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日本の共同体はどうなるか

『日本問答』より ヒエラルキーにならない社会 プリンシプルのない日本 循環型の経済システム

日本の共同体はどうなるか

 松岡 田中さんは、日本の宗教社会はこれからどういうふうになると思いますか。神社があって寺院仏閣があって、少しだけ教会がある。いまは「儒」があるとは言いにくいけれど、そのほか教団としては創価学会や霊友会や立正佼成会といった新宗教もけっこうある。こういう状態は、このままずっとつづいていくと見ていますか。

 田中 宗教という枠組で考えると今後のことはわかりませんが、日本人の信仰というふうに考えると、いまはまだなんとかお祭りや年中行事に組み入れられているものの、どんどん衰退して消滅していくでしょうね。

 松岡 旧来の氏子や檀家は地縁的ではなくなっていますよね。団地やマンションのブーム、市街地再開発が頻繁につづいて、そうなった。墓地も遠くに集団移転して、斎場はとっくに会館化している。寺社の祭祀はがんばってつづいているけれど、少子高齢化にともなって担い手が少なくなっていけば、お祭りは縮小せざるをえないでしょうね。

 田中 いま残っているものが今後発展して大きくなるということは考えられないですねえ。

 松岡 ぼくが大好きな奥能登のアエノコト(田の神を迎え送る祭事)をする農家も、一九八〇年代でめっきり減りました。

 田中 沖縄の小浜島でお盆の祭礼行事を見たんです。お盆といえば沖縄本島ではエイサーなんですが、小浜島ではべつな呼び名のお祭りがあって、小さな島が南と北に分かれ、それぞれの若衆たちによる門付けがあるんです。一晩中門付けして歩いて、夜明けごろになるとこの二つの集団が南と北からやってきて、ある辻で出会うしくみになっている。このとき若衆がみんな女装するんですね。そのまわりを長老たちが取り囲んでいて、もちろん見物人も取り囲む。だんだん近づくにつれてたいへんな喧噪になってくる。そういう演出をするわけです。

  こういうお祭りを見ていると、その共同体がどんなふうに生産を担っているのかが見えてきます。そういうしくみをもっているものが、本来の祭りの原型だと思うんです。祭りというのは生産共同体のしくみをなぞることによって、共同体を再生するものなんですね。沖縄の場合は、神社ではなくて、「司」と呼ばれる女性たちがこれを取り仕切っています。ただ、地元で話を聞いてると、そこかしこに新宗教の人たちが入ってどんどんふえているそうです。

 松岡 そうでしょうねえ。

 田中 そういうふうに、年中行事の信仰と日常生活での信仰とが分離しはじめています。与那国では自衛隊を入れることに賛成している市長が勝ったんですが、いま言った小浜島、竹富島、与那国は八重山諸島のなかにあって、ここが尖閣に一番近いところになる。しかも米軍基地はない。だから自衛隊の募集がだいぶん前からさかんだったそうです。

  こういう情況を見ていると、今後このあたりに出てくるのは、おそらくナショナリズムなんだろうと思う。いままで沖縄ナショナリズムだったものが、沖縄本島とはちがう意味での自衛隊を中心とした日本のナショナリズムが八重山のほうに入っていく可能性があります。そうすると、ますます共同体の祭りの意味が変わっていったり、継承されなくなってしまうことだってあるかもしれない。それとともに、新宗教もいままで以上に出てくるかもしれません。それほど、どんどん日本人の精神的な拠り所がなくなっていくんだろうと思うんです。

 松岡 田中さんが言われた共同体やそこでおこなわれる祭祀を守るには、パトリオット(愛郷心)のところ、郷土愛や風土感性のところでナショナリズム化を止めないとまずいでしょう。いまの日本ではその境界がどんどん破られている。国防とか自衛隊とか日米同盟といった大きなしくみによって、パトリオティズムがどんどん崩れています。こういうときは、八重山は八重山で、能登は能登で、佐渡は佐渡で、福島は福島で、そういうものを止めていかないと、祭りの共同体は守れなくなっていきます。そうやって考えていくと、これから神社と仏閣がもう一度手を握るしかないんじやないかとも思うんです。

 田中 もう一度、新たに神仏習合する?

