『GIG WORK』より コンテンツ化する世界 古い世界からの解放
製品化からコンテンツ化する世界へ
オレが最初に出版社から独立してはじめた事業がコンサルタント業だった。そのときの肩書きを「コンテンツマーケター」にしたのを覚えている。オレが出版社時代から感じていたのは、「本ほど強力なマーケティングツールはない」ということだ。マーケティングツールと言ってしまうと本を冒涜しているように思われてしまいそうだが、あえてこの言葉を使わせてもらう。よく言われることだが、歴史上の一番のベストセラーは聖書と言われているように、聖書がキリスト教を広めるのに役立ったわけだ。つまりキリスト教ってコンテンツだ。これは15世紀に印刷技術が進化したことが最大の要因だ。
オレが独立した頃は印刷技術に代わりインターネット技術が発達し、スマホが一般化しはしめた頃だったので、コンテンツを活用したマーケティングの需要が増えると予測した。結果は、本だけでなく、電子書籍、ウェブメディアというものが世の中に広まっていき、企業がメディアを持つのが当たり前くらいになってきたので、オレの予測はある程度当たっていたわけだ。
この頃から企業の宣伝活動も大きく変わり、広告からPR、そしてコンテンツに変わっていくことになる。つまり、消費者は広告を信じなくなり、PRもお金で買えることを知るようになった。テレビ、雑誌、新聞の広告だけでなく、雑誌や新聞に載る記事までも信じなくなってきた。
オレが編集者をやっていた頃は、新聞に本の広告を出すだけで、アマゾンで1位になることはしばしばあったが、今はほとんど反響はないと言っていい。だから現在はオウンドメディアとかウェブメディアと呼ばれるサイトが力を持ってきている。ニュースを扱うもの、生き方を扱うもの、いろんなメディアがあり、それぞれの趣向に合わせた読者をつかんでいる。当たり前であるが、コンテンツの質が問われてくるようになる。
さらにオレが面白いと思ったのは、産業そのものの変化だ。本来の産業は生活のあらゆる部分の製品化によって成り立ってきた。たとえば、移動手段としての馬車が自動車に、掃除や洗濯が文字通り掃除機、洗濯機に替わることで産業が発展してきた。つまりあらゆる労働が製品化されたのが、ひと昔前の資本主義だったわけだ。
ところが今の産業界を見渡してみたときに、自動車業界、家電業界に活気がないのは誰の目にも明らかだ。そのかわりに活気があるのは、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に代表されるインターネットを活用している企業たちだ。彼らはインターネット上においてコンテンツを活用して巨大化しており、もはや時価総額は全産業の中でもトップクラスだ。これは明らかに製品化するビジネスよりもコンテンツ化するビジネスのほうが時代に合っているという証拠だ。
また、最近の事例で面白いのはKonMariこと近藤麻理恵さんのアメリカでの活躍じゃないだろうか。彼女は2010年に日本で出版した『人生がときめく片づけの魔法』がミリオンセラーになり、その後、アメリカ版もベストセラーに。さらに、ネットフリックスで番組を持ち、大成功をしている。掃除を製品化したのが掃除機なら、コンテンツ化したのがKonMariなわけだ。彼女は40億円以上でネットフリックスと契約したわけだから、まさにコンテンツ化かお金を生むことを証明している。
昔からコンテンツを制したものが勝ってきた!
先ほど、オレはアマゾンのおかげで編集者として成功したと書いたが、実はアマゾンだってコンテンツを切り口に巨大化した。アマゾンは2018年にアップルに続き株式時価総額が1兆ドルを超えたわけで、ここまで大きくなった要因もすべてコンテンツがあったからだ。そもそも、アマゾンは最初はインターネット書店として起業しただけ。つまり、本をインターネットで売るという、今思えば誰でもできそうなビジネスだ。ここで重要なのは、本を入口にしたことだ。
ご存知のようにアマゾンは、今ではあらゆる分野に進出しており、利益の大半は本の販売ではない(むしろ本の販売は赤字のことが多い)わけだ。ただオレは、アマゾンが本を扱っていたのが大きいと思っている。それは本がコンテンツだからだ。オレは人はコンテンツがなければ生きていけない生き物と思っている。なぜなら、膨大な処理ができる脳を手に入れた人間は、常に何かを思考している。それは意識的か無意識的かは別として。
そこで重要なのは、思考する根拠となるものだ。コンピューターで言えば、OSみたいなものを常に必要としていく。なぜなら、オレたちは日々、選択に迫られる。いや、毎時、いや、毎分? いや、毎秒か。ある説によると、1日約9000回の選択を迫られるという。そうなると、ほとんどの場合は無意識で判断していることになるが、顕在意識では常に「これは正しいのか?」という不安を抱くことになる。そこで、人は何か信じるものが欲しくなる。判断基準が欲しくなる。
その結果、あらゆるコンテンツを欲していくのだと思う。だから、常にコンテンツを欲していく特性を持つオレたちに、本を入り口にビジネスをはじめたのは一つの成功要因だったはず。常に欲しくなるというのは中毒性が強いわけだ。一度買ったらやめられなくなるということ。もはや、オレはスマホ中毒だし。昔ならテレビ中毒、今ならゲーム中毒、ユーチューブ中毒とかいろいろいるだろうが、全部コンテンツだろ。
