未唯への手紙
未唯への手紙
二〇一三年 原発ゼロしかないよ
『日本の原子力』より
二〇一一年 ムラの実態と「専門家」の醜態
解説委員 これはあくまで想定、仮定ですが、こうした水素がなんらかのことで引火して爆発したということも考えられます。
アナウンサー この情報をお聞きになってどのような印象ですか?
原子力の専門家〔NHKがっけた肩書き〕 爆発的なということですか、はい今格納容器の圧力を下げるという作業をしておりますので、その一環として弁を一気に、まあ爆破弁というものがあるのですが、そのような弁を作動させて一気に圧力を抜いたということもあるのかなと思っております、ちょっとまだ情報がございませんのでよく分からないところが多いと思います。(三月一二日一六時五二分ごろからのNHKテレビのニュース)
三人が画面に登場する前の一分間は、福島第一のその日一四時ごろの海岸からの映像が映されていた。その後、一六時四〇分ごろの陸側から第一を映した映像に変わった。撮影方向が逆なので分かりにくいが、四つあった原子炉建屋の一番端にあったものが骨組みだけになっていることを映し出していた。しかし一号機の建屋が吹き飛んでいることを誰も指摘していない。放送開始から一五分経過したところで誰かが気づいたのだろう、同一アングルでのライブの映像と午前中の映像を対比させ、爆発音と白い煙と地面の揺れの原因が一号機の建屋の爆発だったことを確認した。
その映像を受けて専門家(関村直人東大教授)は「原子炉の建屋だということになりますと、少し大変な事象が起こっているのではないか」と述べ、解説委員は「これほど大きな爆発等があったとすればもう少し確かな情報を東京電力、国は把握できるのでは」ともっともな疑問を呈している。しかし実態は違った。そのころ官邸のテレビ画面では、大爆発で建屋が吹き飛び大量の白煙が上がっている映像が流れていた。菅首相はその日朝、現地に向かうヘリコプターの中で「水素爆発は起こらない」という説明を班目原子力安全委員長から受けていた。爆発映像を前に班目は「あー」と頭をかかえるだけだった。これを機に菅は、原子カムラの人々が頼りにならないことを悟った。
一号機では一二日九時をめどに爆発を防ぐためのベンドの準備が行われたが、実施されたのは五時間後の一四時五〇分だった。それから四六分後、一五時三六分に水素爆発が起きた。ベンドが計画より遅れたのは、放射能を避けるための遠隔操作に必要な電力が得られず、手動の作業と仮設の遠隔作業となったためだ。この五時間で水素がたまり、水素爆発の遠因となったと思われる。
五月二六日、関村は米国科学アカデミーで「福島第二原子力発電所事故の概要について」という講演を行っている。その「震災の科学技術に対するインパクト」の中で「科学技術への信頼低下。工学者・学生の自信喪失」を指摘している。この指摘は原発がレペル七の事故を起こしたことの直接的影響を意味しているのだが、事故から約一週間ほど、彼を含めた「原子力の専門家」がマスメディアで見せた醜態が引き起こしたものでもある。
六月、独連邦議会は脱原発関連法案を可決した。
二〇一二年 報道の自由--低下か実態暴露か?