 松岡 全部が全部、連合してしまうのではなく、その土地の方言、たとえば漬物の呼び方とか風の呼び方なんかと同じように、それぞれのお社の由緒やお寺の由緒をもう一度取り出して、そこから何かある独特の四季の行事などのモジュールを形成していく。そういうものと商店街や地域NPOとがいっしょにやっていく。

  たとえば川筋で栄えた町は、どこもいまは廃れつつあるけれど、どこかに川筋気質みたいなものが残っていたりしますよね。いちばん可能性があるのは街道筋のネットワークだろうと思うんだけど、日本中のロードサイドが一番どうしようもない均一的な状態になっていますからね。幸いにも川筋はまだまだ手がついていないと思うので、せめて神社、仏閣、川筋ぐらいが連動するといいんじやないか。

 田中 私は、共同体というのは生産共同体というあり方を失ってはもたないものだと思うんですね。ところが、どの地域でもその生産共同体が崩壊している。農業の衰退とともにどんどんなくなっている。祭りを維持する理由がなくなるんですね。理由がないところでどうやって祭りを維持するかというと、観光化しかないという話になる。でも観光にしてしまうと、規模がおかしくなってしまう。たくさん観光客が入ったほうがいいんだという話になってくる。

 松岡 爆買いしにやってくる外国人でもいいという話になる。あるいはぼくが大嫌いな〝ゆるキャラ〟のぬいぐるみを大量出動させる(笑)。

 田中 私がずっと学生たちと訪れている佐渡でもそうです。佐渡は一〇八ぐらいの集落がそれぞれの鬼太鼓をもってずっとやってきた。けれどもやっぱり過疎化が進んで、いまはどこも外の人を入れるようになって、会社にしてしまうところも出てくる。ああいう人たちが祭りに来て何かやってくれれば、集客にはいいかもしれないけれど、しょせんは「よそ者」です。でもそういう「よそ者」を頼まないと祭りが成立しなくなっているんです。

  それでも、そういう人たちに頼って観光化を図ってでも伝統を残そうという意欲さえあれば、まだなんとかなる。人生を賭けてでも伝統を守りたいという人がひとりでもいれば、なんとか継承されるかもしれません。ただしそういう人がいるかどうかというのは、これはもうたまたまいるかどうか、ということにしかならない。

 松岡 たまたまいた連中が「よさこいソーラン」をつくっちゃう場合だってある。

 田中 大学生がお祭りを復活しなきやと頑張った結果、よさこい節とソーラン節がいっしょになっちゃう。あれはあれで成功したというふうに言われてますが、私はやっぱり疑問符をつけざるをえない。ああいうのを成功と言うんだろうか。たしかに全国に広がって、全大学にサークルができて、量的拡大という意味では成功しましたけど、なんだか中身のないカーニバルにすぎませんね。

 松岡 刻み生姜はそれで十分においしいけれど、そこにシソを絞っているうちに紅ショウガというべつのものになった。やがて刻んだショウガはほぼすべて紅ショウガに席捲された。さあ、これをどう見るかです。端唄や三味線の名人の本條秀太郎さんは、そもそも民謡や俗曲は各地を流転していて、曲も詞もかなり混淆してきたと言っています。モードというものはそうやって転移したり混淆したりしていく。しかし、よその成功をパクってばかりでやろうとしても、つまらないものがはびこるだけで続かない。

 田中 このままではお祭りのM&Aみたいなことも、おこってくるかもしれない。

 松岡 そうだねえ、そういうこともおこるかもね。

 田中 おこるわよ。

 松岡 すでにスポーツはトライアスロンのような個別競技の加算結合がおこっていますね。ちなみにぼくのまわりでは、為末大君や笹川スポーツ財団とかが、スポーツ共同体で日本を活性化するという構想をもっていて、ちょっと可能性があるかなと思います。亡き平尾誠二君もそうだった(二〇一六年逝去)。ただしそこからオリンピックをめざすというような活動になって、国際的なルールのなかでやるようになってばかりではおもしろくない。それぞれ独自なドメスティックなルールをもたないと、日本の地域を維持したり、何かを残すためのものにはならないんじやないか。

