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ドイツとイスラエル・関係修復の長い道

『イスラエルがすごい!』より 恩讐を超えて--関係を深めるドイツ
ドイツとイスラエル・関係修復の長い道
 さてドイツとイスラエルの関係は、常に今日ほど良好だったわけではない。両国の友好関係の前提は第二次世界大戦後、ドイツがホロコーストの責任を全面的に認めて謝罪したことだった。ドイツは70年の歳月をかけて、イスラエル人の信頼を回復する努力を続けてきた。
 1948年の建国直後のイスラエルでは、「ドイツの製品など絶対に買いたくない。ドイツ語を聞くのもいやだ」という市民は珍しくなかった。ホロコーストの記憶があまりにも生々しかったからである。強制収容所の地獄をからくも生き延び、腕にナチスが入れた登録番号の入れ墨が残る人々も多かった。当時のイスラエル人の大半が、家族や親戚、友人をナチスに殺されていた。ドイツなどに持っていた財産をナチスに没収され、無一文になって中東地域に流れてきた人も多かった。
 1951年9月、西ドイツ首相だったコンラート・アデナウアーは、演説の中でユダヤ人に対する謝罪の姿勢を示した。
 「ドイツ連邦政府と国民の大多数は、ドイツがナチスに支配されていた時代にユダヤ人に与えた、ばかり知れない苦痛を意識している。ドイツの名の下に、途方もない犯罪が行われた。このため我々はユダヤ人が受けた被害、失った財産について、道徳的、物質的な賠償の義務を負う。ドイツ政府は補償に関する法律を一刻も早く制定し、施行する」
 ドイツとイスラエルの和解への長い道程が始まった瞬間である。
歴史的なルクセンブルク合意
 1952年9月10日にアデナウアー、イスラエルのモシェ・シャレット外務大臣、「ドイツに対するユダヤ人補償請求会議」のナフム・ゴルトマン議長は、ユダヤ人への補償に関する「ルクセンブルク合意書」に調印した。
 この合意に基づき、西ドイツ政府は12年間にわたり、イスラエル政府にまず30億マルク(約1950億円)の補償金を支払った。さらに、イスラエル国外に住む被害者を代表する「ユダヤ人補償請求会議」にも4億5000万マルクを支払った。これがドイツが今日まで延々と続けている補償の第一歩だった。1950年代には34・5億マルクは莫大な金額だった。
 この補償にはイスラエル国内で反発の声が上がった。同国の保守派は、「金で何百万人のユダヤ人虐殺を償うことはできない。血にまみれた金を受け取るな」として、ペングリオン政権がルクセンブルク合意を受け入れたことを厳しく批判した。1952年にはイスラエルのテロ組織のメンバーがアデナウアー宛に送った小包爆弾が、西ドイツの駅で爆発し、警察官が死亡するという事件が起きている。殺人容疑で逮捕されたイスラエル人は回想録の中で、「アデナウアーを狙ったテロは、後に首相になったメナハム・ベギンの指示で行った」と告白している。
 だが、欧州からの多数の移住者を抱え、独立戦争で疲弊していたイスラエル政府にとって西ドイツからの経済援助は貴重だった。これとは別に西ドイツ政府は、1961年からイスラエルに対して毎年秘密裏に資金供与を行ったほか、1962年からは軍事物資の提供も行い始めた(ルートヴィヒ・エア(ルト政権は、米国の要請を受けてイスラエルに戦車まで供与している)。この結果、西ドイツとイスラエルは1965年に外交関係の樹立にこぎつけた。
 だがルクセンブルク合意も、ドイツの補償行為の氷山の一角にすぎない。西ドイツ政府は1956年6月29日に「ナチスに迫害された被害者の補償に関する連邦法」を制定した。連邦補償法とも呼ばれるこの法律は、ナチス犯罪の補償制度の根幹である。
 具体的にはナチス政権下で、民族、宗教、国籍、政治的信条などを理由に健康被害、自由の制限、拘束、経済的もしくは職業上の不利益、財産権の侵害などの被害を受けた人々に補償金を支払った。
 連邦財務省によると、1987年までの34年間に被害者がこの法律に基づいて行った補償請求は、438万4138件にのぼる。2016年末までに479億5800万ユーロ(6兆2345億円)が支払われている。