日本の報道の自由度は二二位に下落したが、津波や福島の核事故報道に過剰な制限が加えられ、報道の多元性の限界が露わになった。(「国境なき記者団」による「世界報道の自由度ランキング 二〇一一-二○一二」の日本についてのコメント)
報道の自由度ランキングで日本は世界約一八〇カ国中、二〇〇九年が一七位、一〇年は一一位だった。それが一二年に二二位に落ちた。この後さらに順位を落とし一三年が五三位、一四年には五九位となる。一三年については、フクシマ報道が一層厳しく制限されていることと自己検閲の横行、権力による取材制限を支えてきた「記者クラブ」改革が進んでいないことも指摘された。
しかし以下の事例を知ると、本当に日本の報道の自由度は下がったのか、むしろ以前の高評価が実態を反映していなかったのではないか、と考えられる。
九月一一日、日本学術会議は原子力委員会委員長に、回答「高レペル放射性廃棄物の処分について)を送っている。これは二〇一〇年九月七日の同委の近藤駿介委員長からの要請に応えたものだ。三・一一により対応が遅れたが、結果としてフクシマを踏まえた回答となった。学術会議は、原子力発電をめぐる大局的政策についての合意形成に十分取り組まないまま高レベル放射性廃棄物の最終処分地の選定という個別的課題について合意形成を求めるのは、手続き的に逆転しており手順として適切でない、という判断に立脚している立場を明確にした上で、六項目の提言をしている。
一.高レベル放射性廃棄物処分政策の抜本的見直し
二.科学・技術の限界の認識と科学的自律性の確保
三.暫定保管と総量管理を柱として政策を再構築
四.負担の公平性の確保
五.討論による多段階合意形成
六.長期的取り組みが求められていることの認識
一.で「原子力委員会自身が二〇一一年九月から原子力発電・核燃料サイクル総合評価を行い、使用済み核燃料の『全量再処理』という従来の方針に対する見直しを進めて」いると指摘し、そして四.で「金銭的手段による誘導を主要な手段にしない形での立地選定手続きの改善が必要で」、そして六.でこの件は「千年・万年の時間軸で考えなければならない問題である」と釘を刺している.法律は作ったがそれから一〇年放置されてきたのは、構造に無理があるからだ.フクシマ「以来、原子力政策全般にわたる抜本的見直しの議論が広く進められている……高レベル放射性廃棄物の処分についても既存の枠組みにとらわれることなく、様々な角度からその処分法を吟昧すべきで」はあるが、「各地の原子力施設には、既に大量の使用済み核燃料が存在するので」、三.の「暫定保管」が必要ということだ.失われた一〇年間、こうしたことが広く報道されることはなかった。
二〇一三年 原発ゼロしかないよ
一〇万年だよ。三〇〇年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ……逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す……戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が。(小泉純一郎元首相の「原発ゼロ」発言)
冒頭の「一〇万年」は核ゴミの保管期間だ。
「逆だよ、逆」。こうした発想が小泉の特質かもしれないし、日本の政治家に少ない資質だと思う。七〇年代に脱原発の方向を模索した日本社会党、九〇年代に原発を過渡的于不ルギーと位置付けた民主党、いずれも原発依存の道に入り込んでしまった。両者に共通しているのは、文句をつけながら継続を認める姿勢だ。本気であれば、稼働中の原発をいつまで存続させるのか、その時間的期限を切って、それまでの行程表、そのあとの段取りを示すべきだったが、それがなされなかった。その結果、社会党は村山政権時代に、民主党は二〇〇六年に原発依存に方針転換した。
小泉が原発ゼロの方針を確信したのは核ゴミの処理問題だった。この後、一一月一二日、小泉はこう述べている。「結論から言うと、これから日本において核のゴミの最終処分場のめどをつけられると思う方が楽観的で無責任過ぎると思いますよ。すでに一〇年以上前から最終処分場の問題は技術的には決着してるんですよ。それがなぜI〇年以上かかって一つも見つけることができないのか。事故の前からですよ」。彼は夏にフィンランドのオンカロを見学した。その概要をこう述べている。「四〇〇メートル地下に下りる。縦横ニキロメートルの広場をつくっているわけです。……その広場に円筒形の筒を作って、核のゴミを埋め込むわけです。……二基分しか容量がない……一〇万年もつかどうか調べないといけない。振り返って日本を考えて下さいよ。四〇〇メートル掘らないうちに水なんてしょっちゅう出てきますよ。中には温泉出てきますよ」。
「温泉」というのは、処分場建設は物理学的に無理だという指摘だ。一五億年以上前のアフリカに五〇万年間存在したオクロの天然の原子炉があった。その出現の理由は、核分裂物質と豊富な水の存在だった。水が減速剤となり、自然に核分裂の連鎖反応が起こり、天然の原子炉が作られた。核の最終処分場に水は禁物なのだ。もうひとつ、オンカロは一八億年前に形成されて以降動いたことのない地盤だが、日本にはそのような安定した地盤はない。
単純な計算をする。オンカロ並みの施設を作るには最小でも、二㎞四方の土地が必要で、その面積は四k㎡だ。福島第一原子力発電所の敷地面積は三・五k㎡で、核のゴミの最終処分場としてはせいぜい二基分ということになる。ところがその敷地には第一から第六まで原子炉が六基ある。つまり、たとえ福島第一原子力発電所の敷地全部使っても、そこで生まれる核のゴミの三分の一しか処分できない、残りの三分の二の処分先を考える必要があるということだ。
二〇一一年 ムラの実態と「専門家」の醜態
解説委員 これはあくまで想定、仮定ですが、こうした水素がなんらかのことで引火して爆発したということも考えられます。
アナウンサー この情報をお聞きになってどのような印象ですか?