  もうひとつあると思うのは、情報共同体の可能性です。いまのところ、ネット社会にいろんな擬似的な情報共同体が生まれているけど、なかなか地域と結びついていない。いまだにお祭りもない。電子ネットワークというものにもっと地域的な色合いをつけられるようになれば、何かが変わるかもしれない。でもスポーツ共同体も情報共同体も数は多いけど、いまのところまだ地域の再生に有効な日本様式は出ていないように思いますね。

 田中 ものすごい勢いでボーダーとか境がなくなっている時代ですからね。たとえばいま多くの日本企業が外国人を採用し始めていて、これに対して大学も学生も危機感を抱いている。けれどもこれは逆に言うと、日本人が外国で働く機会も開けてきているということです。これが急速に進んでいくと日本人の生産の場そのものが変化する。しかもそれが世界中でおこっていく。となると、日本人を日本につなぎ止めるものとしていったい何か残っているのか。

 松岡 どう考えても「日本でなくてもいいや」というふうになっていきそうだね。

 田中 そこで重要になってくるのは、やっぱり「記憶」ではないかと思うんです。いまの日本を強調しようとすると、戦前の国体みたいなものがまた出てきてしまいかねない。そうではなくて、日本の記憶のほうに戻るべきなんじやないか。それであれば、いまはまだたくさんのものが残っている。そういうものを日本人が共有していくしかないんじやないか。

 松岡 なるほど。ぼくがこれからいろいろ考えてみたいと思っているのも、座の共同体、あるいは学習共同体なんです。ひょっとしたら、いまの日本で唯一可能性があるかもしれない。ただしそのためには、小学校から大学受験のマークシートまで、教育システムごとやり直さないといけない。それにもっと本を読めるようにしないとまずい。

 田中 私は、そのために大事なものは東アジア的なものだと思う。鳩山政権が最初に東アジア共同体と言いはじめたときには、経済共同体のことまで発想していなかった。最初に言いはじめたのは教育共同体のことなんです。私は、これは非常にいい話だと思った。結果的に、ああいうかたちで挫折したというか潰されてしまって、いまでは東アジア共同体なんて口にしただけでバカにされるようなものになってしまった。だからこれからやるのであれば、まったくちがう枠組を用意しないといけないと思いますが、今後の日本学は「東アジアの日本学」にならないかぎり、意味をなさないんです。

 松岡 ぼくも、奈良県の荒井正吾知事が言い出した「日本と東アジアの未来を考える委員会」の監修をやりながら、川勝平太さんや鳩山さんとそういう話をしていたことがある。だいたい五山も蒹葭堂サロンも、いってみれば東アジア文化の研究センターだったわけです。けれどもいまの情勢だと、日本がそれをする前に中国が先にそこまでやっちやうかもしれないね。ただしその場合、アジアすべてに言えることだけれど、言語をどうするか。

 田中 東アジアという視点で日本を見るという発想は、宣長の時代の日本人たちにはすでにあったんです。宣長はすべての発祥の地は日本だと強調したんですが、朝鮮半島のことを抜きにしては日本の歴史にならないということを宣長にぶつける人たちもいた。そういう論争がおこるくらいに、東アジアのことをみんなよく見ていた。

 松岡 近代以降、日清戦争、日露戦争、日韓併合があって、台湾の植民地化も進み、一方では日本主義や国粋主義といわれている動向のなかにも、東アジアにおいての日本ということを本気で考えていた人たちがけっこうたくさんいましたね。右から左まで、頭山満から宮崎泗天まで、中国と日本のあいだで学習共同体のようなグループをつくる連中がさまざまに活動していたし、そこに孫文たちもかかわった。けれどもその後は中国に共産主義運動かおこり、日本も満州国づくりに向かって、結局は日中戦争に突入してしまった。戦後はこのような学習共同体も座の紐帯もあまりできていません。したがって、東アジア共同体的なモデルをつくるというなら、いったんは明治後期・大正期のモデルを参考にすることになる。そうでないとすると、まったく新しいモデルを模索することになる。
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