異なるわけではない。
平等の正義
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の別なく、唯一神の信仰は、地上のあらゆる権威の相対化と、社会的弱者への配慮の思想(社会的不平等への批判)とセットをなしている。
地上的権威の相対化を端的に示すのが、モーセの十戒に見られるような偶像崇拝の禁止である。神が絶対だということは、地上のいかなるものも崇拝してはいけないということだが、これは単に絵に描いた神々の姿を拝むなというだけのことではない。地上のいかなるものもカミサマ扱いしてはいけないということであり、国王とか業界のドンとか映画スターとかセレブリティを崇拝してはいけないのである。ことにイスラム教では、あらゆる人間を神の僕=奴隷(アブド)と見なしているから、僕が僕を拝むのは、笑い話にしかならないのだ。
そしてこれは、人類は皆兄弟として助け合わなければならないという思想とセットになる。
正しく仕えるということは、あなたがたの顔を東または西に向けることではない。つまり正しく仕えるとは、アッラーと最後の(審判の)日、天使たち、諸啓典と預言者たちを信じ、かれを愛するためにその財産を、近親、孤児、貧者、旅路にある者や物乞いや奴隷の解放のために費やし、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行い、約束した時はその約束を果たし、また困苦と逆境と非常時に際しては、よく耐え忍ぶ者。これらこそ真実な者であり、またこれらこそ主を畏れる者である。
財産を近親に与えるばかりでなく、孤児や貧者や旅行者や物乞いに与え、奴隷解放に費やすというのが、神へのお勤めであるという。このあたりは典型的な救済宗教の思考である。なかでも目につくのは孤児への配慮だ。
不当に孤児の財産を食い減らす者は、本当に腹の中に火を食らう者。かれらはやがて烈火に焼かれるであろう。
ここにはシンプルな地獄思想も表われていて興味深い。死んだら善人は楽園へ、悪人は地獄(火獄という)へ行く。孤児といえば、そもそもムハンマドは孤児であった。孤児は遺産に与れない。借金して暮らすしかない。債務がたまれば奴隷の境遇に落とされる。そういう社会であった。そんな中で、ムハンマドは、幸いにも伯父の庇護を受け、まずまずの境遇で暮らすことができた。そして才覚を現わして立派な交易商人になることができた。孤児のようなまったく支えの無い人間がいかにきわどい立場におかれているか、ム(ンマド自身がよく知っていたに違いない。孤児を守れというのは確固とした正義であり、正義を語るのは神なのである。
かれ〔アッラー〕は孤児のあなたを見付けられ、庇護なされたではないか。かれはさ迷っていたあなたを見付けて、導きを与え、また貧しいあなたを見付けて、裕福にされたではないか。だから孤児を虐げてはならない。請う者を揆ね付けてはならない。あなたの主の恩恵を宣べ伝えるがいい。
ここで注意しなければならないのは、部族社会が一般的に不平等だというわけではなく、この時代のメッカにおいては経済的格差が進んで、部族社会が不平等に対処できなくなっていたということだ。経済中心の社会というのは、気をつけないと格差を絶望的に拡げる。旧来の社会システムが新たな事態に対処できないとき、新思想が台頭する。メッカの場合それは、「天地創造の昔から人間は平等に造られている」という一神教の思想であった。
イスラムの平等主義は、喜捨(ザカート)という富の再分配の制度をもたらした。ザカートとは、富の十分の一を社会内の最も困窮する者たちに分け与えるシステムである。先はどの引用の中にも、敬虔とは「喜捨」することだと書かれていた。
ムハンマドの告げる神の教えによれば、利子徴収も非合法なのであった。メッカの格差社会の根本的問題の一つが高利貸しであったためだろう。
利息を貪る者は、悪魔にとりつかれて倒れたものがするような起き方しか出来ないであろう。それはかれらが「商売は利息をとるようなものだ。」と言うからである。しかしアッラーは、商売を許し、利息を禁じておられる。それで主から訓戒が下った後、止める者は、過去のことは許されよう。
神の支配する共同体のジレンマ
ムハンマドの提示した神の下の平等の原理に基づく共同体は、中世イスラム帝国の時代にはたしかに世界でも先進的な、活発な社会であったようだが、近現代においては大きなジレンマを抱えるようになった。
近代のアジア社会は、イスラム社会であれ、ヒンドゥー社会であれ、儒教の社会であれ、概ねヨーロッパ(およびヨーロッパの真似をした日本など)の政治的・軍事的支配下に置かれてきた。どうやら宗教優位のアジア社会は、戦略や安全保障という点で呑気すぎたようで、宗教と政治を切り離した宗教改革以降のヨーロッパの戦略的な抜け目の無さにまったくかなわなかった。そしてヨーロッパの効率よいシステムの前に、地元の宗教の威信も低下し続けた。
イスラム社会においても、かつてはイスラム知識人層(ウラマー)が人生の万般の相談役であったが、その力も及ばなくなった。そんな中、新たに「覚醒」した知識人たちの主導のもとで、さまざまな形でイスラム復興が模索されるようになった。イスラムは預言者ムハンマドの範例に基づく政治や社会規範のシステムが精緻にできあかっていたので、いざ復興するとなると、インドや中国や日本などの場合に比べて、そう簡単に融通を利かすわけにはいかないようだ。
理想としては、イスラムは平等主義なのである。人々を搾取から解放する共同体なのである。アジア各地に誕生した軍事独裁型の世俗主義政権よりも、はるかにましであるはずだ。しかし、イスラムが提示しているのは国家権力を超えた神の支配というモデルなのであり、それを革命的に推し進めようとすると、神の規範を社会の隅々にまで適用しようというラジカルな管理社会を招いてしまう。中世の昔ならいざ知らず、官僚機構から軍事テクノロジーまで緻密な支配の道具をもっている現代社会において「神の支配」がどこまで「慈悲あまねく慈愛深き」ものであり得るのかは、まったく不透明だ。
ただここでイスラムのために弁じておけば、現代社会の根幹をなしている資本主義の競争原理もまた、内部に多くの矛盾を抱えており、システムというもののもつ「理想と現実」のギャップないし闘争関係は何もイスラムばかりの問題ではないということである。
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