原子力の専門家〔NHKがっけた肩書き〕 爆発的なということですか、はい今格納容器の圧力を下げるという作業をしておりますので、その一環として弁を一気に、まあ爆破弁というものがあるのですが、そのような弁を作動させて一気に圧力を抜いたということもあるのかなと思っております、ちょっとまだ情報がございませんのでよく分からないところが多いと思います。(三月一二日一六時五二分ごろからのNHKテレビのニュース)
三人が画面に登場する前の一分間は、福島第一のその日一四時ごろの海岸からの映像が映されていた。その後、一六時四〇分ごろの陸側から第一を映した映像に変わった。撮影方向が逆なので分かりにくいが、四つあった原子炉建屋の一番端にあったものが骨組みだけになっていることを映し出していた。しかし一号機の建屋が吹き飛んでいることを誰も指摘していない。放送開始から一五分経過したところで誰かが気づいたのだろう、同一アングルでのライブの映像と午前中の映像を対比させ、爆発音と白い煙と地面の揺れの原因が一号機の建屋の爆発だったことを確認した。
その映像を受けて専門家(関村直人東大教授)は「原子炉の建屋だということになりますと、少し大変な事象が起こっているのではないか」と述べ、解説委員は「これほど大きな爆発等があったとすればもう少し確かな情報を東京電力、国は把握できるのでは」ともっともな疑問を呈している。しかし実態は違った。そのころ官邸のテレビ画面では、大爆発で建屋が吹き飛び大量の白煙が上がっている映像が流れていた。菅首相はその日朝、現地に向かうヘリコプターの中で「水素爆発は起こらない」という説明を班目原子力安全委員長から受けていた。爆発映像を前に班目は「あー」と頭をかかえるだけだった。これを機に菅は、原子カムラの人々が頼りにならないことを悟った。
一号機では一二日九時をめどに爆発を防ぐためのベンドの準備が行われたが、実施されたのは五時間後の一四時五〇分だった。それから四六分後、一五時三六分に水素爆発が起きた。ベンドが計画より遅れたのは、放射能を避けるための遠隔操作に必要な電力が得られず、手動の作業と仮設の遠隔作業となったためだ。この五時間で水素がたまり、水素爆発の遠因となったと思われる。
五月二六日、関村は米国科学アカデミーで「福島第二原子力発電所事故の概要について」という講演を行っている。その「震災の科学技術に対するインパクト」の中で「科学技術への信頼低下。工学者・学生の自信喪失」を指摘している。この指摘は原発がレペル七の事故を起こしたことの直接的影響を意味しているのだが、事故から約一週間ほど、彼を含めた「原子力の専門家」がマスメディアで見せた醜態が引き起こしたものでもある。
六月、独連邦議会は脱原発関連法案を可決した。
二〇一二年 報道の自由--低下か実態暴露か?