 ナチスはユダヤ人の不動産や商店、美術品などを没収したが、西ドイツ政府は1957年制定の連邦返還法に蕎づき、返還もしくは補償を行ってきた。1987年までに73万5076件の財産返還・補償請求が行われている。
 さらにドイツ連邦政府は、2000年に約6400社の民間企業とともに「記憶・責任・未来という補償基金を設立。この基金は、戦争中にドイツの軍需産業などのために強制労働をさせられたユダヤ人ら約170万人に対して、約47億ユーロ(6110億円)の補償金を支払った。
65年間に10兆円近い補償金を支払ったドイツ
 ドイツ連邦政府が2018年3月にまとめた資料によると、1952年のルクセンブルク合意から65年間にドイツ政府がユダヤ人などナチスによる犯罪の被害者に支払った補償の総額は、755億7800万ユーロ(9兆8251億円)に達する。その支払いは今も続いている。2017年の1年間だけでも、ドイツ政府は10億640万ユーロ(1308億円)の補償金を支払った。
 連邦財務省は、「ナチスの犯罪に関する補償金の支払いは、被害者が生きている限り続く」と説明している。
 ドイツ政府が敗戦から70年以上経った今も、経済成長で得た国富、勤労者が納めた税金の一部を補償に回し続けている姿勢は、注目に値する。
 ただし、ユダヤ人らが、強制収容所で昧わった恐怖や苦しみ、親族を殺された悲しみは、決して金で償えるものではない。
 ドイツ政府は、金による償いが不可能であることは認めながらも、迫害のために健康を損なったり、トラウマ(精神的な傷)に苦しんだりしている人に対して、経済的な支援を通じて謝罪し、生活の負担を少しでも軽くしようとしているのだ。
メルケルの謝罪
 2008年3月18日、ドイツ連邦政府のアンゲラ・メルケル首相はエルサレムのイスラエル議会(クネセト)で約24分間にわたって演説した。イスラエルが建国60周年を迎えたことに敬意を表するためである。それまで、ここで演説を許された外国の要人は、国家元首か君主、大統領だけだった。つまりメルケルは外国政府の首相として初めて、クネセトで演説したのだ。
 彼女の演説の中では、歴史認識が重要な位置を占めた。ドイツの首相が、ナチスによる弾圧の最大の被害者、ユダヤ人たちの前で歴史認識について語る。これは地雷原を歩くような、緊張を強いられる作業だ。
 クネセトの演壇に、黒いスーツに身を固めたメルケルが立った。普段は冷静沈着な態度で知られるメルケルも、さすがにこの日は緊張のために顔をこわばらせていた。彼女は、慎重に言葉を選びながら、こう語った。
  「(ナチスによる犯罪という)ドイツの歴史の中の道徳的な破局について、ドイツが永久に責任を認めることによってのみ、我々は人間的な未来を形作ることができます。つまり我々は、過去に対して責任を持つことにより、初めて人間性を持つことができるのです」
  「ドイツの名の下に行われた大量虐殺により、600万人のユダヤ人が犠牲になりました。このことはユダヤ人、欧州、そして世界に表現しようのない苦しみをもたらしました。ショア(ユダヤ人大量虐殺)は、我々ドイツ人を恥の気持ちで満たします。ショアは、人間の文明を否定した行為であり、歴史に例がありません。私は犠牲者、そしてユダヤ人を救った人々の前に頭を垂れます」
 メルケルはこう述べて、ユダヤ人たちに対して謝罪した。
 さらにメルケルは、「ナチスの残虐行為を相対化しようとする試みには、敢然と立ち向かいます。反ユダヤ主義、人種差別、外国人排斥主義がドイツと欧州にはびこることを二度と許しません」と誓った。
 メルケルの演説はイスラエルの知識人の間で高く評価された。ハイファ大学のダン・シュフタン教授は私とのインタビューの中でこの演説を称賛した。「メルケルは、イスラエルが占領地域に入植地を建設していることについては批判的だ。このためネタニヤフ首相とも仲が悪い。しかし彼女は、この演説によって自分がイスラエルの友人であり、将来もイスラエルの側を離れないという姿勢をはっきり示した。私はベルリンでメルケルに会った時、『あなたの演説には感銘を受けました』と伝えた」。辛口のコメントを行うことが多いシュフタン氏の発言としては、最高の誉め言葉である。
 
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