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『論考』から『探究』へ

『ウィトゲンシュタイン』より 『哲学的探究』の課題

ウィトゲンシュタインが再び哲学に復帰して以来の彼の哲学の研究を過渡期の哲学としてみてきた。しかし彼の過渡期の一連の哲学の研究は、『哲学的探究』(『探究』)の完成へと向けられていた。彼はこの書を生前に刊行しなかったが、事実上この書は完成しており、すでに序文も書かれている。それには「以下において、私はこの一六年間に没頭してきた哲学的探究の沈殿物である思想を公刊する。それは意味、理解、命題、論理の概念、数学の基礎、意識の諸状態、その他、多くの問題に関わっている」と書かれている。この書は哲学復帰後の彼の思索の遍歴の一連の風景のスケッチを記した一六年間の思索の結晶であり、その課題は、今引用した意味、理解などの言葉をめぐる諸問題であった。「一六年前に再び哲学に従事するようになって以来、私は自分が最初の著書(『論理哲学論考』)で書いたことのなかに重大な誤りのあることを認めなければならなかった」と書き、彼は『論考』で展開した思想の反省に立って、この書を発刊したと述べている。「私は私の最初の書(『論考』)を再び読み、その思想を説明する機会があった。その時突然私はその旧著の思想と新しい思想とを一緒に刊行すべきであり、新しい思想は自分の古い思想との対比によってのみ、またその背景においてのみ正当な照明が受けられると考えた」と書き、この書が『論考』との対比によって理解されるべきことを彼は強調している。「過渡期の思想」の章において、幾つかの相違を挙げてきたが、ここでは彼の哲学の姿勢についてどのように対比されるのかをまず見てみるとしよう。

『論考』は言語批判を哲学の課題とし、「語り得るもの」と「語り得ないもの」との間の限界の画定にあった。こうした哲学的精神に関しては、『探究』も基本的には同じである。ただ『論考』は伝統的な哲学的問題に真正面から取り組んだ。一般的に哲学の探究は〈ものの本質の把握〉にあるとされるが、『論考』もその立場に立ち、〈言語、思考、世界〉の本質を求めた。「思考とは何か独特なものでなければならない」(95、以下『哲学的探究』一部からの引用はパラグラフ・ナンバーを示す)として、「思考の本質、論理の秩序、しかも世界のア・プリオリな秩序ないし世界と思考とに共通でなければならない可能性の秩序を描き出すこと」を目指している。『論考』は「その探究の特殊さ、深遠さ、重要さは、それが言語の比類なき本質、つまり命題、語、推論、真理、経験などの諸概念の間に成り立つ秩序を把握しよう」(97)としたのであった。

『探究』は、「深遠さや高みに事柄の本質が隠れている」という考え方、つまり「言語や思考や世界の本質を問う」という哲学的姿勢に対して、哲学することの「中断」を提案している。そして哲学の探究が目指すものを「私たちにとって最も重要なものの様相はその単純性と日常性によって隠されている」(129)として、『探究』は私たちの日常性に目を向け、私たちが気づかないで、覆い隠されているものを見出したり、あるいは私たちが誤解したり、混乱しているものの誤りを匡すことを促がしている。ウィトゲンシュタインに従えば、哲学することは何か特異なこと、驚嘆するようなことをするのではない。哲学は何か特別なことをするのではないし、また哲学することによって何か重要なことがなされたり、何かが創造されたりするのでもない。「哲学は全てをあるがままにしておく」(124)。「あるがままにする」というのは、そのままに放置するというのではなく、「本来的にあるがままにする」ことを意味する。それは、哲学の役割が言葉(例えば、知識、存在、対象、自我、命題、名辞など)を用いてものの本質を把握しようとしている時、その言葉が、その故郷である言語のなかで実際どのように用いられているのかを問い、言葉を日常的用法へと連れ戻すことにあることを意味する。

『論考』にも「日常の言語は人間の有機的組織の一部である」(4.002)、「私たちの日常の言語の全ての命題は、あるがままで論理的に完全に秩序づけられている(私たちの問題は抽象的ではなく、最も具体的に存在しているのである)」(5.5563)と書かれ、ウィトゲンシュタインの日常の言語に対する深い関心が示されている。しかし『論考』が直接に関わったのは「言語、思考、世界の本質」であり、日常言語よりも人工的言語であった。それに対して『探究』は直接に日常の言語の本来的な用法に向けられている。

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