日本の報道の自由度は二二位に下落したが、津波や福島の核事故報道に過剰な制限が加えられ、報道の多元性の限界が露わになった。(「国境なき記者団」による「世界報道の自由度ランキング 二〇一一-二○一二」の日本についてのコメント)
報道の自由度ランキングで日本は世界約一八〇カ国中、二〇〇九年が一七位、一〇年は一一位だった。それが一二年に二二位に落ちた。この後さらに順位を落とし一三年が五三位、一四年には五九位となる。一三年については、フクシマ報道が一層厳しく制限されていることと自己検閲の横行、権力による取材制限を支えてきた「記者クラブ」改革が進んでいないことも指摘された。
しかし以下の事例を知ると、本当に日本の報道の自由度は下がったのか、むしろ以前の高評価が実態を反映していなかったのではないか、と考えられる。
九月一一日、日本学術会議は原子力委員会委員長に、回答「高レペル放射性廃棄物の処分について)を送っている。これは二〇一〇年九月七日の同委の近藤駿介委員長からの要請に応えたものだ。三・一一により対応が遅れたが、結果としてフクシマを踏まえた回答となった。学術会議は、原子力発電をめぐる大局的政策についての合意形成に十分取り組まないまま高レベル放射性廃棄物の最終処分地の選定という個別的課題について合意形成を求めるのは、手続き的に逆転しており手順として適切でない、という判断に立脚している立場を明確にした上で、六項目の提言をしている。
一.高レベル放射性廃棄物処分政策の抜本的見直し
二.科学・技術の限界の認識と科学的自律性の確保
三.暫定保管と総量管理を柱として政策を再構築
四.負担の公平性の確保
五.討論による多段階合意形成
六.長期的取り組みが求められていることの認識
一.で「原子力委員会自身が二〇一一年九月から原子力発電・核燃料サイクル総合評価を行い、使用済み核燃料の『全量再処理』という従来の方針に対する見直しを進めて」いると指摘し、そして四.で「金銭的手段による誘導を主要な手段にしない形での立地選定手続きの改善が必要で」、そして六.でこの件は「千年・万年の時間軸で考えなければならない問題である」と釘を刺している.法律は作ったがそれから一〇年放置されてきたのは、構造に無理があるからだ.フクシマ「以来、原子力政策全般にわたる抜本的見直しの議論が広く進められている……高レベル放射性廃棄物の処分についても既存の枠組みにとらわれることなく、様々な角度からその処分法を吟昧すべきで」はあるが、「各地の原子力施設には、既に大量の使用済み核燃料が存在するので」、三.の「暫定保管」が必要ということだ.失われた一〇年間、こうしたことが広く報道されることはなかった。
二〇一三年 原発ゼロしかないよ
一〇万年だよ。三〇〇年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ……逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す……戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が。(小泉純一郎元首相の「原発ゼロ」発言)
冒頭の「一〇万年」は核ゴミの保管期間だ。
「逆だよ、逆」。こうした発想が小泉の特質かもしれないし、日本の政治家に少ない資質だと思う。七〇年代に脱原発の方向を模索した日本社会党、九〇年代に原発を過渡的于不ルギーと位置付けた民主党、いずれも原発依存の道に入り込んでしまった。両者に共通しているのは、文句をつけながら継続を認める姿勢だ。本気であれば、稼働中の原発をいつまで存続させるのか、その時間的期限を切って、それまでの行程表、そのあとの段取りを示すべきだったが、それがなされなかった。その結果、社会党は村山政権時代に、民主党は二〇〇六年に原発依存に方針転換した。
小泉が原発ゼロの方針を確信したのは核ゴミの処理問題だった。この後、一一月一二日、小泉はこう述べている。「結論から言うと、これから日本において核のゴミの最終処分場のめどをつけられると思う方が楽観的で無責任過ぎると思いますよ。すでに一〇年以上前から最終処分場の問題は技術的には決着してるんですよ。それがなぜI〇年以上かかって一つも見つけることができないのか。事故の前からですよ」。彼は夏にフィンランドのオンカロを見学した。その概要をこう述べている。「四〇〇メートル地下に下りる。縦横ニキロメートルの広場をつくっているわけです。……その広場に円筒形の筒を作って、核のゴミを埋め込むわけです。……二基分しか容量がない……一〇万年もつかどうか調べないといけない。振り返って日本を考えて下さいよ。四〇〇メートル掘らないうちに水なんてしょっちゅう出てきますよ。中には温泉出てきますよ」。
「温泉」というのは、処分場建設は物理学的に無理だという指摘だ。一五億年以上前のアフリカに五〇万年間存在したオクロの天然の原子炉があった。その出現の理由は、核分裂物質と豊富な水の存在だった。水が減速剤となり、自然に核分裂の連鎖反応が起こり、天然の原子炉が作られた。核の最終処分場に水は禁物なのだ。もうひとつ、オンカロは一八億年前に形成されて以降動いたことのない地盤だが、日本にはそのような安定した地盤はない。
単純な計算をする。オンカロ並みの施設を作るには最小でも、二㎞四方の土地が必要で、その面積は四k㎡だ。福島第一原子力発電所の敷地面積は三・五k㎡で、核のゴミの最終処分場としてはせいぜい二基分ということになる。ところがその敷地には第一から第六まで原子炉が六基ある。つまり、たとえ福島第一原子力発電所の敷地全部使っても、そこで生まれる核のゴミの三分の一しか処分できない、残りの三分の二の処分先を考える必要があるということだ。
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