GAFAの連中だってみんなコンテンツをビジネスにしてるでしょ。グーグルがユーチューブを持ってるってのもそうだけど、そもそもインターネット空間そのものがコンテンツなわけで、そこの検索エンジン大手なんだし。アップルだってiTunesやアップルミュージックを通して音楽や映画や電子書籍を配信してるわけで、そもそもオレたちがiPhoneやMacを使うのもコンテンツに触れるためだし。フェイスブックなんてオレたちが投稿していくものがコンテンツになっているわけだし。結局、いま世界を支配しているGAFAも全部コンテンツビジネスと言えるわけよ。雑な言い方かもしれないけどね。
アマソンがスーパーマーケット
ホールフーズというスーパーマーケットを知っているだろうか? オーガニック食品なんかを扱う高級スーパーマーケットだ。やや高級といったところだろうが。オレが前に住んでたホノルルとか、今住んでるサンフランシスコなんかでは結構、人気店だ。日本から来る観光客も、エコバックを買ったり。ある意味、そこそこブランディングできているスーパーマーケットと言っていい。
少し前の話になるんだけど、2017年8月にホールフーズをアマゾンが137億ドルで買収した。円に変えたら1兆円以上なわけだから、まじですごい。でも、それ以上にオレがこの買収がすごいって思ったのは、アマゾンが日常生活に入ってくるってことだった。
たしかに、最初は本だけだったけど、今ではネットで何でも買えるようにはなっていた。でも、オレたちが生きていく上で欠かせない食品をリアルで売るスーパーマーケットまでも手に入れたわけだ。本というコンテンツをネットを通じて売っていたアマゾンが、リアルな人生に進出してきたということ。もちろん、本だけではなく、映画も番組もつくるし、音楽も配信するし、新聞社も買収するしでコンテンツ部分の支配には抜かりがない。
つまり、アマゾンはコンテンツによってオレたちの頭だけではなく、リアル店舗を持つことで、生きていく上で必要な食料品を扱うことで身体まで支配してきていると言ってもいい。今の時代はこうやってコンテンツが頭から入り思考を支配され、リアルな人生における行動が決まってくるわけだ。
コンテンツは趣味や知的好奇心レベルの話ではなく、リアルな人生における行動すらも支配していく。当然、アマゾンのアカウントを利用して買い物することになるわけで、オレたちの購買データはアマゾンには筒抜けだ。
さらに、アマゾンはアマゾンGOという無人コンビニの展開もはじめている。実際、サンフランシスコの店舗に行ってみたが、レジがなく、商品を持って店外に出たら勝手にアマゾンアカウントで決済が終わっているという仕組み。おそらくアマゾンはこのシステムを他の小売店にも売るつもりだろう。そうすれば小売店はレジの人件費を削減できるし、アマゾンは顧客データも手数料も手に入れるだろうから。
トランプ大統領が生まれたのは
フェイスブックのおかげ?
ここまでは経済について見てきたが、実は政治もかなりやはいことになってきている。オレたちのリアルな人生における行動すらも実はコンテンツに支配されているし、それがわかりやすいのがアマゾンのホールフーズ買収だから一例として紹介したわけだが、さらに投票活動にまで影響していることも明らかになっている。
先日、行われた日本の参議院選挙でもインターネットをうまく使った党が躍進したと言われている。ある党の政見放送を見れば明らかなように、本当にアホ丸出しな党ですら議席を取ってしまうわけだ。この党はユーチューブをうまく使ったと言われているが、政治すらコンテンツが決めてしまうということだ。
そして、よく言われているのが、2016年のアメリカ大統領選だ。悪名高きトランプ大統領が誕生した選挙だ。ぽんと、アメリカで移民として生きるオレにとっては、クソ大統領もいいとこなんだが、彼が誕生したのもうまくインターネットを使ったからだと言われている。とくに、この選挙では「フェイクニュース」が結果を左右したと言われている。
その中でも、フェイスブックから約8700万人の個人情報がイギリスのデータ分析会社であるケンブリッジ・アナリティカ社に渡っていたことは大きな問題になった。同社がこの個人情報を使って、大統領選に影響を与えるような情報を流していたという。先にも紹介した『フェイクウェブ』(高野聖玄著、セキュリティ集団スプラウト著、文芸春秋)によると、
「なかでもケンブリッジ・アナリティカ社のケースは大きな波紋を呼んだ。同社は米大統領戦やブレグジット(イギリスのEU離脱)を巡る国民投票の結果に影響を与えるため、数千万人分のフェイスブック利用者データを使用していた疑惑で告発され、2018年5月に廃業に追い込まれた。フェイスブックなどから集められたデータは、独自のデータ分析により個人を趣味嗜好別に分類され、そのタイプに合わせて選挙を有利に導くように情報を誘導していたとされる。イタリア、ケニア、ナイジェリアなどの国においても同様の手法で選挙コンサルティングを行ってきたとみられている。
この個人データの不正利用とも言える問題は、その後、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEOが、米国議会とEU議会において証言を迫られるという事態にまで発展。巨大IT企業による情報の独占や、それらのビッグデータの扱いを巡るプライバシー論争へと繋がる契機となった」
とあるように、情報操作によって、政治すらも変わることを示しているわけで、コンテンツの扱い方に長けている者ほど、この世界では優位に生きられるということを示しているのではないか。